話題になった映画『SHAME-シェイム-』(画像は公式HPより)

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 「描かれているのはセックスだけ。しかしあなたは、彼の人生そのものを覗きみる。」映画『SHAME-シェイム-』のDVDパッケージにはそんな文字が踊る。日本で公開されたときも、セックス依存症の世界を赤裸々に描いたと話題になった。

 確かに、この映画にはセックスシーンがふんだんに登場する。主人公のブランドンは、部屋に風俗嬢を呼び、パソコンのテレビ電話で裸の女性と交流する。パソコンのハードディスクはハードなポルノで一杯。バーでは女性を卑猥な言葉でナンパし、連れの男に殴られる。

 この映画で描かれているのは、セックスに対する渇望と罪悪感だ。ブランドンはそれなりの会社に勤め、社会性も備えている。なかなかのモテ男で、セックスパートナーは途絶えることがない。それでも、ブランドンの心の中はいつもどこか落ち着かず、焦燥感で荒んでいる。突然、押し掛けて家に泊まるようななった妹のシシーにも、過剰な身体的接触をしたかと思えば、冷たく罵倒しもする。

常により強い刺激を求めずにはいられない

 ブランドンが同僚とレストランでデートをするシーンは象徴的だ。結婚の話題に対して、ブランドンは「4カ月以上同じ女性と関係が続いたことがない。ひとりの人と生涯一緒にいるのは不可能だよ」と言う。レストランからの帰り道、ブランドンが「いつの時代の誰にでもなれるとしたら、何になりたい?」と聞くと、デート相手の女性は「Now,Here」と答える。字幕は「いまの自分のままがいい」だ。それに対して、ブランドンは「最低につまらない答えだ」と返す。

 ブランドンは「いま、ここ(Now,Here)」に対して決して満足できないのだろう。常に今以上により強い刺激を求めずにはいられない。そんなブランドンも自分のエネルギーをもてあまして夜中に突然走り出したり、また家に置いてある大量のポルノを突発的にゴミに出したりする。だが、そんなことをしても、すぐに性欲はまだ溢れ出してくるのだ。

人はなぜ快楽に耽溺するのか

 依存をあらわす英語に「addiction」がある。これは日本では「嗜癖」という、やや馴染みの薄い言葉に訳されることもある。

 臨床心理士で多くの著書がある信田さよ子氏の著書『依存症』は、主にアルコール依存症の話だが、ひろく依存症全般についても示唆に富んだ内容になっている。そのなかで、信田氏はこのように書いている。

 「我々の生活における手近な快感は、むしろ生存を危うくするような行動によって獲得される。俗に言う『飲む、打つ、買う』とはアルコール、ギャンブル、セックスのことであり、これらは抗いがたい快感を与えてくれる行動だ。
 生きつづけることを否定するような、強烈で刹那的快感の危険性を、人類は熟知していた。これをどのようにコントロールするかが文化であり、共同体の拘束であった。そしてある種の快感をタブー視し、禁止すらし、快感を生存促進的にコントロールできることが人としての成熟であると考えるようになった。  
 このように生存を危うくするような習慣を『悪習慣』とし、嗜癖と呼ぶようになったのである。つまり近代社会が排除せざるをえないような、コントロールを欠いた行動に与えられた言葉が『嗜癖』なのである」

 「飲む、打つ、買う」といった快楽は、破滅に通じる可能性のある危うい行動だからこそ、その快楽も大きくなる。あるいはその快楽は、禁じられれば禁じられるほどに、増していくのかもしれない。だが、快楽をむさぼるように味わう者は、決して満たされることのない渇望を抱え続けることになる──。

 映画『SHAME』が指し示しているのも、そのような普遍的な事柄なのかもしれない。
 

里中高志(さとなか・たかし)
1977年生まれ。早稲田大学第一文学部卒。大正大学大学院宗教学専攻修了。精神保健福祉士。フリージャーナリスト・精神保健福祉ジャーナリストとして、『サイゾー』『新潮45』などで執筆。メンタルヘルスと宗教を得意分野とする。著書に精神障害者の就労の現状をルポした『精神障害者枠で働く』(中央法規出版)がある。