『岡田斗司夫の愛人になった彼女とならなかった私 サークルクラッシャーの恋愛論 』(コア新書)

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 昨年末から今年にかけてネット上を賑わせた、岡田斗司夫の愛人騒動。キスプリクラにはじまって、「巨乳度」「床上手・名器度」といったゲスの極みのような項目をならべた「愛人リスト」まで流出し、客員教授をつとめていた大阪芸術大学もクビになってしまった。

 しかし、この騒動に触れた人のなかには、こんな疑問をもった人も少なくないだろう。それは「どうして岡田斗司夫が若い女の子にモテることができたのか?」あるいは「どうして若い女の子たちは岡田斗司夫に落ちたのか」という"大いなる謎"だ。そうした謎に答えているのが、8月はじめに発売された『岡田斗司夫の愛人になった彼女とならなかった私 サークルクラッシャーの恋愛論』(コア新書)である。

 ただ注意が必要なのは、タイトルでついつい勘違いしてしまうが、じつは本書の著者・鶉まどか氏は岡田斗司夫に引っかかったわけではない。別の〈ある文化人〉から、岡田氏と似たかたちで接近されたらしい。彼女はその人物を「先生」と呼ぶのだが、まずは「先生」の手口を見てみよう。

 もともと「先生」のファンだった彼女は、24歳のときに「先生」が出演するイベントに参加、質疑応答コーナーで手も挙げていないのに「きみは何か質問はない?」と指名され、イベント終了後には「きみは面白いね」と言われてLINEのIDを交換した。さらに家まで車で送ると言い、一晩のあいだに「先生」から届いたLINEのメッセージは20件。その中身はほとんどが彼の著作物で、「感想が欲しい」と書かれていたという。

 彼女が一生懸命になって感想を返せば、「先生」も即座にレスポンスする......。そこには〈同年代の男の子とのやりとりのなかでは味わえない、知的好奇心を存分に満たされるような快楽があった〉と振り返る彼女。これは暴露された岡田氏の手口とたしかによく似ているものだ。

 しかし、はじめてのデートで彼女はすっかり熱が冷める。それは「先生」の一言にあった。「全てを知りたい。幸せになるための手伝いをさせてほしい」と言いながら〈服の隙間から手を入れられた〉とき、咄嗟にその手を払いのけた彼女に「先生」が言った言葉だ。

「そうやって、他者を受け入れない態度がきみを不幸せにしていくんだよ」

 この、悪魔の呪文のような言葉もまた岡田氏と共通する点だ。岡田氏の場合、ネット上で暴露された話だと相手を言葉巧みに洗脳して性的関係に持ち込んでいた節がうかがえる。著者の相手である「先生」も同様に、言葉によって追い込むという手を使っていたのだろう。だが、彼女はこの言葉によって目が覚めた。「所詮ヤりたいだけじゃんか、このオッサン」と、真実に気付けたのだ。

 とはいえ、こうしたオッサンにロックオンされた女性すべてが、こうした悪魔の呪文に抗えるわけではない。なにせ相手は憧れだった人なのである。嫌われたくないと思ってしまえば、もうあとは身体を許すしか道はない。きっと岡田氏も、そしてこの「先生」も、何十人、もしかすると何百人もの女性を落としてきたのだろう。

 では、どうして彼女はたった一言で目が覚ますことができたのか。それは彼女が「サークルクラッシャー」だったからだ。

 サークルクラッッシュというのは、〈男性の比率が高いコミュニティ〉において複数の男性が「紅一点」に好意を寄せ、サークルが消滅に追い込まれる状態。すなわち、クラッシュの原因となる「紅一点」がサークルクラッシャーと呼ばれる。サークルクラッシャーの多くは〈ただ単に天然で、そこに存在しているだけで男たちに愛されてしま〉う「無意識型」だが、著者は「意識型」、つまり〈意図的に相手が自分のことを好きになるよう仕向ける〉策士だった。

