かつて日本において、世界最高水準の闘いが繰り広げられていた。
 “人類60億分の1の最強を決める!”
 そんな売り文句にも、格闘技ファンは疑問を差し挟むことなく、ただ心を躍らせた。2004年の大みそかに開催された『PRIDE男祭り』のメーンイベントは、エメリヤーエンコ・ヒョードルとアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラの一戦だった。
 「当時、すでにアメリカでは『UFC』が人気を誇っていたが、PRIDEは決して引けを取らないどころか、ヘビー級においてはそのレベルで上回っていました」(格闘技ライター)

 その事実は'07年のPRIDE崩壊後、すぐにノゲイラやミルコ・クロコップなどPRIDEのトップ選手が、UFCのリングで活躍してみせたことでも裏付けられている。また、ヒョードルも別大会で、元UFC王者のティム・シルビアやアンドレイ・アルロフスキーに圧勝している。
 身長191センチの巨漢でありながら寝技を使いこなすノゲイラは、“柔術マジシャン”としてのイメージが強い。しかし、実際にはボクシング技術にも長けたコンプリート・ファイターである。逆に強烈な打撃の印象が強いヒョードルは、そのバックボーンが柔道とサンボで、そちらの実績でも世界レベルにあった。
 '02年、向かうところ敵なしだったボブ・サップに腕ひしぎ十字固めを極め、見事な一本勝ちを収めたノゲイラ。一方、永田裕志や小川直也ら人気プロレスラーを相手に、何もさせず完封勝ちしたヒョードル。実力、実績、印象度、いずれ劣らぬ両者の対戦は、まさに世界一決定戦の名にふさわしいものとなった。

 2人の初対決は'03年3月、ノゲイラの持つPRIDEヘビー級王座にヒョードルが挑戦した試合で、ヒョードルがスタンド、グラウンドともにノゲイラを打撃で圧倒。3対0の判定で勝利を収めている。
 翌'04年、PRIDEグランプリ決勝戦が再戦の舞台となったが、このときは偶然のバッティングによりヒョードルが眉の上から出血し、ノーコンテスト。そうした経緯もあって、まさに'04年の大みそかは完全決着戦であった。

 試合開始のゴングから早々、ノゲイラが片足タックルでヒョードルを捕える。しかし、ヒョードルはこれを押し潰すように倒してグラウンドへ移行すると、ノゲイラがガードポジションをとるのもお構いなしに、振りかぶってのパウンドを全力で浴びせる。
 両者の一挙手一投足に観客は酔いしれ、会場のさいたまスーパーアリーナは大歓声に揺れた。
 ノゲイラもやられるばかりではない。パウンドを狙うヒョードルの態勢を下から崩しつつ、隙あらば関節技を繰り出していく。
 アームロックにオモプラッタ、三角締め。いずれも極まったかに見える切れ味ながら、ヒョードルは強靭な体幹の力でこれらを切り返し、さらにパウンドの雨を降らせる。
 「3ラウンドを通してみれば、終始ガードポジションのノゲイラに、ヒョードルが上から殴りかかるという構図ではありましたが、両者とも膠着する瞬間が一切なかった。そのあたりが並みの選手と違うところで、どちらかが隙を見せれば瞬時に試合が終わってしまう。そんな緊張感に満ちていました」(スポーツ紙記者)
 それは客席にも伝わり、時間切れになるまで歓声がやむことはなかった。
 結果は3対0の判定でヒョードルの勝利。パウンドでノゲイラが出血したことから、この判定も仕方はないが、両者の実力が高いレベルで拮抗していることは明らかだった。

 この試合が行われたのは、わずか10年ほど前だが、今や隔世の感がある。世界最高峰の舞台であったPRIDEが、それから2年ほどして崩壊に至るとは、当時の関係者や観客は思いもよらなかっただろう。
 「PRIDE終焉の理由は、週刊誌に出たヤクザ絡みのスキャンダルと思われていますが、実際は異なります。UFCが巨大な資金で選手を押さえたため、興行的に立ち行かなくなり、経営権ごと売り渡したというのが真相です」(前出・格闘技ライター)

 日本での総合格闘技において、対戦カードとしても人気面でも、このヒョードルvsノゲイラがピークだったのだ。