映画「進撃の巨人」公式サイトより

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 映画批評サイト「超映画批評」が進撃の巨人の酷評を書いたところ、映画版のスタッフがこれに反応して失言し、炎上騒ぎになったことがありました。

 それで一時は、スタッフを叩いたりする流れもあったわけですが、個人的には作品と作り手は切り離して考えるべきだと思っています。作り手が聖人だろうが凶悪テロリストだろうが、良いものは良い、悪いものは悪いで、失言など全くどうでもいいです。

 だってあなた、作り手の失言に気を悪くして作品が楽しめないなんて、他の誰でもないあなた自身の損失じゃないですか。モッタイナイ。

 さておき、では、100点満点中40点を付けた超映画批評の批評が、それほどの酷評かと言うと……。いや、これ、よく出来た批評に思えますね。良い所はちゃんと評価し、悪いところは悪いと言っている。

 超映画批評の前田有一氏は「巨人の登場シーンは大迫力」と書いているけど、僕もこれには全く同感。原作のあの巨人の不気味さを、あれを実写で、しかも日本人の役者で、よくあそこまで表現できたものです。この一点だけでも映画化した価値はある。

バカがバカなことをやっているさまを見せつけられる映画

 で、問題はやはり脚本ですね……。前田氏も書いている通り、

もちろん訓練不足の寄せ集めという設定なのはわかる。だが1分前のおかあさんのいいつけレベルも守れないのはそれ以前の問題だろう。調査兵団は2歳の赤ちゃん以下か。

 登場人物の行動が何かおかしいんですよ。

 人類の命運を賭けた最後の大作戦で、周りには巨人がウロウロしている超危険地帯の真っ只中。いつ襲われてもおかしくない一刻を争う状況で、仲間たちが必死に物資の積み込みをしている一方、主人公やバカップル兵士たちは何故かいんぐりもんぐりをおっぱじめ、そんな呑気なことしてるから、巨人に襲われて作戦が瓦解するという……。

 なぜいんぐりもんぐりしているのか? なぜ物資の積み込みを手伝ったり、巨人の接近を見張ったりしないのか?

 他にも、赤ちゃんの泣き声(明らかに不自然!)を聞いたからといって行軍から離れて探しに行って壊滅の危機を招いたり、有効打になりえないはずの弓矢をなぜか携行したり、人類の命運を賭けた最後の火薬を使って無意味な自爆心中を企てるなど、この映画は概ね「バカがバカなことをやってるさまを延々見せつけられる映画」になっています。前田氏が辟易する気持ちもよく分かる。

 しかし、一方で、この脚本を評価している人もいます。

 こちらでは「童貞」というキーワードで、この映画の筋書きに対し見事な解釈を与えています。先の謎のいんぐりもんぐりシーンの意味合いも説明されており、いわく「上官が幼なじみのミカサといんぐりもんぐりしている事実に愕然とした童貞の主人公が、都合良く迫ってきたシングルマザーでとりあえず童貞を捨てようとしたシーン」とのこと。

 童貞のやり場のない焦りと葛藤、どうしょうもない悩みが描かれた上で、上官のシキシマから「(立体機動装置で)飛べ」と言われる。それを主人公の「(現状を脱却する)飛躍」と重ねているのだ、と言われると、なるほど、と頷きたくなるところがあります。

 そう考えると、あの謎のいんぐりもんぐりシーンにも必然性を感じられてくる……。「ウケそうだし、なんとなく恋愛要素入れとくべ」ではなく、ちゃんと表現したいことを表現するためのシーンだったのかもしれません。

 が、それでも。人類の命運を賭けた一大作戦の最中にいんぐりもんぐりして壊滅する様は「アホ」の一言です。たとえ作り手側にそのような「表現したいもの」があったとしても、不自然な描写であることに変わりはありません。「表現したいもの」を優先したあまり、リアリティが全く疎かになっている。アホにしか見えない。

 僕も作家ですから、表現したいものとリアリティのトレードオフは重々承知しています。リアリティを重視して不自然な展開を排除していって、その結果、雁字搦めになって描きたいものが描けなかった、というのでは本末転倒です。時には不自然さを押してでも描きたいものを描く必要があります。ですが、それはギリギリのせめぎあいの末に断腸の思いでそう決断すべきものだとも思うのです。

 リアリティは重視したい、不自然な展開は描きたくない、けれどこのシーンはどうしても描きたい……。せめて不自然さを軽減しようと、ギリギリまで足掻いて足掻いて、それでもどうしても不自然な箇所が少しだけ残ってしまう。それを大変に恥ずかしく思いながら、蛮勇振るって公開に踏み切る。

 本来そういうものだと思うのですが、本作はどこまで「ちゃんと足掻いたのか」? もっと足掻けるんじゃね、と思われても仕方のないレベルで不自然さが放置されています。スタッフは本当にこれで満足してるの?

 まあ映画ともなると、動く人間もカネも莫大ですから、スタッフがもっとしっかり足掻きたいと思っていても、様々な事情や思惑でロクに足掻けない、作り手自身も愕然とするような酷いものしか作れない、ということは往々にしてあるでしょう。様々な「駄作」の裏事情を聞いていると、「俺だってこれでいいとは思ってなかった。けれど、こうする以外に許されなかったんだ」といった話がよくあります。

 しかし、他の名作と呼ばれている映画たちが、そういった問題をも乗り越えて(もしくは、運良く悩まされず)名作を作ってきたことを考えると、実際にその点で失敗した「進撃の巨人」が酷評を受けるのも仕方のないところでしょう。

 ただ、前田氏も言っているように、登場人物のバカさも含めて後半の伏線という可能性は残されています(原作のニュアンスを考えるとあながち無いとも言い切れない)。ここまで全て計算づくであって欲しいものですね。

著者プロフィール

作家

架神恭介

広島県出身。早稲田大学第一文学部卒業。『戦闘破壊学園ダンゲロス』で第3回講談社BOX新人賞を受賞し、小説家デビュー。漫画原作や動画制作、パンクロックなど多岐に活動。近著に『仁義なきキリスト教史』(筑摩書房)