 彼女が意識してサークルクラッシャーとして活動していた目的は、〈相手が好きになってくれたという事実が欲しい、ひとまずはそれだけ〉である。母親との関係から「優しさに飢えていた」という彼女は、〈幼い頃から抱え続けた「誰かに優しくされたい」という承認欲求〉を満たす手段としてサークルクラッシャーとなった。だから著者は「自分をまるごと受け入れようとする相手には必ず裏がある」と知っていた。「先生」に引っかからなかったのは、そのためなのだ。

 ここで著者の話の裏を返せば、岡田斗司夫の愛人騒動というのは何も女性だけの問題ではない、ということだろう。騒動時には「愛人になる女がアホ」という意見が散見されたが、著者のような確信犯のサークルクラッシャーがこの世に存在するわけで、そうなれば男だって承認欲求を満たすためのオモチャになってしまう可能性がある。

 しかも著者の体験談を読むと、サークルクラッシャーに引っかかる「クラッシャられ」の数はかなり多いと思われる。彼らは〈恋愛を含む人間関係全般についての経験が極めて乏しく、そのため傷つくことを過剰に恐れ、受け身がちな態度となってしまった男性〉であり、確信犯である著者のような女性の手にかかれば、早ければたった1日であっさり愛を告白してしまう。

 というのも、「クラッシャられ」には大きな特徴があるからだ。それは〈恋愛をしたくないのではなくて、恋愛に紐づくそのほかの面倒くさいことをしたくない〉ということである。

〈デートには行きたいけれど、インターネットで美味しいレストランを調べて、その場所を相手に提案するということはしたくない。楽しくおしゃべりしたいけれど、共通の話題を探り、会話のきっかけを作るということはしたくない。複数回デートを重ねてお互いを良く知ってから告白なんてまどろっこしい。さっさと彼女にしてしまいたい〉

 岡田氏や「先生」が、自分のファンである若い女子たちの知的好奇心をくすぐり、肯定を与えることで籠絡したように、クラッシャーの女性は"恋愛はしたいけど工程が面倒くさい"という恋愛童貞の心理を掴み、すべてをお膳立てする。結果、それはもう面白いくらいに、いとも簡単に男性たちは彼女に撃ち落とされまくっている。

「先生」に騙されず、そして恋愛童貞たちを騙してきたという著者は、その経験からこう警鐘を鳴らす。

〈彼ら彼女らは、愛される存在としての「自分」を演出してくれるかもしれないし、「自分」にとっての心の居場所を提供してくれるかもしれない。しかし、悲しいかな、甘い幻想には必ず裏があって、そのことを理解しないかぎり、いずれまた同じタイプの異性に引っ掛かってしまうだろう〉

 こうした著者からのメッセージは、たしかに多くの人にとって〈恋愛における本質的なリスクヘッジ〉になるかもしれない。ただ、本書で気になったのは、いくら男性の心をもて遊んできたとはいえ、著者はそれでも「先生」や岡田氏とは決定的に違う、という点だ。

 著者は愛してほしい、好かれたいという承認欲求からクラッシュを繰り返してきたが、かたや岡田氏や「先生」といったオッサンたちが欲していたのは〈セックスをした女の数〉に過ぎない。そして彼らは、著者のような若い女性からの承認を求めていたのではなく、誰かに"性的強者の自分を誇りたかった"だけではないのだろうか。それは無論、男に対して、である。男同士のパワーゲームのために若い女子を数と見なして"ヤレればOK"とする思考を受容することは、到底できない。だから、岡田斗司夫の愛人騒動はここまで多くの人の怒りを買ったのではないかと思うのだ。

 ちなみに著者は「先生」について、「実名をあげるつもりはありませんが、まぁその学術分野では大変に有名な方です(笑)」とインタビューで答えている。リスクヘッジを謳うなら、被害者を減らすためにも、ぜひ実名を挙げてもらえればよかったのだが......。
(本田コッペ)