東アジアカップでは全3試合にフル出場。指揮官の信頼を掴み、アジア2次予選のメンバーにも名を連ねた。写真:徳原隆元

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 8月の東アジアカップでA代表デビューを飾ると、ロシア・ワールドカップ・アジア2次予選のアフガニスタン戦(9月8日)では、欧州組も揃うなかで堂々たるプレーを見せた。攻撃面での課題は痛感しているが、ハリルジャパンの希望の星として、遠藤航は確かに「新たな領域」への一歩を踏み出した。
(『サッカーダイジェスト』2015年9月10日号より)
 
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――初のA代表は、年代別の代表チームとは違う特別な雰囲気を感じましたか?
 
「最初はこれまでプレーしたことのある何人かの選手と一緒に行動していたんです。でも自然とどの選手も快く受け入れてくれて、練習の雰囲気もU-22代表よりもみんなすごく声を出していて、とても良い雰囲気で練習できていました」
 
――東アジアカップの期間中、誰と一緒にいることが多かったんですか?
 
「宇佐美と(柴崎)岳は同い年なのでバス移動では隣に座ることも多く、食事はガンバの選手と一緒になることが多かったです。ヨネくん(米倉)、(倉田)シュウくん、藤春くんといろいろな話をしました」
 
――そういう時は、どんな話をするんですか?
 
「『湘南の練習って、やっぱりかなりきついんでしょ?』とか。『うん、結構きついよ』って(笑)」
 
――選手間でも、そこは気になるところなんですね。
 
「練習の内容や監督のこと、共通の知り合いのこととか。もちろん試合に関する話もしますよ」
 
――他のチームの練習メニューなどを聞いてみた感想は?
 
「うちとのギャップに驚かされることはありました。直接そんなこと言えませんけど……」
 
――ハリルホジッチ監督からは刺激的なことを言われたそうですが?
 
「新聞記事にもなっていましたが、まず『プレーが40歳ぐらいに見える』と言われました。休む時間が多いのは『日本人の悪いところ』で、『より攻撃的にアグレッシブに出て行け』と指摘されました」
 
――その「40歳」という指摘をどのように解釈しました?
 
「他の選手にも様々な指摘をしていて、それは期待の裏返しで、そうやってモチベーションを上げるのが、ハリルホジッチ監督の狙いだと思いました。だからその言葉を念頭に置きつつ、自分のスタイルは基本的には変えず、良さをしっかり出そうという意気込みでやっていました」
 
――第1戦の北朝鮮戦、武藤選手の先制点をアシストしたクロスは、その積極性が結実したものでした。
 
「湘南でやっているプレーをシンプルに出した結果がアシストにつながりました。ただSBは攻撃参加を繰り返してクロスを放つことが求められるので、あの試合はアシストをした場面の他は攻撃参加するシーンをあまり作れず、そのアップダウンとクロスの回数の少なさは課題として残りました」
 
――韓国戦では再び右SB、最後の中国戦ではボランチとして、全3試合にフル出場しました。今改めて感じる、手応えと課題を挙げてもらえますか?
 
「自分のなかでは、イメージしていた通りと言えばいいでしょうか、ここは通じるだろうなという部分と、ここはどうなのかなという部分が、そのままプレーにも表われていた気がします。1対1の対応、カバーリング、守備時のポジショニングは、3バックでも4バックでも整理でき、森重さんとコミュニケーションをしっかり取りながら違和感なくやれました。守備に関しては、良さは出せたと思います。一方で……」
 
――攻撃面ですか?
 
「そうですね、攻撃面では上下動をいかに繰り返せるか。その回数がまず求められるので、まだまだ足りていない。まず回数を増やさないと」
 
――結果的に、チームも勝てませんでした……。
 
「北朝鮮戦は追加点を取っていれば勝てたはずだし、もったいない展開が続きました。でも、そうやってU-19代表の時も(遠藤が臨んだ10年と12年のU-19アジア選手権。いずれも準々決勝で敗れ、U-20ワールドカップの出場権を逃した)、一瞬の隙を突かれてやられているので、A代表でも変わらず突き詰めていきたいです」
――そういえば、8月13日以降、ツイッターで「代表選出おめでとう」というメッセージをくれたファン計704人に、遠藤選手から直接お礼の返事を書いていましたね。
 
「最初はU-19代表に選ばれた時に初めて、コメントをくださったサポーターに返事をしたんです。その時は10人いるかいないかだったんです。だから今回も久しぶりに返してみようかなと思ったら、すごい数のメッセージをいただいて……。でも途中で辞めるのも申し訳ないので、ずっと返していました」
 
――この春、村上春樹さんが3万人からのメールをすべて読んで3か月間で約3000人に返事を書いたそうで、「日々千本ノック状態」と表現していました。2日間で700人とは、村上春樹さんもきっと絶句するはずです。
 
「それも100人ぐらいに返事を書いた時に新聞に記事が出て、一気に増えてしまったんですよ。嬉しいんですけれども、ちょっと大々的になってしまって……。ファンの皆さんのことを考えると、ちょっとそっとしておいてほしかったなと思いました」
 
