1935年12月に産声を上げ、今年80周年を迎えた大阪野球倶楽部(大阪タイガース、後に阪神と改称)。そんなメモリアルイヤーの今シーズン、今まさに優勝争い真っ最中!というわけで、1985年は阪神タイガースにとって今に至るまで唯一の日本一イヤー。

そのシーズン、そして日本シリーズにまつわるちょっとマニアックな話を景気づけに集めてみたので、ファンの皆さんには30年ぶりの悲願を期して盛り上がっていただきたい!

【秘】トリビア1

あわや“舌禍事件”!? シリーズ初戦のヒヤヒヤ発言

21年ぶりにセ・リーグを制した勢いそのままに、日本シリーズ第1戦でも西武を3―0で下した阪神。その翌日の紙面では、完封勝利を挙げた池田親興(ちかふさ)のこんな言葉が見出しになった。

「ヤクルトのほうが怖い」

この4年後の近鉄対巨人の日本シリーズで、第3戦の勝利投手となった近鉄・加藤哲郎が「巨人は(パ・リーグ最下位の)ロッテより弱い」と発言し、そこから巨人に4連敗を食らった“事件”があった。それ以降、近鉄は一度も日本一に輝くことなく、球団自体が消滅してしまった。

西武をセ・リーグ最下位のヤクルトと比較した池田の発言も、もし阪神が負けていればシリーズ後に蒸し返され、“舌禍事件”として球史に残ったかもしれない。勝てば官軍、である。

【秘】トリビア2

優勝は吉田監督より安藤前監督のおかげ!?

85年の日本一といえば吉田義男監督の手柄。それはもちろんそうなのだが、前年まで指揮を執っていた安藤統男(もとお)監督の“遺産”も大きかった。

例えば、来日1年目の序盤に解雇寸前だったバースを辛抱強く使い続け、実力を証明したこと。脚に故障を抱えていた岡田を一時的に外野で起用して回復を優先させたこと。先発投手の池田、ショートの平田勝男ら優勝に不可欠な選手たちを獲得したこと…。

84年のシーズン終盤、掛布と中日・宇野勝の本塁打王争いをめぐる四球合戦があり、悪いイメージのまま監督を辞任したが、安藤チルドレンなくして翌年の優勝がなかったのも事実。後に永らく阪神タイガースOB会会長も務めたが、その功績がほとんど語られないのは少々可哀相な気も…。

【秘】トリビア3

“阪神顔”はイメージだけ! 実はイケメンタイガースだった?

“阪神顔”といったら、おそらく、どちらかといえば個性的なフェイスをイメージする人が多いんじゃないだろうか?

ところが、実は70年代後半から80年代の阪神は、むしろイケメン天国だった。85年の優勝メンバーでいえば“和製トラボルタ”こと中田良弘、“球界のマッチ”こと池田(当時は痩せていた)、真弓明信というスリートップがいたし、それ以前にも田淵(太る前)、古沢憲司、エモやん、小林繁、太田幸司などそうそうたるメンツがいた。むしろ顔で獲っていたんじゃないかと疑いたくなるほどだ。

じゃあ、なぜ“阪神顔”のイメージはイケメンとはかけ離れているのか。そら、やっぱりアレやん。85年の4、5番打者がインパクトありすぎたからと違うん?

【秘】トリビア4

バース敬遠事件で人知れず泣いた巨人・吉村

すでに阪神の優勝が決まり、消化試合だったはずの85年シーズン最終戦。この巨人対阪神戦が異様に注目されたのは、阪神のバースが54本塁打と、敵将・王貞治の持つ日本記録にあと1本と迫っていたからだ。

この試合、巨人の投手陣はバースに対して“疑惑の四球”を連発し、王の記録は守られた。…と、ここまでは有名な話だが、それを外野から複雑な思いで見守っていたのが巨人の吉村禎章(さだあき)。実は、この試合前まで吉村は出塁率リーグトップだったのだ。

四球を出すたびにバースの出塁率は上昇。対する吉村は力んで4タコ。でも、まさか「バースと勝負してください」なんて言えるわけがない…。かくして、最高出塁率のタイトルはバースの手に渡ったのだ。

(監修・情報提供/山田隆道)

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