チャクリキ代表 甘井もとゆきのファイティングスポーツはサイコー!

第3回「誰もが憧れる男の中の男、ピーター・アーツ」



ドージョーチャクリキの名を世界中に轟かせた選手は、誰が何と言ってもピーター・アーツです。日本では『K-1GP』を3度制覇したことで有名ですが、欧州ではもっと早くから注目されていた存在で、それ迄のキックボクシング界の帝王であったモーリス・スミス選手を2度に渡って倒し、特に再戦ではピーター選手の代名詞とも呼べるハイキックでKO勝ちを収め、「モーリスの時代からピーターの時代へ」と世界中の格闘技関係者に認識されました。

K-1での活躍は皆さまも知っている通りですが、現在、チャクリキ・ジャパンの館長であるノブ ハヤシ選手もピーター・アーツ選手らに憧れてオランダのチャクリキに入門したひとりです。

もっとも、その時には既にピーター選手はチャクリキを一時抜けており、それから3年後に熊本で開催されたK-1大会で「ピーター・アーツ vs ノブ ハヤシ」という対戦が実現するのですから運命とは数奇なものですね。

2009年12月5日、ノブ選手と私は横浜アリーナに居ました。

この年の1月にノブ選手は骨髄性白血病を発症、半年に及ぶ無菌室での抗ガン治療を行いました。その時期に何よりもノブ ハヤシに力強いメッセージを与え続けてくれたのが、このときよりチャクリキに復帰したピーター・アーツ選手でした。

私に「ノブに伝えてくれ。俺の友達で白血病を克服してリングに戻ってきた奴が居る。ノブならきっと大丈夫。信じていると伝えてくれ」と言葉を託したり、ノブの入院中はずっとK-1の会場で私の顔を見るなり病状を聞いてきました。

また試合後の勝利者TVインタビューでもノブ選手への激励のメッセージを語りました。あまりにも唐突だったのでこれはカットされてしまい残念でしたが、先輩として、戦友として、とにかくありとあらゆる方法でノブ選手を元気づけようと考えてくれました。

その時に私はピーター選手に憧れてチャクリキに入門したノブ ハヤシ選手の気持ちが解ると同時に、彼の選択が間違っていなかった事を感じました。

退院を果たしたノブ選手はピーター・アーツ選手のセコンドに付く為に横浜アリーナに来たのです。

ピーター・アーツ選手からチャクリキ&チーム・アーツの揃いのTシャツを受け取ったノブ選手は、試合の近づいたピーター選手らとともに、選手入場ゲート裏の薄暗いバックステージに移動しました。試合直前のピーターたちを見るノブ選手が私に言いました。

「甘井さん、見てください。これが僕の憧れ続けたチャクリキですよ」

僕たちの目の前にはアドバイスを続けるトム・ハーリック会長、黙々とアップを繰り返すピーター・アーツ選手、そしてピーターのコンディションを見ながら、入念に脚のマッサージ等を行うブランコ・シカティック選手が居ました。

1993〜1995年に第1回から第3回のK-1グランプリを3連覇独占したドージョーチャクリキのオリジナルメンバーです。約15年を経てこのチームがピーターのチャクリキ復帰により復活したのです。

ノブ選手に言われて私も感無量となりました。

歴史的な場所に立ち会っていると思いました。

ノブ ハヤシ選手は退院後、セコンドとしてこのメンバーと一緒に闘えて「ああ格闘技の世界に戻ってきたんだ」と、一番強く感じられたそうです。

試合は当時バリバリの伸び盛りであったグーカン・サキ選手を完封し、ピーター選手が勝利を収めました。

実はこれから3週間後、ノブ選手は白血病を再発し、二度目の今度はかなり長い入院生活を余儀なくされるのですが、この日の経験が更にノブ ハヤシ選手に難病と闘う力を与えてくれたと思います。

6年間におよぶノブ選手の白血病との闘いをずっと私は見続けてきましたが、チャクリキの家族たちが、格闘技界の仲間たちが与えてくれた力はとてつもなく大きかったです。改めて皆にお礼を言いたい気持ちであります。

チャクリキから離れている時代のピーター・アーツ選手に詳しいのが「K-1の特攻隊長」天田ヒロミ選手です。意外に知られていないのですが、天田選手のキックの師匠はピーター選手なのです。中央大学時代にアマチュアボクシング日本一となり、K-1にスカウトされた天田選手は、K-1での闘いに慣れるためオランダに渡りホテル暮らしをしながらピーター・アーツ選手と一緒に練習に励んだそうです。

やがて天田選手がホテル暮らしをしている事を知ったピーターは「お金が勿体無いだろう! 俺の家に一部屋余っているから、そこに下宿しろ」と天田選手を自宅に誘いました。

天田選手にとってはホテル代はK-1が払ってくれていたからホテルでも良かったのですが、熱心に親切にピーターが言ってくれるものだから、ピーターファミリーとの同居生活を始めたとか。ちょっとした内弟子ですね。

その後、2012年にはピーター・アーツ選手と天田ヒロミ選手が同時にIGFに参戦。プロレスとのミックスマッチで両選手がタッグを組むという、K-1時代には考えられなかったカードも実現しました。

試合に快勝した二人とセコンドで控室にて記念写真を撮ったのですが、ピーターはふざけて天田選手にヒザ蹴りを入れるポーズを取り、二人の仲の良さがわかる一枚になりました。



ピーターは皆が思う通り、他人に優しくて自分に厳しい男です。天田選手も一緒に練習していた頃、叱咤されて練習を強いられた記憶は無いそうです。むしろ天田選手が一通りのメニューを終えても、更にピーターが独り残って練習を続けている姿を何度も見て、彼の強さの一端を知ったとか。それでも週末には必ず天田選手を誘い、クラブなどで飲んで騒いだりしたそうです。気遣いの出来るサイコーの兄貴ですね。

ピーターの人間性に触れると、誰もが皆ピーターのファンになってしまいます。あの「番長」ジェロムも有明でのGLORY13で自分の試合が終わると、花道横に陣取ってピーターの応援に大声を挙げていました。
人に頼まれたら決して嫌とは言わずやってのける責任感の強い男です。

最後のK-1GPとなった2010年の準決勝ではボロボロの姿になりながらセーム・シュルトを破って決勝に進出。しかし額の傷が酷くドクターは棄権しての縫合を勧めましたが「俺が闘わないと皆が納得しないだろう?」と玉砕覚悟で決勝戦を闘い、壮絶に散りました。

K-1を支え続けた選手を一人挙げるなら、それは間違い無くピーターでしょう。

ピーターよりは私の方が年上なのですが、一時期いつも私はピーターに注意されておりました。

当時の私はヘビースモーカーで、煙草を吸う私の姿を見るとピーターは「アマイ、煙草は身体に悪いぞ。止めるべきだ」と何度も何度もたしなめてきました。それも怒るのではなく、私の健康を気遣って。

ピーターが相手の事を考えてアドバイスしてくれているのを知るようになった私は禁煙を決意致しました。そして2年、禁煙は続いております。しかしその代償として15kgも太ってしまいました。

今度会ったら「肥満は身体に悪いぞ」とたしなめられるかもしれませんね。

甘井もとゆき

PROFILE

1967年4月22日生まれ。ドージョーチャクリキ・ジャパン株式会社 代表取締役。オランダ・アムステルダムを本拠地とする格闘技道場の名門ドージョーチャクリキの日本代表。日本人選手のマネージメント、外国人選手の招聘、自主興行の開催などを通じ、ファイティングスポーツの世界に携わっている。

ドージョーチャクリキ・ジャパンHPhttp://www.chakuriki.jp/

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