R15指定の作品で下ネタや過激な内容が話題になっている「TED2」。一部シーンを再編集したPG12版「大人になるまで待てない!」の上映も始まりました。ライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんが同作について語り合います。

マリファナ吸い放題のブラックユーモア作品


藤田 『テッド』『テッド2』は、少年が祈った「友達が欲しい」という願いが叶い、クマのぬいぐるみに生命が宿ったという感動話……と思いきや、中年になって、ぬいぐるみが悪友になるというブラックユーモア作品ですね。
 ダメな友人(テッド)と手を切って、恋人の為に「大人になる」のが『1』の物語だったのに対して、『2』はマリファナ遊びを共有できる伴侶を見つける話。
 バカでくだらなくてだらしない友人が、中年の男には必要なのだ、という物語に、僕はとても共感しました。バカなことできる友人との友情や遊びがないと、魂が死んでいくところがありますからね。

飯田 利害関係がなくて何でも話せて何歳になってもバカがやれる友だちだもんなあ、テッド。

藤田 過激さで言えば、「映画全体がバカッター」という感じでしたねw 真似したらマジであかん感じ。作中で、テッドたちが互いにソーシャルネットワークに写真をアップしあう描写があるんですが、炎上するようなバカ行為をめっちゃやっている。

飯田 あれ、おもしろかったw

藤田 現実世界で、バカッター的な行為ができにくくなっている反動でこういう映画がヒットするのかもしれませんね。ホモとか、ユダヤ人いじめとかの差別ネタも、差別用語も容赦なく出てくる。黒人のレジの店員が、白人に対して「白ニガー」(字幕)と言ってましたよw もうよくわからない。ねじれている。表面的な「政治的正しさ」を意識的に破ってしまう描き方をした上で、行儀の悪い男の子たちの「遊び」と「友情」の価値を描いた作品です。

飯田 テッドたちが大麻がめいっぱい生えている畑を見つけたときに『ジュラシックパーク』のテーマが流れるのがうけたw

藤田 『ジュラシックパーク』のテーマは笑いましたねw ぼくは英語版で見たのですが、確か台詞も『ジュラシック・パーク』のものでしたね。
 様々な過去の映画作品への言及が、あちこちにあるのが楽しい。『1』は、フラッシュ・ゴードンというSFアニメに主人公がハマっていて(あれもガキっぽい趣味の象徴でしょう)あれで恋人と不仲になるというのは、リアルでしたね。

飯田 今回はコミコン(アメリカのオタクが集まってコスプレしたりするイベント)に行くよね。「フィクションに現実の人間が合わせる」「フィクションの世界に生きたい、飛び込みたい、一体化したい」というコミコンに参加している人間がいっぱいいるところに、「人間として認められたい」と思っているテディベアが来るっていう対比。

藤田 クライマックスが、コミコンの会場だというのは、笑いましたよw 予想してなかった。コミコンと、トランスフォーマーなどのおもちゃを作っているハズブロ社が出てくるのは、よかったですよね。フィクションとして重層的になっていた。オタクをくすぐって喜ばせる小ネタを山盛りにできるし、ああいう空間でのバトルは、アクションの絵面として単純に面白い。なかなかいい場所使ってきましたよね。

バカをやりながらも「人間とは何か」というテーマを扱った法廷闘争に!


飯田 局部のかたちしたパイプでマリファナ吸ったり、毒舌吐いたりとか、ひどいことさせたほうがぬいぐるみが人間くさく見えるのがおもしろい。ギャップの力。

藤田 そうそう! ああいうバカなことを楽しめることこそが、テッドの人間らしさだと観客が感じる仕組みなんですよね! あれは不思議で。悪ふざけや遊びこそが、人間性の本質では? と考えさせられるんです。
 テッドは「所有物」か「人間」かで、法的な権利を求めて争うっていう中心的な物語展開じゃないですか。「しゃべるクマのぬいぐるみは人間か!?」という、ゾンビモノやロボットモノと似たテーマだった。

飯田 人工知能、アンドロイドに人権を認めるか? というこれから起こる話を描いているのかなと。「エイリアンは法廷に立てるか?」を描いたカナダ人SF作家ロバート・J・ソウヤーの『イリーガルエイリアン』を思い出した。

