■8月特集 リオ五輪まで1年、メダル候補の現在地(9)

「これまでの大会では味わえなかった悔しさを感じた試合でした。数日前までの状態なら痛みがあっても、3位くらいだったら手が届く準備はできていたと思うので、今までにない悔しさでした」と語るのは競歩の鈴木雄介。世界陸上2日目の男子20km競歩に世界記録保持者として出場し、優勝を期待されていたが11km過ぎで棄権した。

「元々は、3月に世界記録を出したあとの不調から恥骨の炎症が起きましたが、最終的なだめ押しはレース2日前の胃痛でした。それから平常時の心拍数もかなり上がってしまい、レースでも10km付近では痛みだけでなく、心拍数もほぼ限界値にまで上がって心肺機能的にも我慢している状態でした。トップ集団はそこからペースを上げるし、このままでは入賞も厳しいと思ったので、ここで無理をしてケガを悪化させるよりきっぱり止めて次へ切り換えた方がいいと判断しました」

 今大会の優勝タイムは想定内の1時間19分14秒。自己記録はさほどでもないが強い選手と注目していたロペス(スペイン)と、最有力と考えていた王鎮(中国)が優勝争いをした。すべてが鈴木の予想通りだったが、ひとつ違ったのはそこに自分が加わっていなかったことだ。だからこそ悔しかった。

「恥骨付近の痛みが出たのは5月の合宿に入る直前でした。痛みを抱えたままでも練習ができる状態だったので、トレーナーさんにマッサージをしてもらえば治るかなという甘い考えで練習を続けていました。でも痛みは取れず、8月になって診察を受けたら恥骨が炎症していると診断されて痛み止めを飲み始めたんです。痛み止めを飲むのは初めてで、最初は効いて痛みも消え、『これなら練習できる』となったけど、中旬ころから動きづらさが強くなってきたんです」

 結果的には、レースの1週間前くらいから痛み止めを飲み始めれば良かったのでは、という考えもあるが、練習をしたい気持ちが強かったために服用をした。そのあたりのコントロールがうまくいかなかったと反省する鈴木だが、故障を隠す気持ちはなかった。

 公表されたのは出発直前だったが、7月からの取材では常に痛みがあることを口にしていた。レース後に「実は......」と明かすのは、観戦してくれる人に申し訳ないと考え、現状を知った上で観戦してほしいと思ったから公表したという。

「8月になって集中力を欠いてしまったことも、今回の結果の大きな要因ですね。治療時間が多くなり、常にケガを意識してストレスが溜まったし、他の選手と一緒に合宿をしているのに近寄り難い雰囲気をつくり出してしまっていて。僕は適度に遊びを入れなければ集中力を保てないタイプなのに、ビリヤードも一回しか行けなかったし、みんなとバスケットボールをやりたくても治療を受けてる手前、『バスケやってきます』とも言えなくて(笑)」

 一方、そんな状況でも世界記録保持者という肩書きは、プレッシャーにならなかったという。記録はあくまで数字でしかなく、世界大会のメダルとは価値が違うものだと考えているからだ。

「世界記録も五輪のあとに狙おうと思っていた夢のひとつだけど、記録は自分の調子がいい時にポンと出せるものであって、狙うことは何のプレッシャーにもならないんです。でも世界大会でメダルを獲るのは、決められた日に向けて体調を合わせたり、気象条件なども考慮した攻略法も準備しなければいけない。全員が同じ条件で戦って1番を決めるのは陸上競技の本質だし、一番難しくて価値のあるものだと今回改めて感じました」

 だが今回棄権という結果で終わったことで、逆にリオデジャネイロ五輪への意識は高まったという。目標だった世界大会3連続金メダル(北京世界陸上、リオ五輪、ロンドン世界陸上)の夢がいきなりつまずいたことで、これからはもう100%でリオ五輪の金メダルに集中できる。

「今まで2月の日本選手権などでは記録を意識していたけど、リオで金を獲るためにはあえて記録や優勝を狙わなくてもいいかと思い始めました。世界大会で勝っている選手も、春先に記録を出している選手はいない。だから練習だけでなく、試合も腹八分目にしていってもいいかと......。世界記録を出したことで練習の質はすごく上がり、できることのキャパシティも広がったから、レベルの高い練習をしながらも身を潜めて、リオにピークを合わせればいいと思います」

 それは指導する今村文男コーチにそれとなく言われてきたが、なかなか持てなかった意識だった。世界記録を出して記録の本質を知った今だからこそ、そんな気持ちにもなれた。

「リオではレースを楽しむだけでなく、そこに向けた準備も楽しむくらいにならないといけないですね。今回も7月くらいまでは楽しめたけど、痛み止めを飲み始めてからはだめでしたから」

 こう言って笑顔を見せる鈴木は、インタビュー直前にたまたま出会った高橋尚子さんからこう声をかけられた。

「今回の棄権を見て、私が優勝を狙っていた99年世界陸上で前日に欠場を決めた時と同じだと思った。あの時は一晩中泣いたけど、だからこそ翌年のシドニー(五輪)で金メダルを獲れたのだと思う。それをひと言伝えたかった」と。

 今、同じ状況にいるからこそ、その言葉は鈴木の心の中にしっかりと染み込んだ。

折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi