1997年、極真世界ウエイト制大会重量級王者の肩書を引っ提げて、勇躍K-1参戦を果たしたフランシスコ・フィリォ。その初戦では、極真時代に因縁のあったアンディ・フグ(審判の「やめ」がかかってからフィリォが放った上段回し蹴りで、フグが失神。大山倍達総裁の裁定でフィリォの“一本勝ち”となった)を一撃KOの返り討ち。
 これには石井和義館長も「大山倍達の姿を見た」と絶賛で、K-1の次期エースと目されることになった。

 しかし、成熟期にあったK-1上位陣の壁は厚く、空手の技術だけでは勝ち切れない。そこでキックの本格的な習得を目指すと、今度は極真流の“一撃”が影を潜める。そんなジレンマに陥ったフィリォは、周囲の期待に反して勝ったり負けたりを繰り返していた。
 「攻め気の強かった初期の頃とは違って、戦いぶりもディフェンシブになり、それにつれて“極真伝説”も色あせていきました」(格闘技記者)

 '01年のK-1ワールドGPも予選1回戦で判定負け。それでも敗者復活から泥臭く判定勝利を重ねて、ようやく東京ドーム決勝の舞台にたどり着いた。ここで優勝を成し遂げれば、再度、K-1のエースとして名乗りを上げることになる。
 だが、そこで立ちはだかったのが、地区予選から勝ち上がってきた“サモアの怪人”マーク・ハントであった。ハントは前大会でレイ・セフォーとノーガードのど突き合いを演じ、その巨体と相まって評判にはなっていたが、大会前の予想ではダークホースとしても名前が上がっていなかった。派手な試合で会場をにぎわす、いわば色もの的存在と見られていたのだ。

 その評価を覆したのが同大会の準々決勝、優勝候補だった“K-1の番長”ジェロム・レ・バンナを失神KOで葬った一戦だった。観客の期待はもちろんド派手な殴り合いであったが、バンナは勝ち上がりを意識して冷静に試合を運び、ハントをコーナーに詰めて地道に膝を当てていく。
 しかし、そこに隙があったのか…。体を入れ替えたハントが猛然と左右のラッシュに出ると、これをまともに食らったバンナはコーナーポストを背にして、天を仰いだまま失神KO負けを喫した。
 「ハントの衝撃的な勝ちっぷりには、試合を控室のモニターで見ていた他の選手たちが歓声を上げたほど。5万人の観客も同様で、会場は一気にハント一色になりました」(同)

 ハントは準決勝でも、ステファン・レコから右ストレートで2度のダウンを奪い、一方的な判定勝利を収める。そうして決勝戦を迎えた。
 「関係者や記者の間では、長年スターの座を約束されながらも、これをつかみきれていないフィリォを推す声は強かったのですが、やはり観客を味方につけたハントの勢いにはかないませんでした」(同)

 どこか自信なさげな表情のフィリォに対し、積極的に前に出るハント。オーソドックスなボクサースタイルから強烈なボディーを放ち、そのずんぐりとした体形に似合わず、膝蹴りやハイキックも器用に繰り出していく。
 フィリォもローキックで応戦するが、終始ハントに押されて下がり気味。リズムを変えようと後ろ回し蹴りを放つと、直後にハントが不恰好ながらこれを真似て会場は大歓声。かえってハントを勢いづけることになってしまった。
 「フィリォの右フックがハントの顔面を捉え、一瞬グラつかせたりもしたのですが、すぐに何事もなかったように復活する。そんな無類の打たれ強さの前に、フィリォの心が折れた部分もあったのでは…」(同)

 3R終了でドロー判定となるが、コーナーにうなだれるフィリォと表情を変えずに平然としたハントの差は歴然。フィリォに余力はなく、延長ラウンドで攻め続けたハントに凱歌が上がった。それにしても、K-1史上でも例を見ないこの大番狂わせは、なぜ起こったのか。
 「ハントが優勝したのはナチュラルだからです」
 そう語ったのは、ある格闘団体の主宰。MLBや五輪でドーピング問題が騒がれていた当時、真相はともかく示唆に富んだ指摘ではあった。