藤田 「ロボットは人間か?」に置き換えれば、日本のアニメやマンガでも良く見るテーマです。裁判で白黒付けるっていうのが、アメリカらしいのですが。

飯田 作中でも「テッドは生殖能力がないから人間じゃない」とか言われるけど、そんなこと言ったらそれ自体が差別だからね。不妊の方もたくさんいますから。
『テッド』のギャグのパターンって「モノを投げる、壊す」、「いきなり殴る」みたいな不条理な暴力、「下ネタ」、「ハゲいじり、同性愛、学歴(学校)いじり、オタクをバカにする」、「マリファナネタ」っていうすごいしょうもないものばっかなんだけど、それと「人間の定義とは?」というテーマの振れ幅がすごい。あと、テーマを描くにあたっての仕込みもね。
 よりにもよって南アフリカで白人による黒人隔離政策であるアパルトヘイトを撤廃した黒人大統領ネルソン・マンデラを演じたこともあるモーガン・フリーマンが「テッドは人間である」って法廷で擁護する弁護士として登場するからね。
「社会に貢献してこそ人間だ」という話になっていくんだけど、その定義でいったらソフトバンクのペッパーなんて余裕で人間になるよw

藤田 「メディアで感動的なところが大衆に広まったから」認められたっていう皮肉なポイントも、見逃してはいけないと思います。なんだかんだ言って、人権派弁護士のモーガン・フリーマンも現金なやつだな、っていうブラックさもある。

飯田 映画を観ている側は、スーパーでレジ打ちしながら軽口叩いたり嫁と険悪になったり、だらしなくゲームやってるテッドを見て「人間くせえな」と思ってるんだけど、社会的には「そんなドラッグやりまくってるやつを人間として認めちゃいかん」って話だから、なんか本音と建前が分離した議論に見えた。
 テッドたちといっしょにラリってるヒロインの弁護士のほうが「法廷で勝とうが負けようが、テッドは人間だ!」って言ってくれていて、こいつのほうが人間くさく感じる。モーガン・フリーマンより。

藤田 観客は、テッドの人間らしいところを見てますけど、陪審員は見てないですからね。法廷で人間らしく、バカなことをしたら、印象が悪化するというジレンマがありましたよね。法廷で勝てるような、真面目で決まりきった受け答えをしていたら、むしろ「機械的」に見えたはず。そのジレンマを描いたのが、本作の重要なところだと思う。
 モーガン・フリーマンは、法廷で勝つのは「理性」や「理屈」ではないと言ってますよね。要するに、「見せかけ」で「感動」させるのが説得で重要だと。このテーマは、ヒト型の人工知能を描いた長谷敏司さんが『BEATLESS』で、〈かたち〉や見せかけをテーマにしていたのと通じるものがあると感じました。

有吉とテッドの共通点は……?


藤田 僕は字幕版で観ましたが、吹き替え版はどうでした? 有吉さんがテッド役ということで話題になってましたよね。

飯田 テッド役は芸人の有吉弘行さんだったわけですが……演技は、とくに違和感なく。「毒舌って言ってるけどほんとはあったかいんだよ」みたいな役との共通点も「はいはい」って感じで、言うことないです。

藤田 有吉さんがウケるのも、毒舌だけど本当は愛情があるからだ、と。しかし、『テッド』はシリーズ全体として、差別などは「描き方」や「言葉」の問題などではないということを描いていると思います。表層の言葉は悪くても、実は想っている的な構造を、テッドとの友情(口では悪いことを言い合うような、男の子的友情)の延長で、全体で描いているんですよね。ツンデレみたいなもんですよw 単なる差別や悪意とは違う、ギリギリの節度がある。そこは重要なところかと思っています。

飯田 有吉さんが『ロンドンハーツ』とかでカンニング竹山さんのことをザキヤマといっしょに「役者の竹山さん」って言ってからかってたけど、「吹き替え声優の有吉さん」してるじゃん! とは思った。
 やっぱり大山のぶ代さんに吹き替えをやってほしかったですね。そんでマリファナ吸ってもうろくする演技をする、というのを……。

藤田 やめましょうw