2014年W杯をブラジルが開催したのは1970年以来44年ぶり。2006年W杯をドイツが開催したのは西ドイツ時代の1974年以来32年ぶり。南米一、欧州一の両サッカー大国でさえ、この間隔だ。2002年に続き日本がW杯開催を言い出すのは時期尚早。

 これは、以前にも述べたことだが、新国立競技場は結局、W杯開催を前提に建てられることになった。2020年東京五輪には、陸上用トラック付き68000人収容のスタンドとして使用し、その後、陸上トラック部分をスタンドにした80000人収容の球技専用スタジアムにリフォームするとのこと。

 いったいいつ日本はW杯を開催するつもりなのか。それ以前に、なぜそんなに早く、再度W杯をやりたがるのか。開催の理由がハッキリしないのは、東京五輪も同じ。経済効果。それが裏のテーマではなく、表のテーマになっているとすれば、あまりにも貧乏くさいというか、格好悪いというか、情けない。
 
 五輪の現場は確かに楽しい。W杯の現場も同様。滅茶苦茶楽しい。それを現場で体験することは、スポーツ好きにとってまさに最高の娯楽。至福の瞬間だ。1人でも多くの人に、現場に漂うスポーツの魅力を体感して欲しい。僕は大真面目にそう思う。五輪やW杯が自国で開催されることになれば、現場には多くの知人友人も駆けつける。2002年日韓共催W杯、98年長野五輪の時がそうだった。W杯、五輪の魅力を多くの仲間と共有し合うことができた。

 あの歓びや感激をもう一度、と言いたいところなのだけれど、モノには順序、バランスというものがある。

 この感激は、世界の人も同じように味わうべきものなのだ。五輪やW杯を開催すべき国、開催させてあげたい国は数多くある。いまの日本は順番的に前の方ではない。W杯は、前回開催した2002年から、まだ13年しか経っていない。日本の後ろにいるのはドイツ、南ア、ブラジルの3か国のみ。順番は最後尾に近い。

 それをやらせろ、やらせろと叫ぶ姿は、まさに自己中心主義。世界の人のお楽しみを、順番を抜かして奪おうとする、いやーな奴になる。W杯の魅力を本当に知っているのなら、あと20年ぐらいはじっと黙って待つべき。それがサッカー界、スポーツ界の嗜みだと僕は思う。

 それでも五輪は東京に来てしまった。前回のロンドンが68年ぶりなのに対し、東京は56年ぶり。日本はその間、冬季五輪を札幌と長野で開催しているので、順番的にちょっと早い気もするが、決まったからには、パッと楽しむしかない。

 問題はその楽しみ方だ。日本人は放っておいても盛り上がる。だが、内輪で盛り上がる日本人のための五輪になってしまうのは、それこそ自己中そのもの。格好悪い。人をお招きする歓びをどれだけ発揮できるか。問われているのは、まさに「お・も・て・な・し」の精神なのだけれど、それって日本人の長所なのか。勝手に優れていると思っているだけではないのか。五輪、W杯併せて計18回、現場に足を運んだ経験から言わせてもらえば、その自己評価はかなり甘いと僕は思う。

 最近テレビでは、日本のよいところ、優れているところをしきりに強調する番組が目立つ。自分たちを持ち上げて、悦に入ろうとする傾向が。

 NHKのBS1で放送している「Cool Japan」もその一つだ。かつては、もう少し客観的な視点で日本を見つめていたと思う。外国人にとってCoolなのか、Coolでないのか、微妙な題材が多かったように思うが、最近は、出演した外国人がほぼ全員、同意しそうな題材ばかりが目立つ。言外に「日本て、凄いでしょ」と、胸を張るような作りになっている感じがして少々気持ち悪い。

 要はバランスの問題なのだけれど、東京五輪を控えた日本にとって必要なのは、外国人が日本を旅していて、何に困っているかを探ることだ。「メイ・アイ・ヘルプ・ユー」といちいち訊ねないまでも、その精神をどれほど持っているか。それこそが、おもてなしの精神に他ならない。日本人が気付けずにいること、つまりカルチャーギャップは、実際、枚挙にいとまがないくらいあるはずだ。