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○パワーユーザーを歓喜させたK6

1997年4月、とある新宿のホテルで開かれたAMDの新製品記者発表会は補助椅子を用意しなければならない位の大盛況だった。そのころ、PCプラットフォームが個人ユーザーに拡大し、今まで完全にパソコンメーカー主導だったPCを、自分で組み立てる自作派が現れた。秋葉原に行けば、CPU、マザーボード、メモリ、グラフィクス、ケース、クーラーファンなどの各部品がバラバラで売っており、自分の好きな仕様の部品を買ってきてPCを組み立て、好きなソフトをインストールして楽しむという、今まで全く予想しなかった状況が現れた。その市場の成長につれてPC関係の雑誌が次々と創刊され、あっという間に拡大していった。そのころの本屋に行けば、一番入口に近い雑誌棚の一番先頭に、何十というPC、パーツ関連の雑誌が所狭しと並んでいたのだ。

パワーユーザー(自作派などのハイエンドのPCを求めるユーザーをこう呼んだ)は自作の手段を手に入れると、「CPUはIntel」といった一元的な状況に満足しなかった。彼らは選択、差別化、個性を求めたのだ。その状況で、かねてから噂されていたAMDのK6がいよいよ発表されることになったのだ。しかも、今度のAMDの製品は、今までのIntel製品の後追いではなく、全く新しいアーキテクチャで、Pentiumよりも速いらしい…

こうした大きな期待を一身に背負って、1997年4月2日初代K6は発表された。K6はそれまでに喧伝された期待を裏切らない仕上がりだった

・クロック周波数166・200・233MHz(Pentiumは最高で200MHz)
・パイプライン:6段ステージ、最大6命令を同時発行可能
・RISC86スーパースケーラーアーキテクチャ
・Pentiumソケット7互換(AMDではこれをスーパー7と呼んだ)
・0.35ミクロンプロセス技術、880万トランジスタ(K5の2倍以上)

いきなり、233MHz品がリリースされたので、かなりのインパクトがあった。というのも、それまでのPentiumの最速製品は200MHzであり、Intelよりも速いCPUというのはいまだかつて誰も経験しなかった興奮だった。しかも、そのCPUはPentiumのソケットにそっくりはまる。

K7の話で書いたように、チャレンジデモというのを始めたのがこの初代K6の最初の記者発表会である。外見は全く同じパソコンを2台用意して、"メモリ、HDD、などCPU以外のパーツは全く同じものを使用しています、右がAMDのK6、左がIntelのPentium。それでは「よ〜いどん」でベンチマークソフトを走らせます、どちらが早く終了するかご覧ください"、という口上とともに2台のPCが表計算、描画、MP3による音楽圧縮、ゲームのシーン、などの実際のアプリケーションなどをつなぎ合わせたベンチマークソフトを次々に実行してゆく。

基本アーキテクチャが違うわけだから、各アプリの処理速度を注意深く見ていると、確かにCPUによって得意、不得意はあるのだが、何しろクロック周波数が10%以上高速なので、結局K6が先に終了する。その優位性を衆目の前で比較しながら証明してみせる非常に解かりやすいものなので大変好評だった。しかも、IntelはAMDをまがい物だとして認めない立場をとり挑発に乗ってこないので、その後の活動にどんどん取り入れた。

○予想を上回るK6の売れ行き

K6開発の経緯はAMDのNexGen買収から知れ渡っており、市場はその到来を待っていた。K6はその後、ほどなくしてほとんどのパソコンメーカーが採用し、AMDは大量のK6を市場に出荷したが、集積度が非常に高度なCPU製品の宿命として、166、200MHzの製品は比較的容易に生産できたが、最高性能の233MHz品はその数に限りがあった。

そういう状態であったので、私は最初のカスタマに、ある秋葉原のPCパーツ店と組んで、ショップブランドのK6パソコンを売り出してもらった。ショップブランドであるので有名電気機器メーカーのナショナルブランドパソコンよりも数が圧倒的に少ないと思った…ところが、私の思惑は外れた。発表と同時に用意した233MHzは予約販売で即座に売り切れてしまった。ショップはバックオーダーを抱え、毎日追加の催促をしてくる、"そのうちに歩留まりが上がって潤沢に出るようになりますから"、と言って初めのころはかわしていたのだが、それも限界になり、ショップの社長さんとともにUS本社まで行って、"いくつ出せるのか"、と直談判を行ったことを覚えている。パワーユーザーからの旺盛な需要は世界的規模だったので量を確保するのは大変であった。

○「自作PCエキスポ」を開催

秋葉原といえば、その後いろいろなお店にお邪魔し、イベントをやったりすることになるのだが、このころは何もかも新しい経験で、今から思えばまさに怖いもの知らずで、よくやったなと思うような貴重な経験をさせていただいた。その中でも印象深いのは、秋葉原始まって以来の"自作PCエキスポ"である。

今日秋葉原の電気街側にあるUDXのビルのあたりは、その当時は大きな駐車スペース、空き地になっており、時折電機メーカーが展示イベントなどをやっていた。そこで、発案されたのが自作PCパワーユーザー向けの大イベントである。幕張などで盛んにおこなわれていたPCエキスポのようなものを、秋葉原で自作ユーザー向けにやってみてはどうかということである。何しろ何もかも新しい経験なのでどんなに大変なのか想像もつかない。

ちょうどそのころ入社してきた自作派の新入社員を責任者にして、当時としては破格の予算をつけて2日間のイベントを準備した。会場に大きな天幕を張り、土日の2日間で、自作PC講座、マザーボード、グラフィックカードの各社からの発表、各種デモンストレーション、AMDのロードマップの説明、プレスを呼んでのパネルディスカッション、懸賞付きのじゃんけん大会、など頭をひねっていろいろな企画を考えた。そして、駅の前にはK6のロゴをあしらったコスチュームをまとったK6ガールズが宣伝用のビラを配る。真っ青に晴れた快晴の2日間で詳細は忘れてしまったが2000人くらいの人が訪れたと記憶している。その間に、振興会、お店などのお偉方も大勢来ていただいた。その中の一人の方が、"CPUのようなパーツでこんなに人が集まるような時代になったんだね"、と感慨深く感想を述べられていたのをよく記憶している。

パワーユーザー向けのいろいろなアイテムが考案されたのもこの頃からである。その中でも、かなり成功したのがK6ロゴをあしらったエンブレムである。自作PCはデスクトップなので、PCケースの正面に正方形のエンブレムを貼り付けるスペースがある。ここに貼るちょっと厚手のロゴスティッカーは、その後、新製品が発表されるごとに新しいロゴとともに制作された。これが非常に受けたのである。

もう1つのアイテムは、半導体チップの一片を透明のアクリル材に封止してストラップにしたもの。これは、工場に掛け合って、出荷検査で不合格になったものを送ってもらって日本で作成したもので、その後日本以外の国でも流行ったアイテムである。私も携帯などにつけていたものだ。

当時は予算が潤沢にあったので、Tシャツなどもたくさん作った。Sales Conferenceの話でも出たように、当時のAMDではTシャツなどは新製品の出る度に、イベントの度に作るので24年も勤務した私は、未だにTシャツ、ポロシャツの類を自分で買ったことがない。現在着ているポロシャツももちろんAMDのロゴ入りである。

(次回に続く)

著者プロフィール
吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Device)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。現在も半導体業界で勤務。
・連載「巨人Intelに挑め!」記事一覧へ

(吉川明日論)