ラウル・タムード【写真:Getty Images】

写真拡大 (全2枚)

田邉草民に西澤明訓。日本人選手とも深い縁

 エスパニョールをキャプテンとしてけん引し、現在は2部のサバデルFCに所属しているFWラウル・タムードが現役引退を発表した。決してワールドクラスといえる選手ではないが、地元のクラブで育ちキャプテンまで務め上げた名手にクラブもサポーターも大きな愛情を捧げている。

----------

 先週、ラウル・タムードが引退を発表した。37才であり、元エスパニョールのキャプテンとして長い間務めた後、アラベス、レリダ、レアル・ソシエダ、ラヨ・バジェカーノ、パチューカ(メキシコ)でプレー。ここ2年はバルセロナ郊外にあり、現在日本人実業家がオーナーを務めているサバデルFC(2部)に所属しており、今年の夏FC東京に復帰した田邉草民などと共にプレーしていた。

 タムードは、2000年シドニーオリンピックで、スペインに銀メダルをもたらした五輪代表の一人だった。当時、エスパニョールにいて、日本からやってきた西澤明訓とロッカールームを分かち合うなど、比較的、日本人選手との縁の深い選手でもあった。

 もちろん、ロナウドやメッシやネイマールといったワールドクラスの選手ではないし、現在のサッカーを支えている若いサポーターには、なじみのない名前かもしれないが、タムードを目の端で追いながら、私は常にこういった選手がスペインリーグの層を厚くしていると思っていた。

 海外メディアの取材対象として喜ばれる選手ではないが、地元密着型でエスパニョールBから育ち、その後クラブに頼まれれば身を切られるような思いで涙を流しながらグラスゴーへの移籍を決意(結局、メディカルチェックにひっかかり、移籍は叶わず)するほどにクラブへの忠誠心が強く、クラブ史最多得点者となってエスパニョールを去って行ったそんなタムードへ、地元クラブは未だに大きな愛情を捧げている。

「実はゴールが見えていないんだよね」

 もともと、父親は左官業、母親は工場働きというスペインでは典型的な共働きの夫婦の間に育った少年だった。スペインの内陸から父親は仕事を求め、大都市バルセロナにやってきた。

 タムードの地元は、バルセロナの中でも国内からの移民が多く集まるサンタ・コロマという地域であり、タムードはそういった過去を隠そうとはしない。引退を発表した記者会見でも、「あのサンタ・コロマでひたすら何時間もボールを蹴っていたあの当時、こんなにも多くの愛情を受けることができるようになるとは思いもしなかった」とコメントしていた。

 97年に20才でデビューを果たしてから、17年間プロとしてリーグを支え続けて来た。引退を決めたサバデルでは前述したとおり田邉草民選手と共にプレーしていたが、その取材に行った時、田邉選手は「やっぱり、1部で長くやってきただけあって、タムードはすごいです!一つ一つがすごい勉強になります。全く違います」と当時のチームメートに賞賛を送っていたのが、印象的だった。

 かつて、そんな気さくなタムードと雑談をしていた時、実はひどく視力が悪いという話を本人に聞いたことがあった。今でこそレーシック手術を行ない視力を矯正したが、それこそ15年前は「実はゴールが見えていないんだよね」と笑い飛ばしていた。

「これからは息子を連れてコルネジャに行って応援したい」

 17年間かけて508試合を消化し、177ゴールを決めてラウル・タムードは静かに去って行く。これでシドニーオリンピック組がまた一人いなくなり、時代は緩やかに過ぎて行く。次の世代に交代する時期がタムードにも訪れたのだ。

 スペインでは2部リーグまでがプロとみなされるが、20才でデビューして17年間プロとしてずっとキープして来たその裏には、どれだけの苦労があったことだろう。もちろん、そんなことはタムードのみに限った話ではないが、どのチームに行っても全力投球で走って来た。

「僕も父親になったから、これからは息子を連れてコルネジャ(エスパニョールのホームスタジアム)に行って応援したい」と夢を語るタムード。エスパニョールは、引退した彼を早速クラブで何らかの役職について欲しいとのオファーを出している。

 一部の日本人選手を裏から支え指導してくれたタムードへ、今までどうもありがとうと感謝のことばを送りたい。ピッチを離れても、いずれまたコルネジャで再会する日が来ることだろう。

text by 山本美智子