Doctors Me(ドクターズミー)- 【園山真希絵のダイエットコラム】Vol.7: 「食」への恩返し、自分の信じる道へ

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突然の辞職

憧れの航空会社に就職したものの、常に、頭の隅には何かつっかかるものがあり…。

私が就職したかった職場に入れたり、痩せて体質も内面もプラスに変わったりしたのは「食」のおかげ。さらにこの時、食は「人を良くする」と書くんだと気付き、「私は、命の恩人的存在でもある食で恩返ししなきゃ。こんなことしてたらダメだ」と、辞表を出したんです。
次の職を何も決めず、親にも誰にも言わず…。

カツカツの生活

先のことを考えず、せっかく入った職場を辞めるなんて、本当にバカな私ですが、まずは料理学校に通うことに決めました。
ただ、お金がないので、バイトもはじめることに。
さらに、学校とバイトの間をぬって、1人で食べ歩きもはじめました。その理由は、食の世界で生きるには、単に料理を作るだけではなく、食べ手の気持ちになったり、おもてなしを学んだりすることも必要だと思ったからです。

そして、再び学生風生活がスタートしたのですが、学費・レストラン代・洋服代等で、バイト代はカツカツ状態。。。よって、交通費を節約するしかないと、実は、当時住んでいた羽田からほぼ毎日、交通手段は徒歩だったんです…。
辛いといえば辛かったですが、「今頑張れば、きっと明るい未来が待ってる」と信じ、へこたれず歩いてましたね。

さらに、年頃の女子なら夜遊び盛りだと思いますが、一切遊ぶこともなく(全く夜遊びしたいと思わなかったですね。それどころじゃなかったからだと思いますが…。)、
バイトが終わって、歩いて帰る途中、スーパーの値下げ商品を買い、それをアレンジしてオリジナル料理を生み出すという地味な生活を送りながら時は過ぎ…。

軌道にのり始めた25歳

すると、とある日、バイト先のバーで、常連さんの出版社社長さんに
「なんでそんなに食べても太らないんや。昔太ってたなんて信じられん。それおもろいから、本にしたらええやん」とのお言葉を頂き、初の出版に至ることになったんです。

それが、過去の悲惨な三重苦話から痩せて今がある話を綴った「食べてキレイ。」というデビュー作本。(当時25歳)
この頃には、料理学校も卒業し、以来徐々に、私流「食べても太らない料理」の仕事依頼(特に雑誌や、カフェメニュー開発等)が増えたため、バイトも辞め、食の仕事のみで食べていけるようになりました。
26,27歳位にして、ようやく食の道への階段を一歩ずつのぼっていったんです。

〜フードクリエイター:園山 真希絵〜