――さすがに今後も引き続き返事をするのは厳しいですね。
 
「メッセージをいただけるのはとても励みになるんですけど、次はさすがにもうできないです。そのことはサッカーダイジェストを通じて、皆さんにお伝えしてください(笑)」
 
――遠藤選手から直接メッセージが来るなんて、ファンからしたら感動ものです。そう考えたら初代表はひとつの区切りになりましたね。
 
「湘南からのA代表選出は久々でしたし、ファンの皆さんが喜んでくれて、僕も嬉しかったです。そのツイッターも含めて、良い節目になったと思います」
 
――帰国後、者監督からの評価は?
 
「帰国直後に清水戦が迫っていたので『いけるか、いけないか』という、その確認が優先されました。中国にいた時から湘南のトレーナーとはコンディションに関する情報交換をしていて、『全試合出ても、エスパルス戦は行けます』と言っていましたが、実際にすぐ状態を細かくチェックしたうえで、清水戦に備えました。それから者さんも『代表での経験を1日も早くチームに還元してほしい』と言ってくれました。それだけに清水戦を勝利で飾れて、得られたものは多かったです」
 
――A代表デビューを飾り、さっそく3試合フル出場したとあって、3年後のロシア・ワールドカップへの想いは一段と強まったのでは?
 
「次のワールドカップに出場したいとはずっと思っていたことで、そこは目標として捉えています。とはいえまだ先の話なので、まず欧州組を含めたA代表に入ること、それにワールドカップの予選に出ることが次の目標。さらにはリオ五輪の最終予選で勝つこと、そしてリオ五輪本大会で結果を残すこと。やるべきことは数多くあり、その結果、ロシア・ワールドカップにつなげられるようにと思っています」
 
――今参考にしている海外の選手はいます?
 
「マスチェラーノ選手(現バルセロナ)のボールの奪い方は巧いと思います。CBやボランチの選手のプレーはちょっと注目して観ますが、特定の誰かをチェックしているわけではないです」
 
――バイエルンのラームはSB、ウイングバック、ボランチをこなし、しかも主将もしていて、遠藤選手との共通点は多いですが?
 
「者さんは『お前はラームみたいな選手になれ』と言ってくれたこともありました。あのユーティリティ性は参考になりますね」
――サッカーダイジェストのJリーグ選手名鑑のアンケートによると、父の影響でサッカーを始めたと答えていますね。
 
「はい、親父が元々サッカーをやっていたそうなんです」
 
――巧かったんですか?
 
「うーん。そこは、よく知らないんですよね(笑)」
 
――そうなんですか?
 
「でも小学校の時の南戸塚SCは、ほとんどが父親たちがコーチをしていたんです。そのなかに自分の親父もいたんですが、巧いほうでした。だから、小学生の頃は、よく父とボールを蹴っていました」
 
――「湘南の若大将」と呼ばれるだけに、当時からベルマーレを応援していた?
 
「いや……ずっとマリノスファンでした(苦笑)」
 
――え!
 
「セレクションを受けるぐらいでしたから。小5、小6、それに中学でも受けて、ダメでしたけれど。あとは中村俊輔選手がレッジーナへ移籍する直前のお別れ試合とか、父親とよく日産スタジアムに行っていました。CBには中澤選手、それに松田選手がいましたからね」
 
――そう何度も横浜の下部組織のセレクションに落ちたら、子ども心に傷ついたのでは?
 
「いや、駄目もとで受けていたんですよ。親父にも『たぶん、受からねえよ』と言われながら、『一応受けてみる』という感じで。落ちて当たり前、当たって砕けろというレベルでした」
 
――中学時代はクラブチームではなく、南戸塚中でプレーしていますね。
 
「町クラブの2チームに受かったけど、小学と中学を兼任していたコーチから、新しい顧問の先生が良い指導者だから来てみないかと誘われ、部活に練習参加させてもらったら、とても良かったんです。それで部活を選びました」
 
――中学時代は、重大な出来事がいくつも起きたそうですね。
 
「分岐点はふたつありました。ひとつは中2でCBにコンバートされたこと。あとは国体で優勝したことです。16歳以下の国体少年の部で、神奈川代表のキャプテンを務めて優勝できて、その直後にU-16日本代表に選ばれたんです。そこから各年代の代表でプレーする機会をもらえるようになりました」
 
――その中学の試合に、当時湘南ユースを率いていた者監督が訪れていたそうですね。
 
「僕と同い年の体格に恵まれたGKが、県トレセンに選ばれていて、いろんなユースチームから誘いを受けていたんです。どうやら、彼の視察に来ていた時に、僕のことも見てくれていたようです。どの試合に来ていたかまでは分からないけど、中学3年でユースの練習に参加させてもらった時、『前から観ていたけど、良くなっているな』と言われました」
 
――者監督との出会いは人生での分岐点になりますね。
 
「もちろん本当にたくさんの人から影響を受けてきました。その中で、プロになるきっかけを作ってくれたのは、間違いなく者さんでした。高校1年の時に者さんのいる湘南ユースでプレーできたことは、あらゆる面で影響を受けたし、こうして今にもつながっています」
 
――他のユースチームに進もうとは思わなかったのですか?
 
「ユースに進む時も、Jクラブでは湘南が初めて声を掛けてくれて、他からはありませんでした。でも湘南ユースに入れるならとっても嬉しかったし、よし頑張ろうと思えました」
 
――プロが一気に身近な存在で、目標になったわけですね。
 
「湘南ユースに入り、トップの試合を観るようになってから、ここでプレーしたいと強く思うようになりました。Jリーグが夢ではなく、具体的な目標になっていきました」
 
――遠藤選手はU-17代表に選ばれ、高校3年の時にはトップチームに2種登録されました。
 
「トップの練習試合に出場できる一方、ユースの大事な試合に出られなかったりして戸惑ったところもありました。ただ、今思えば、その段階からどうすればトップの試合に絡めるかを考えながらプレーできたことで、成長につながったと思います」
 
――遠藤選手が高3の時、中央大4年だった永木選手は特別指定としてトップチームでプレーしていました。
 
「僕のほうがトップチームへの登録は先だったんですが、亮太くんのほうが先にデビューしたんですよね。その時はちょっと悔しかったです。高3でそういう刺激を受けられたのは良かったかもしれません」
 
――野暮なことを聞きますが、このオフに浦和からのオファーがあったものの、湘南を選んだことについて、今となっては、正解だったなと感じていますか?
 
「正直言って、どの選択も正解だったと思います。そのなかで、僕は湘南でこそ、より成長できると思ったから残りました。それにこの昇格と降格を経験してきた選手と者さんともう一度、J1で戦いたい想いも強かった。ただ『湘南が好きだから残った』というのはちょっと違っていて、サッカー選手として、今は湘南にいることでより巧く、強くなれるはずだと思って判断しました。
 
 亮太君から引き止められたという話にもなっていますが……、本人のために言っておきますと、別にそういうことでもなかったんです(笑)。『一緒に残ろう』とかそういう話はありませんでした。お互いの気持ちを語り合っただけで、最終的にはそれぞれが残ろうと決めたんです」
――遠藤選手と坪井選手の対談をさせてもらった約3か月前、湘南はようやくホーム初勝利を挙げた時でした。現在はリーグ戦の中位に位置し、上位進出も見えています。J1で十分やっていけるという確かな手応えを得ているのでは?
 
「これぐらいはやれると思っていましたし、開幕前からACLの出場権を得たいと思っていたので、現在の成績には満足していません。上位に行くためには、上にいるチームから勝点3を取っていくこと。今はその段階に来ています。でも僕がそうやって自信を持って言えるのは、ベルマーレに携わってきた本当に多くの人たちの積み重ねがあったからこそ。本当の意味で、チームとして、クラブとして、成長できているんだなと思います。だからこそ、ACL出場権は最後まで諦めません」
 
――遠藤選手が見つめているのは、アジアのその先?
 
「アジアと世界、両方ともと言えます。僕個人としてはヨーロッパでプレーしたい想いがあるから、ドイツやプレミアリーグの試合も観ています。だからこそ日本代表で欧州組の選手と1日も早く一緒にプレーしたいと思っています。ただA代表でもリオ五輪代表でも、まずアジアの戦いを突破しなければなりません。僕は、まずその壁を越えないと」
 
――フェイエノールトで長年に渡って活躍してきた同僚のアンドレ・バイア選手は、「仮に海外に挑戦したいなら、語学の勉強はしておいたほうが良い」と話していました。
 
「まだ全然やっていないです。でも、始めますよ。というか、そんな急に海外へ行くって決まるわけではないし、時間はあると思っています。まずはバイアと英語でもっと話すようにして、そこから段階を踏んでいきます。バイアも『世界を目指せ』という話はしています。でも、まずは目の前の試合であり、目の前の代表の活動であり、一つひとつです。次のA代表の試合には呼ばれたいです」
 
――とても充実していますね。
 
「自分のしてきたことが、少しずつ実を結んできた気はします。でも、これからです。今回(東アジアカップ)のA代表はきっかけに過ぎないし、これで満足するつもりはありません。海外でプレーすること、ワールドカップに出ること、そういった目標を実現するために、また今日から変わらず努力していくだけです」
 
取材・文:塚越 始(サッカーダイジェスト編集部)

【プロフィール】えんどう・わたる/93年2月9日生まれ、神奈川県出身。178センチ・75キロ。南戸塚SC-南戸塚中-湘南ユース-湘南。強靭なフィジカルを活かしてボールを奪い、攻撃の起点になる。リオ五輪を目指すU-22日本代表では主将としてボランチを務める。湘南では、右ストッパーを主戦場にリベロや中盤にも対応するユーティリティープレーヤー。