中国の富裕層は健康のために積極的に運動 shutterstock.com

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 健康格差という言葉を聞いたことがありますか?例えば、貧困は、不衛生な環境や低栄養をもたらし、感染症の蔓延などを引きおこし、結果的に社会の中で貧富の差による大きな健康格差を生み出します。かつての日本もそうでしたし、今でも発展途上国では大きな問題です。しかし、これは、発展途上国だけの問題ではありません。経済が発展し、衛生環境も向上している、先進国でも、じつは、この健康格差は少なくなるどころか、むしろ広がっていることが明らかになりつつあります。

 ただ、先進国の健康格差は、飢餓や不衛生による感染症というよりは、生活習慣病、うつ病などの精神疾患も含んだ広く複雑な問題です。その原因も単純に貧富の差だけではなく、教育、職業、収入やその国や地域の社会、文化など多岐にわたります。

 生活習慣病対策が大きな課題の予防医学の分野で、この健康格差は「古くて新しい」問題として再び注目を浴びつつあります。たとえば、個人の所得や職業、受けた教育といった、社会経済学的ステータス(Socioeconomic status: SESと略します)が個人の運動量に関係することは、すでに分かっています。

 海外の先進国の研究では、SESの点数が低い集団(収入が低かったり、学歴が低かったりする人々を指します)は健康作りのための運動への取り組みが難しいことがわかっています。経済的、時間的余裕がないことが主な理由です。このように、世界的に見ても、効果的な生活習慣病対策、(日本でいうところの「メタボ対策」)は社会的な要因を無視しては進まないことは、すでに共通認識となりつつあるのです。

経済発展で家事労働にともなう運動量が減少

 運動と社会経済学的なステータスについて、最近中国から興味深い研究が発表されました。発表したのは、Wanghong Xu氏らの所属する複旦大学公衆衛生大学院(上海)と研究の舞台である嘉興市(上海から車で1時間ぐらいの近郊にあり、急速な都市化が進む地域です。)の疾病管理センターの研究者らから構成される共同研究チームです。筆者も以前より複旦大学公衆衛生大学院の研究者と共同研究を進めている縁でチームに加わりました。

 先進諸国では、運動は健康作りや仕事上で行うものが主です。一方、以前の中国では、仕事上のものに加えて、家事労働に伴う運動が大きな割合を占めていました。しかし、近年の経済発展により、様々な便利な機械(たとえば、全自動の洗濯機、高性能の掃除機など)が家庭に入ってくることにより、家事労働にともなう運動量が少なくなってきています。これは、まさに、発展の恩恵です。しかし、この経済発展の恩恵は急激に格差の広がる中国で、平等に人々に行き渡っているでしょうか?共同研究チームはこの現状を明らかにするために、研究プロジェクトを立ち上げたのです。

 社会経済的なステータスによって、恩恵の度合いが変わってくることが研究によって分かったのです。具体的には、SESの点数が高い人(収入が多く、学歴が高いなど社会的なステータスが高いことを意味しています)は、健康作りのための運動には積極的でSESが低い人の約9倍運動していました。一方、家事労働もSESの高い人たちと、低い人たちで大きく異なりました。SESの高い人は9.7メッツ・時とSESが低い人の約半分だったのです。

 この研究では、社会的ステータスによって、人々の運動の量も、質も違うことが分かりました。SESの低い人たちは、家事労働中心の「発展途上国型の運動スタイル」のままのようです。

健康格差に高齢化社会が加わるとどうなる?

 最近、筆者はほぼ毎年、共同研究のため上海を訪れています。そして、予防医療の現場を見て回っています。そして、訪れる度に、中国が生活習慣病の予防に強烈に力を入れ始めていることを強く感じます。

 特筆すべきは、実務、研究を問わず、予防医療分野に有望な若手人材が集まってきていることです。研究論文の筆頭著者のMingling Chen氏もその一人です。彼女は四川大学を卒業し、複旦大学公衆衛生大学院の修士課程で学んでいる学生です。研究への意識も高く、昨年、筆者の前任の山形大学に研究をさらに進めるため1ヶ月滞在しました。筆者も、その意欲と、優秀さに舌を巻きました。

 「健康格差」は、日本にとっても決して人ごとではありません。すでに日本からもSESの低い人々は、喫煙や運動不足といった好ましくない生活習慣病を持つことが報告されています。さらには、がん検診の受診率も収入の低い人々は高い人々と比べると約半分であることも報告されています。よって、我が国でもSESは健康行動や検診・健診の受診の違いによって、疾患の罹患率や死亡に影響を与えている可能性は高いでしょう。

 今回の研究では中国の先進国化の恩恵が受けられる人々と受けられない人々で「健康格差」が生まれていることが分かりました。中国の先進国化の次に待ち受けるのは高齢化社会です。社会的格差大きい社会が、高齢化社会を迎えれば、さらに大きな「健康格差」が生じる可能性が高いでしょう。

 しかし、それを克服するための対策を中国は強力に、かつ戦略的に、推し進めるはずです。これは、目立ちませんが、しかし、しっかりと「健康格差」が存在する日本にも必ず参考になるでしょう。中国の行き先から当面、目が離せません。

成松 宏人(なりまつ・ひろと)
神奈川県立がんセンター臨床研究所 がん予防・情報学部部長、医学博士

※編集部注:メッツ・時 身体活動の量を表す単位。身体活動の強度(メッツ)に身体活動の実施時間(時)をかけたもの。

※参考文献
1) 今回紹介した研究です。無料で閲覧できます。
Chen M, Wu Y, Narimatsu H, Li X, Wang C, Luo J, Zhao G, Chen Z, Xu W. Socioeconomic Status and Physical Activity in Chinese Adults: A Report from a Community-Based Survey in Jiaxing, China. PLoS One. 2015;10(7):e0132918.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/26177205
2) 近藤克則著 「健康格差社会」 医学書院
3) 近藤克典編集 「検証 健康格差社会」 医学書院
4) 福田吉治,今井博久 日本における「健康格差」研究の現状 J. Natl. Inst. Public Health, 56(2), 56-62 : 2007

(2015年9月4日 MRICより転載)