「やっぱり、今の彼は強すぎる。彼に敵う選手がいないのが現状なので、僕も含めて、彼を倒すことがトップ10選手の目標かなと思います」

 錦織圭にここまで言わしめた「彼」とは、世界ランキング1位にして、年間ポイント獲得レースでもトップを独走するノバク・ジョコビッチ(セルビア)だ。今季の優勝もすでに6大会を数え、しかもそのすべてがグランドスラム2大会を含むマスターズ1000以上のグレードのトーナメント。「強すぎる」という錦織の言葉には、誇張も先入観もない。

 しかし、この夏に限っていえば、そのジョコビッチの「独裁体制」に多少の揺らぎが見え始めている。ウインブルドン優勝後に休養とトレーニング期間を設け、満を持して出場した8月上旬のモントリオール・マスターズは、決勝でアンディ・マリー(イギリス)に約2年ぶりに敗れて準優勝。翌週のシンシナティ・マスターズでも、やはり決勝でロジャー・フェデラー(スイス)にストレートで敗れた。まだ獲得ポイントに大きな開きがあるため、世界1位の座は安泰だが、上位陣による「ジョコビッチ包囲網」は徐々に狭まりつつある。

「2年ぶりの勝利」を強調されると、マリーはいつもの抑揚のない声のトーンに、幾分情感を込めて言った。

「去年の僕はノバクだけでなく、ほとんどのトップ選手に勝てていない。それは、腰の手術から完全に復調するまで時間を必要としたからだ」

 マリーは2013年の9月に手術を受け、2014年の1月まで戦線を離脱。復帰してからは安定した成績を残しながらも、本来の彼らしいフットワークやリターンの切れを欠いていた。特に昨年末にロンドンで行なわれたATPツアーファイナルでは、これまで負けのなかった錦織に初の敗戦を喫し、フェデラーには0−6、1−6と1時間未満で完敗。地元メディアやファンたちから厳しく糾弾され、「女(元女子世界1位のアメリ・モレスモ)をコーチなんかにするからだ」と心ない言葉も浴びせられた。

 それでも彼は、「以前の状態に戻るには時間が必要なだけ」と言い続け、今年1月の全豪オープンでは決勝進出で自らの言葉を証明。今年もジョコビッチには4連敗中であったが、いずれも接戦に持ち込んでいた。

 今季のマリーは、従来よりもさらに速いタイミングでボールを捕らえ、特にダウンザライン(サイドラインに沿って打ち返すストレートの打球)に叩き込むバックハンドのストロークが、躍進への大きな武器となっている。それらの武器をたずさえ、今年5度目の対戦(モントリオール・マスターズ決勝)にして、ついにライバルに3時間の死闘の末、競り勝った。

 そして、このマリー以上に鮮烈なインパクトを残したのが、体力温存のためにモントリオールを欠場し、万全を期してシンシナティに挑んだフェデラーだ。あまりに万全を期しすぎたか、久々の試合だったフェデラーは、「試合の当日も奥さんや子どもたち(2組の双子で計4人)の面倒を見てバタバタしていたら、時計を見たとき、『あっ、もう数時間後に試合じゃないか!』と驚いた」ほどだという。それでも、「幸運なことに、僕は10分で気持ちを切り替えられるタイプなんだ。すぐにウォーミングアップし、集中して試合に入っていけた」という。

 はたしてその言葉を実践するかのように、フェデラーは決勝までの4試合で1セットも失わぬ盤石の勝ち上がりを披露。自身のサービスゲームのみならず、リターンゲームからでもネットに詰めて次々とボレーを決める「超攻撃テニス」が際立った。

 そして決勝でも、フェデラーは重要な局面ほど、リターンから目の覚めるような速攻テニスを見せつけた。第1セットのタイブレーク3−1の場面では、ジョコビッチのセカンドサーブに猛然と駆け寄ると、跳ね際をバックハンドで叩いてそのままネットへ。返球をボレーで叩き込み、試合の趨勢を決める重要なポイントを奪い取った。

「あれはとても良い作戦だったし、それがうまくハマったね」

 試合後にフェデラーはターニングポイントを振り返り、そしてこうも続けた。

「以前は基本的に、バックハンドではチップ(スライス気味にボールをカットする打法)し、攻撃はフォア頼りだったが、今ではバックハンドでいろんなことができるようになった」

 フェデラーのバックハンドは進化した――。これは本人も認め、それ以上に多くのライバルたちが口をそろえて証言する。

 フェデラーが自認しているように、以前はバックハンドが唯一の弱点だとされていた。特に、フェデラー戦で23勝10敗と圧倒的な勝率を誇るラファエル・ナダル(スペイン)は、フェデラーが高い打点でバックを打たざるを得ないように、サウスポーから繰り出す強烈なスピンで徹底して狙い、多くの勝利を手にしてきた。そして、このフェデラー攻略法に習い、勝利を得たのが、近年のジョコビッチやマリーである。

 しかしこの1年ほどで、フェデラーは明らかに弱点を克服しつつある。自らも認める改善の要因とは、何なのか? フェデラーは答える。

「新コーチのステファン(・エドバーグ)の助言もあるが、バックハンドに関しては、ラケットを変えたことが一番大きいと思う」

 それはフェデラーが、昨年夏に手にした向上へのカギ。さまざまなモデルを試し、思考錯誤した末にたどり着いた、従来のものより打球面の大きなラケットである。

 総面積にすれば、タバコの箱ほどの小さな変化――。しかしその一片が、彼のテニスをさらなる高みへと引き上げた。再び、本人の言葉を引用する。

「スイートスポットが大きくなったこのラケットに変えたころから、結果が出始めた。昔の面の小さなラケットでは、バックハンドでのシャンク(あたりそこないのショット)が多かったんだ。ただ、ラケットを変える上で一番悩んだのが、スライスの感覚。スライスは、以前のラケットで僕が最も得意としたショットだったし、あのラケットが手に馴染んで打ちやすかった。でも、新しいラケットでもスライスを打つことに慣れてきた。そして今では、バックのシャンクはほとんどなくなり、スイートスポットでクリーンに打てるようになってきたんだ」

 ラケットの変化による、バックハンドのバリエーションと質の向上。そこに、「ネットにもっと出るように」というエドバーグからのアドバイスがかみ合い、新たなフェデラーのスタイルが確立された。

 新たな絶対王者であるジョコビッチを、ケガから完全復調したマリーと、弱点を克服して進化したフェデラーが猛追する――。この図式が、今季の男子テニスを構築する骨子だろう。

 そしてこの3人の背を追い、来たる全米オープンでも第4シードに座するのが、新世代の旗手であり、「ジョコビッチへの挑戦権を持っていることを嬉しく思う」と言う幸福な挑戦者――。すなわち、錦織圭である。

内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki