板谷敏彦(いたや・としひこ)  1955年生まれ。関西学院大学経済学部卒。石川県播磨重工業を経て、日興証券に入社。アメリカ・NYで6年間駐在員を経験する。その後、ドレズナー・クラインオート・ワッサースタイン証券でマネージングディレクター、みずほ証券では株式本部営業統括を務める。06年に投資顧問会社の「ルート・アセット・マネジメント」を設立。代表取締役に就任。現在は、作家としても活躍。著書に『日露戦争、資金調達の戦い 高橋是清と欧米バンカーたち』『金融の世界史 バブルと戦争と株式市場』(ともに新潮選書)。現在、「週刊エコノミスト」で「日本人のための第一次世界大戦史」を連載している。

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「お金とは何か」を考える上で「お金の歴史」を学ぶことは大切です。しかし日本人の多くは、お金の歴史を学んでいません。日本史の授業でも金融の歴史は学んでいない人がほとんどではないでしょうか? 3時間目は、『金融の世界史』の著者である板谷先生とともに、お金の謎を解くための「歴史の旅」に出かけます。後編の今回は、株式会社のはじまりと、戦争とお金の関係について迫ります。人気投資マンガ「インベスターZ」とのコラボ企画。最高の講師をお迎えして、お金の授業がいま始まります!!
取材・構成:岡本俊浩/写真:加瀬健太郎/協力:柿内芳文(コルク)

話題の投資マンガ「インベスターZ」とは
中学生が株式投資!? 世界一タメになるお金漫画、誕生!創立130年の超進学校・道塾学園にトップ合格した財前孝史。入学式翌日に明かされる学園の秘密、それは各学年成績1位のみが参加する「投資部」が存在することだった。少年よ、学び儲けよ!そして大金を抱け!! 投資部・財前の「株儲け」がいま、幕を開ける。

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「株」と「株式会社」のはじまり

 利子が誕生し、お金が誕生し、為替決済が誕生しました。それでは、「株」そして「株式会社」というのは、いつ頃生まれたんでしょうか。

 もっとも古い記録では、1150年(12世紀)の南フランスにまで遡ることができます。このころ、日本は平安時代です。

 南フランスに水車の会社がありまして、水車の権利を株式に分割して売っていたんです。ちなみに、権利の分割=shareで、株のことを英語ではsharesと言います。

 一般的に有名なのは、1600年(16世紀)にエリザベス1世がつくった「イギリス東インド会社」でしょうね。アジア圏とヨーロッパを結ぶ交易会社で、植民地経営にも手を染めました。

 ただし、これらを現在の株式会社の原型にできるかというと、違うでしょう。なぜならこうした会社は「無限責任」だったからです。

 無限責任を説明しましょう。仮に出資した船が出発前に借金をしていて、沈没したとします。すると、出資者は借金もまるごと負担しなければならなかった。これが無限責任です。

 現在の株式投資なら、会社が損失を出しても、株の価格が下落するだけですね。最悪、資産がゼロになるだけで株主がそれ以上に会社の債務を支払ったりはしません。

 でも昔は株主に請求が来ていた。ですから、出資する際に、株主の支払い能力はかなり厳密に調査されたといいます。

 無限責任の会社と違って、現代の株式市場で基本になるのが「有限責任」の会社です。この場合、「責任は有限」ですから、株主は会社の債務や投資先の損失に対する責任は出資分に制限されます。先にお話した通りで、持っている株式の価値が減るだけです。MAXに損してもゼロになるだけ。新たに借金を負う必要はありません。

 無限責任の株式では、売買する相手がだれでも良いというわけにはいきません。出資者になるには相当の資産を持っている必要があります。ただ、いちいち売買相手の資産の調査をしていたのでは、活発な売買ができず、現代のような活発な株式市場は成立しない。有限責任で出資分だけ支払えば誰でも株主になれるからこそ、不特定の相手との売買が可能なのです。地位も身分も資産状況も関係がない。現在の株式市場って、こう考えると実はものすごく民主的な制度なんですね。

 では、この有限責任の株式会社が生まれたのは、いつなのでしょうか。

有限責任の株と証券取引所で市場はオープンに

 1602年の「オランダ東インド会社」が有限責任会社のはじまりだと考えられています。イギリス東インド会社と同じような会社で、コショウを始めとしてありとあらゆる商品を売り買いしていました。

