学生の窓口編集部

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世界的な偉人、有名人といえども、死から逃れることはできません。偉人・有名人の死因を調べてみると「?」なものがけっこうあります。そこで今回は、「偉人・有名人の?な死因」をご紹介します。

●四条天皇
わずか11歳で亡くなられた天皇(在位:1232年11月17日-1242年2月10日)。子供だったので、宮中の廊下に滑る石をまいてみんなを驚かせてやろうと画策。その仕掛けをチェック中に自分が滑って、打ちどころが悪かったのか亡くなってしまいました。

●ウィリアム3世(イングランド王)
17世紀中盤から18世紀初頭にかけて英国を治めた王様です。乗馬を楽しんでいたところ、ウマがモグラの穴に足を取られて落馬。重体で宮殿に担ぎ込まれましたが死亡。

●アイスキュロス
古代ギリシャ三大悲劇詩人の一人。ヒゲワシに上空からカメを落とされ、それに当たって死亡。ヒゲワシはカメを捕まえて、岩に落として甲羅を割って食べる習性があるのです。

●李白
中国、唐の時代の代表的詩人。自らを「酒中の仙」というほどのお酒好きで、船遊びをしていたときに、水に映った月を取ろうとしてボチャン! 溺死(できし)しました。

●フィリポス2世(アレキサンダー大王の父親)
マケドニアを世界帝国にのし上げるための基礎をつくった偉大な王。娘の結婚式の宴会中に護衛に暗殺されました。

●アレキサンダー大王
マケドニアを世界帝国にした偉大な王。蜂に刺されて宴会中に昏倒。10日間苦しんで死亡。ただし、死因には暗殺説など諸説あり。一番ひどいのは、部下の祝宴で酔っぱらって帰ろうとしていたらどぶにはまって死んだというもの。親子で脇が甘いといえるかも……。

*……この二人は『寄生獣』で有名な岩明均先生の漫画『ヒストリエ』に登場します。

●アル・カポネ
禁酒法時代に活躍したギャングのボスです。梅毒で死亡。サンフランシスコの「アルカトラズ監獄」から出所後に治療を受けたのですが、病状が進行しており間に合いませんでした。

●ナポレオン・ボナパルト
フランス革命後、フランス皇帝になった偉人。死体から採取された毛髪からヒ素が検出されたことからヒ素による毒殺説、ヒ素中毒説あり。胃潰瘍説も根強いです。

●アイザック・アシモフ
『われはロボット』など数々の名作SF小説を残した作家。エイズ(後天性免疫不全症候群)で死亡。アシモフが不運だったのは、心臓バイパス手術を受けた際の輸血用血液が
HIVに汚染されたものだったのです。

●ツタンカーメン
黄金のマスクで有名な古代エジプトのファラオ。わずか19歳で死亡していますが、その死因は外傷による感染症。ツタンカーメンは左足が不自由だったことが判明しています。

ツタンカーメンの全身をX線で検査したところ「左足が内反足で、成長期に第二、および第三中足骨の成長点が壊死(えし)していた」のです。これで副葬品に杖が130本もあったことの説明がつきました。

●中臣鎌足(藤原鎌足)
天智天皇を支えた功臣で「大化の改新」の功労者として歴史の教科書にも登場します。邸宅に落ちた落雷で建物が倒壊、その下敷きに。脊髄損傷、複雑骨折などの重傷から回復できずに死亡。他に「落馬などが原因で……」などの説があります。

*……この項目は『医学探偵の歴史事件簿 ファイル2』小長谷正明先生の説を採用しています。

●三村家親(みむらいえちか)
三村家親は戦国時代、備中の戦国大名です。重臣たちと会議中に、火縄銃(短銃)で狙撃されて死亡。この暗殺は備前の戦国大名・宇喜多直家が仕掛けたものです。これは「日本史上初の銃器による要人暗殺」といわれています。

いかがだったでしょうか。「人間いろいろ」といいますが、死因もいろいろで個性が出るものですね。なお、ここで紹介した人たちの死因については諸説ある場合があります。ご了承ください。

(高橋モータース@dcp)