【女子ユニバーシアード日本代表監督・萩原美樹子インタビュー@前編】

 今年7月に韓国・光州で行なわれた「第28回・夏季ユニバーシアード競技大会」で、バスケットボール女子ユニバーシアード日本代表は20年ぶりに予選ラウンドを突破し、最終的に世界4位という快挙を成し遂げた。チームを率いたのは、1990年代後半に日本人初のWNBA選手としてアメリカでプレーした萩原美樹子ヘッドコーチ。体格の大きさで負ける「小さいチーム」が、なぜ強豪相手に勝利することができたのか。身長の低いチームが世界で勝つ方法を聞いた ――。

―― バスケットボールの強豪国とは平均身長で20センチ近く低い「平均174センチのチーム」が、いかにして快挙を成し遂げたのかを聞かせてください。

萩原美樹子(以下、萩原):まず、今回のユニバーシアードで好成績を残せた前提として、2013年の大会からJBA(日本バスケットボール協会)の女子強化部の強化方針が、「大卒2年目までの実業団の選手を派遣する」ということになったことが挙げられると思います。「大学生のための大会」だったのが、「ジャパンにつながる強化」と位置づけられたことで、より多くの選手のなかからメンバーを選考することができたんです。

―― ただ、昨年11月に日本はFIBA(国際バスケットボール連盟)から国際大会出場禁止などの制裁を受けたことで、活動が制限された面もあったのでは?

萩原:大会前に2度の海外遠征を予定していたのですが、キャンセルすることになってしまいました。ただ、私自身がタスクフォース(日本バスケットボール協会改革チーム)のメンバーだったこともあり、タスクフォースの一員でFIBAから派遣されたインゴ・ヴァイス氏に、「ユニバーシアードに向けて準備してくれていい。(ユニバーシアードに)出られると思ってもらってかまわない」とおっしゃっていただけたのは心強かったです。

―― 国際試合を戦うために、選手選考で重視したのはどんな部分でしたか?

萩原:『フィジカル』『シュート力』『経験値』の3項目を重視しました。特にフィジカルに関しては、背が低いのはどうしようもない。ただ、小さくてもコンタクトを嫌がらなければ、背が高い選手を相手にしても何とかなる面がある。日本の選手は、ややもすると、「かわすプレーがよいプレー」だと思っています。でも、バスケットはエリアの奪い合い、肉弾戦の要素が間違いなくある。なので、ぶつかり合いに負けないフィジカルの強さ、接触を嫌がらないメンタルの強さを持った選手かどうかを重視しました。

―― チーム最高身長の選手(184センチ)をスターターで起用しなかったそうですが、その意図は?

萩原:今年5月に実業団と試合をさせてもらったんですが、高さに高さで対抗しようと、最初はセンター2枚をスターターで起用したんです。そうすると、オフェンスがうまく機能せず、得点が伸びませんでした。悩んだのですが、私自身が海外でプレーした経験、アンダーカテゴリーでアシスタントコーチをさせていただいた経験から考えると、やはり日本の強みは「アウトサイド」なんです。いいシューターもいる。だったら、より小さなチームになろうと、アウトサイドの得点力を生かすことを優先しようと考えましたね。

―― 弱点を補うよりも、ストロングポイントを強調したと。

萩原:そうです。大きなチームに対抗するために、「小さかったら平面的に賢く動こう」をテーマにしました。オフェンスでは、とにかくドライブして残りの4人が合わせる。日本が小さいから「そのスタイルでしか戦えない」と考えるのではなく、他の国には絶対にできないスタイルなのだから、それは自分たちだけの武器、強みと考えたんです。

―― 今回の大会に臨むにあたって、具体的な目標は?

萩原:ベスト8でした。

―― 予選リーグは、スウェーデン、ロシア、メキシコと同組でした。

萩原:(3試合目の)メキシコには白星が計算できるので、「初戦のスウェーデンに絶対勝とう」と照準を合わせました。前回大会、予選リーグの初戦でボロ負けし、その後チームが良くなっていったんですが、それじゃダメ。最初から最高の結果を出さないと、予選リーグ突破はできない。だから、まずは初戦に全部をぶつけました。

―― その結果、スウェーデンに勝利。ロシアに敗れたものの2勝1敗で予選リーグを突破して目標を達成しました。選手のモチベーションは、どうやって維持しましたか?