 イギリス東インド会社は無限責任だったため、株式はオープンに売買されなかったんですが、オランダの方は有限責任会社です。お金さえ持っていれば、庶民も株を買える。すると、オープンな市場がアムステルダムに生まれました。

「アムステルダム証券取引所」は、世界初の証券取引所。つまり、有限責任の会社誕生とワンセットで、これは大発明だったといえるでしょう。オランダ東インド株式会社は、もう一つの発明も成し遂げています。それは、株式投資における「継続性」です。

 どういうことかというと、それまでの投資は一航海ごとに出資しては清算していました。次の航海があればまた出資者を募る。しかしこの会社の場合--インドネシアのジャワなどに何年もかけて拠点をつくり、長期的な観点から収益を上げようと考えた。すると一航海ごとに清算していく仕組みが無理になったんです。

「ごめん、今年はちょっと精算できそうにない。たぶん、来年も厳しい。精算はちょっと先まで待ってもらえないか。その方が必ず大きく儲かるから」
という理屈が出てくるわけです。

 つまり、株主還元はできるときにする。現在の会社経営では基本である「永久資本制」が生まれました。これによってオランダは、長期の航海事業を立てられるようになったのです。

 オランダの躍進を、イギリスは指をくわえて見ていたわけではありません。彼らも永久資本制を敷き、1662年には東インド会社を有限責任としました。

 ところが、有限責任という発明には負の側面もありました。

有限責任ゆえに生まれた「バブル事件」

 誰もが参入しやすいのはメリットでしたが、責任が有限であるがゆえに、株主の責任感が希薄になるんです。経営者に対する監視のシステムもゆるくなる。そうなると、インチキ会社が乱立するわけです。

 1720年のイギリスの「南海泡沫事件」は、そんな構造下で起きました。「泡沫=バブル」の語源になった事件です。

 この時期には2つの重要なバブルが発生しています。まずフランスで「ミシシッピ・バブル事件」が起きました。

 当時、フランス政府は、絶え間のない戦争で多額の債務を抱えていました。これをなんとかしようと政府系の会社であるミシシッピ会社の株式を売り出し、民間から資金を集めて国債と取り換えてしまおうと考えた。そこで、株を売るためにアメリカのミシシッピはどんなに豊かで凄いところで、金銀が出て投資家は大儲けできるのか、パリの街で派手にデモンストレーションをやった。

「いまからミシシッピに金を掘りに行くぞー。金が採れるぞー」

 労働者にシャベルを持たせて、パリ中を行進させてこう言わせるわけです。金がどれだけ採れるかの採算的な根拠も何もない--誰もろくに行ったこともなかった。要するに「詐欺」みたいなものでした。

 しかし、みんな騙された。株の入手をわざと困難なものにして、煽られて、狂乱の騒ぎが起きました。そこで、これを見ていたイギリス人は、「フランスはうまくやっているな」と目をつけて、今度はイギリスで「南海バブル」が起きるんです。

 このころイギリスは、南アメリカ(南海)での奴隷貿易に参入するために、この南海会社をつくりました。けれども、この地域での奴隷貿易は、スペインとポルトガルが独占する市場だったんです。だから、イギリスが参入できる余地があるはずはなかったのに、スペインから特別な許可をもらった、奴隷貿易で「大儲けできます」と嘘八百をついて、株を売り出したんです。これも政府の国債を株式に取り換えて処分するためです。

 これも当初は売れた。どんどん売れて株価は高騰します。すると柳の下の泥鰌(どじょう)を狙う似たような会社が乱立することになりました。中身の無い会社の株がたくさん売りに出されたのです。

 そこで政府はそうした会社、有限責任会社の設立を厳しく制限する法律を作ります。それが「泡沫会社禁止法」でした。この法律と同時に南海会社もその本性を暴かれ大暴落してバブルがはじけてしまったのです。この泡沫こそがバブルの語源です。

 この後、イギリスの株式市場は壊滅的なダメージを受けて、この法律のせいで株式市場はまったく振るわなくなってしまいます。イギリスの金融資産は国債の投資が主流の時期が続くことになります。

 国家と市場の共犯関係とも言うべきこれらの事件で、その後、イギリスの資本市場は大きく停滞します。実に150年に渡って、有限責任の会社経営が禁止されたんですから。

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