“万年2部”と揶揄されていたマインツだが、近年は中堅クラブとしてブンデスリーガ1部に定着。近年はクロップ、トゥヘルとふたりの名将を輩出。写真:Getty Images

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 今夏、武藤嘉紀がFC東京から移籍したブンデスリーガ1部のマインツとは、一体どんなクラブなのか?  近年、思い切った策を次々と打ち出し1部リーグに定着。フロントの時代を読むセンスは鋭く、その一貫で武藤の獲得にも至ったという。  そんなクラブのリアルな実情を、現地の名物記者がレポートする。 ――◆――◆――◆――◆――  マインツは長い間、アマチュアの3部リーグとブンデス2部を行き来し、サッカーに関しては州都らしからぬマイナスイメージを持たれていた。マインツがブンデスリーガに昇格することなど永遠に有り得ないだろうと腹をくくっている地元の人々も決して少なくなかった。  大きな転機をもたらしたのが、ユルゲン・クロップだった。2001年2月、マインツで11年間に渡る現役生活を終えた長身DF(FW登録の時もあった)は、そのまま2部から3部への“再降格”のピンチに瀕していたトップチームの監督に抜擢される。  するとクロップは18チーム中14位と、辛うじてチームを残留に導く。  ここがマインツとクロップのターニングポイントになった。  その後は血を入れ替えてチーム内の活性化を図り、2シーズン続けて、1部昇格まであと一歩の4位で終える。そして03-04シーズンに3位に入り、クラブ誕生から100年目の節目に史上初のブンデスリーガへの仲間入りを果たしたのだ。  異例の33歳という若さで監督に就任したクロップは、さっそく改革を施す。  95年にフランクフルト大のスポーツ科学(おもにスポーツ心理学)を修了した彼は、選手のモチベーションをいかにして効果的に上げるか、バラバラな個の特長をいかに組織としてまとめ上げるかなど、論理的に現場で取り組んだ。  その人柄の良さも手伝って、選手たちの根本的な精神面からの立て直しに成功したのだ。  とはいえ、本拠地のブルッフヴェクシュタディオンは2万300人収容と小規模で、経営基盤も脆弱である。そのバックボーンを鑑みれば、この幸運も1年限りだろうと多くの人が予想したものだ。  しかし、マインツは違った。   クロップの情熱とフロントの大胆な戦略、そして選手の漲るモチベーションが共鳴し、一度は運営上の失敗から降格したものの、むしろその経験をもその後のクラブづくりに活かし、09-10シーズンからは中堅クラブとしての地位を固めている。  穏やかな紳士であるハラルド・シュトルツ会長は1988年に現職に就き、実に28シーズン目を迎えた。 
 兄のヴァルター氏は、FDP(自由民主党)党員として、ラインラント=プファルツ州の議員を務めた経歴を持つ。父も同じく政治家だった。  また、クリスティアン・ハイデルGM(ゼネラルマネジャー)は生まれも育ちもマインツで、自動車ディーラーを経て92年にフロント入り。“マインツ愛”は相当で、06年まではノーギャラでマネージャーをしていた。  これだけ長い間、フロントの2トップが変わらないクラブは決して多くはない。経営とチームづくりの酸いも甘いも知る息の合うコンビだからこそ、思い切った決定を下せてきたと言える。  契約期間を設けない「永久監督」の待遇だったクロップだが、08年、当時低迷していたドルトムントに引き抜かれる。後任にはヨルン・アンデルセンが就き、クラブを1部復帰に導く。  しかし09年の開幕直前、マインツはアマチュアのリューベックに敗れる大失態を演じると、フロントはこのノルウェー人監督を電撃解任する決断を下す。代わって直前にユースチーム(マインツU-19)を全国優勝させたトーマス・トゥヘルを、新指揮官として昇格させたのだ。  33歳のクロップと36歳のトゥヘルの大抜擢――。共通するのが、フロントの決断の早さだった。 「いずれトップチームの監督を務める人材」と判断すれば、他クラブにヘッドハントされる前に、即起用してきた。  とはいえ、アマチュアチームでの指導経験しかないトゥヘルの手腕は、当初懐疑的に見られていた。ただしテクニックと運動量をベースとした戦いを理想に掲げるクラブにあって、戦術に関する豊富な知識と引き出しを持ち合わせる彼は、チーム力を高めるには、うってつけの人材と言えた。  シュトルツ会長とハイデルGMから全幅の信頼を寄せられた指揮官の下、10-11シーズンには、首位に立って6節の王者バイエルンをアウェーで撃破する。マインツはこの時点で、バイエルンに勝点10差まで広げるセンセーションを巻き起こしたのだ。  最終的に過去最高の5位で終え、翌シーズンのヨーロッパリーグに初めて参戦。(前指揮官のクロップ率いるドルトムントが旋風を巻き起こしたのも手伝って)欧州でも知られる存在になっていった。  また11年7月には、郊外に近代的スタジアムのコファス・アレーナが完成する。3万4000人収容と集客力がアップし、クラブの収入も大幅に増えた。  一方、マインツはクロップ体制時から、育成型クラブとしてのスタンスを貫く。