萩原:「準決勝進出って、すごくいい響きだよね」って声をかけました(笑)。ただ、コーチ陣も選手も、「このチーム、面白いな」って思い始めていたんです。選手個々のアジャスト能力が高く、要求することに即座に応えられるポテンシャルの高いチームだなって。

―― ただ、準々決勝は195センチの選手が3人もいる強豪オーストラリアでした。

萩原:隙のない、いいチームでしたね。バスケットの緻密さという面では、優勝したアメリカよりも上だったと思います。そんなチームが相手なので、「どうせ負けるなら、何でもやっちゃおうよ。いろんなことやってみよう」と、ある意味で開き直ったんです。ディフェンスを変えてみたり、できることはすべてやりました。

―― それが83対71での勝利につながった?

萩原:最初に、「あれ!? おかしいな?」って相手に思わせることができたら、もしかしたらいけるかもしれないと思っていたのですが、そのとおりの展開になりましたね。一度傾いた流れは簡単にはひっくり返らないことがある。それがボールゲームの醍醐味のひとつだと思います。ただ、もう1回やったら負けると思います。たぶん、勝てるのは10回やって2回くらいでしょう。

―― 準決勝のアメリカ戦で重視したのは?

萩原:(アメリカ代表は)身長が高く、さらに個人能力も高い。走って跳べる選手が揃っていました。アメリカのブレイク(攻撃)になったら、とにかくひとりでも早く(自陣に)戻ること、相手のセカンドチャンスを1本でも減らすことを心がけましたね。

―― なるほど。

萩原:メダルを獲るということを重視するなら、「3位決定戦のために主力選手の疲労を最小限に抑える」という戦い方も、選択肢としてはあったんです。スタッフで話し合い、最終的にガチンコでいこうと決めましたが、正直迷いました。

―― アメリカ戦はダブルオーバータイムの末、98対102で惜しくも敗れました。

萩原:結果論ですけど、勝てる可能性はあったんです。第1クォーターで30対16とリードすると、アメリカが第2クォーターでゾーンを組んだんです。そこで攻めあぐねた時間帯がありました。もう少しうまく対応できていれば、結果は違ったかなと。

―― 3位決定戦のロシア戦は、さすがに疲労困ぱいでしたね。

萩原:アメリカ戦が終わったのが午後11時半。3位決定戦の開始が翌日の午後9時でした。言い訳でしかないですが、せめて1日休みがあれば......という思いはありましたね。

―― この大会で選手が、そして萩原ヘッドコーチが得たものはなんでしょうか?

萩原:世代最高峰の大会で4位という結果が残せたのは、選手にとって自信になったと思います。主力だった篠崎澪(富士通レッドウェーブ)、近藤楓(トヨタ自動車アンテロープス)の2選手はフル代表にノミネートされました。近藤は残念ながら参加できませんでしたが、篠崎は現在行なわれているリオ予選に出場して活躍しています。もちろんコーチごとの考え方によって戦術は違ってくると思いますが、私自身、外から切れ込んで残りの選手が合わせるという戦い方で結果を出せたことで、『小さいチームでも戦い方次第ではやれる』ということを確信でき、嬉しく思います。

(後編につづく)


【profile】
萩原美樹子(はぎわら・みきこ)
1970年4月17日生まれ、福島県福島市出身。高校卒業後の1989年、共同石油に入社。1993年から4年連続で得点王に輝き、1996年のアトランタ五輪に出場する。1997年にWNBAドラフト2巡目全体14位指名を受け、サクラメント・モナークスに入団。日本人初のWNBA選手となる。1999年に現役を引退。2004年のアテネ五輪では女子日本代表チームのアシスタントコーチを務め、2013年に女子ユニバーシアード日本代表チームのヘッドコーチに就任。現役時代のポジションはフォワード。

水野光博●取材・文 text by Mizuno Mitsuhiro