無私の日本人

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◆磯田道史著「無私の日本人」

本書は、無名ながら稀有の廉潔さを示した三人の江戸人の評伝である。

内村鑑三「代表的日本人」、宮本常一「忘れられた日本人」と本書を併せ"日本人三部作"と言うと、流石に褒め過ぎだろうか。

古人を甦らせる

著者は史学専攻の研究者だが、本書は古文書に関する論文では無論ない。まるで見てきたかのように活き活きと人々の言動を紡ぎだす「ものがたり」だ。歴史の彼方に消え去った古人を現代に甦らせる著者の力量は「武士の家計簿」で実証済だが、更に磨きがかかった印象である。

本書が紹介するのは、穀田屋十三郎(こくだやじゅうざぶろう)、中根東里(なかねとうり)そして太田垣蓮月(おおたがきれんげつ)の三人。いずれも知らぬ名前であったが、蓮月はWikipedia(ウィキペデイァ)に載っている。歴史を紐解けば、高名無名を問わず文字通り星の数ほど偉人がいたことを実感させられる。

本書のあらすじ

藤原正彦氏が「解説」で概略を示している。さらに圧縮して紹介しよう。

「穀田屋十三郎」は、「伊達藩の貧しい宿場町の商人」が「一家離散をも覚悟で...千両を集め...財政難の伊達藩に貸し...利息をそのまま貧しい町民に配る、という奇手で町を救った」物語である。

「中根東里」は、「日本一の儒者、日本一の詩人とも言われた」が「一生を極貧に甘んじ」「村人に万巻の書から掴んだ人間の道を平易に語り続けた」人の物語である。

「太田垣蓮月」は、「歌人として名をなすと同時に、自作の焼き物に自詠の和歌を釘彫りする蓮月流を創始した」が「名誉を求めなかった」上に「私財を投げ打って貧者を助け...橋をかけるなど慈善事業に勤しんだ」尼の物語である。

陽明学

三人中二人の評伝において、陽明学が大きな地位を占めることは興味深い。

「穀田屋十三郎」で挙げられる「冥加訓」は備前心学なる陽明学系の書というが、はるか離れた東北の一介の商家が、同書の行動規範を徹底して遵守し、貧民救済に乗り出したことは特筆に値する。「中根東里」では、学究の鬼ともいうべき中根が王陽明全書に衝撃を受け、自らの使命を悟り実践に移る経緯が丁寧に描写されている。

李登輝氏の「『武士道』解題」で、武士道の淵源として王陽明の「知行合一」が掲げられていたことを思い起こす。危険思想とされつつも王陽明の書は江戸時代に広く読まれたであろうと思ってはいたが、こうして人々の行動につながった具体例を改めて示されると、その及ぼす力の大きさに驚かされる。

現代に通底する課題と希望

「穀田屋十三郎」の魅力は、何よりも市井の人々が利他の精神を発揮して浄財を捻出し、これを決してひけらかさぬと誓ったことにある。だが藩との折衝も劣らぬ見せ場だ。藩高官の狡猾さが活写される。高官が最後に陽明学の思想に衝撃を受けるくだりは、著者のささやかな意趣返しであろう。

役人道に信義が求められることは聖徳太子の十七条憲法にもあるが、それは当時から信義に欠く者があったことの裏返しだ。現代でも、同じ公務員であることが恥ずかしくなるような不始末が報じられる。実に飛鳥時代から今に連なる課題と言わざるを得ない。

他方で、穀田屋らを救う代官・橋本の心意気も一つのモデルだ。相も変わらず役人批判がメディアを賑わすが、報道と関わりなく人々を黙々と支える立派な公務員も数多あることは、評者自身、四半世紀の公務員人生で現に目にしてきた。一般国民から厳正に選抜される以上、現代の公務員の大方は国民一般に存する誠実さを共有していることは強調しておきたい。

著者の思い

本書は「あとがき」も大切だ。著者は、藤原氏に解説で「すれた所のみじんもない真っすぐの人」と評されたとおりの直球を放っているからだ。

著者は自身の子を思い、こう綴る。

「この子が大きくなるころには、この国は余程大変なことになっているだろう...これからの日本は物の豊かさにおいて、まわりの国々に追い越されていくかもしれない...太平洋ベルトに大きな津波被害をうければ、国の借金は国内で消化しきれなくなって...大陸よりも貧しい日本が、室町時代以来、五百年ぶりにふたたび現れる」。こう記した上で、日本人の持つ哲学の再発見を求める著者の問題意識は、広く、かつ深い。

「武士の家計簿」は著者の原作、映画とも拝見したが、原作の迫力は段違いであった。「穀田屋十三郎」も映画化されると聞く。著者の思いを酌めば、映画やその論評は、地方創生と単純な役人批判を絡めた陳腐なものとなってほしくない。が、おそらくはそうなるであろう。

酔漢(経済官庁・擬錙