直木賞作家・東山彰良さん、『NARUTO』に深い関わり ノベライズやアニメ脚本をやっていた!

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第153回直木賞を受賞した東山彰良さんはマンガのノベライズやアニメの脚本も手がけています。直木賞受賞作『流』とノベライズ作品の文体からわかるサブカルと文学の関係とは。ライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんが語り合います。

作家のルーツである台湾を描いたものだが……そこだけに注目するのはどうか?


飯田 『BORUTO』を観たあとで、「そういえば今回の直木賞作家の東山彰良さんって、『NARUTO』のノベライズとかアニメの脚本やってたよね?」ということで取り上げさせていただこうという話になったわけですが……。

藤田 ぼくは、恥ずかしながら、東山さんの作品を、きちんと読んできたわけではないので、基本的なことからお伺いできますか?

飯田 東山さんは台湾出身で、国籍も台湾。ただ幼少期に日本に移住しています。もともとは宝島社の小説新人賞からハードボイルド小説(馳星周フォロワーとも言われていたけど、もうちょっと軽妙な感じ)でデビューした作家です。

藤田 今回の直木賞受賞作『流』は、インタビューや対談などでの東山さんのご発言から判断するに、実話的な部分も多いようですね。第二次世界大戦中、日本軍と、共産党と国民党に分かれて争った時代が、一つの起点。殺しをしまくって、台湾に逃げた祖父から続く、三代の話ですよね。

飯田 ただ、1975年時点で高校生で、そこから大人になっていく主人公視点で進むと。ケンカっぱやい主人公のモデルは東山さんの父親らしい。殺しをしまくった祖父が何者かによって殺され、その犯人は誰か? というのが終盤まで続く謎としてある。ただミステリ的要素があると言ってもパズル的な謎解きではなくて、土着的な狭い人間関係、因縁を描くほうが主眼。

藤田 「祖父の名の入った碑」のエピソードは、お父さんが実際に体験したことのようですね。細部に、「取材」では書けるとは思えないリアリティがたくさんある作品でした。
 テーマそのものの核心は重い。過去の悪行や恨みを、今、どう受け止めるか、という話ですよね。それは、日本軍がやったことも、共産党がやったことも、国民党がやったことも。もっと私的な動機でやったことも。それに向かい合って、どう心理的に決着をつけるのか。で、そのテーマが、重層的に、波紋のように響いたり響かなかったりする。見事な構成だと思いました。
 マリー=ロール ライアンという人の『可能世界・人工知能・物語理論』という本の中に、ざっくり要約すると、「物語の展開を読者がたくさん想起する作品がいい作品」みたいなことが書いてあるんですよ。その点でいくと、本作は、本当にたくさんの「先」を読者が大量に思い浮かべて、それがハマったり外されたり関係ないまま消えたりする、非常に豊かな「先読みの分岐の多さ」を味わわせてくれる作品でした。
 台湾の人が書いた、ガチで殺しまくった祖父の話ですからね。殺し方も、村人を、女子供も含めて穴を掘らせて、土で生き埋めにするとか、えげつない。日本人が書いた『永遠の0』の、加害者意識のなさとは大違い。

飯田 ただ僕、『流』について台湾のことばかり取りざたされるのは違和感があるんですよ。

マンガのノベライズも精力的に書いてきたことに触れないのは片手落ち



飯田 というのも、たとえば、東山さんは『魔人探偵脳噛ネウロ』や『NARUTO』『テラフォーマーズ』といった集英社のマンガのノベライズや『NARUTO』劇場版のアニメ『ブラッドプリズン』の脚本もやっています。大森望さんが2013年作『ブラックライダー』をディストピアSFとして非常に高く評価していたり、作風は幅広い。ただ共通していたのは、サブカルチャー的なノリ(ロックや映画ネタなど)をベースにした作品を書いてきていたこと。そこを無視しちゃいけない。
 ポップというか軽いタッチで、映画や、ストーンズやラモーンズみたいなクラシックなロックネタをいっぱい入れて書いていた。ただ、オールドスクールなロックをネタにする、みたいなことって今やるとおっさんくさく見える。で、古さに開き直った作品が『流』だと思った。

藤田 作者自身も、移民なんですよね。そんな作家が、ノベライズなど、ジャンルを移行していくのは、安易かもしれませんが、重なって感じましたね。ぼく自身も(北海道への移住なので、国籍は変わっていませんが)移民の子孫なので、既存のジャンルやメディアに拘らない横断的、他の文化に混じっていく感じと、その「移民」性って繋がっているような感じがします。実証はないので、あくまで「感じ」ですけど。
 『流』も、推理小説、犯罪小説、コメディ、恋愛小説、怪談などの、様々なジャンルが一気に詰め込まれていて、どういう展開になるか読めない読書体験ができて、楽しかったですね。この多くのジャンルが混じっている祝祭感が良かった。

飯田 これまでも東山さんは暴力、犯罪、闇社会、ドラッグ、セックス……みたいなことは書いてきたんだけど、どこかお約束としての「セックス、ドラッグ、ロックンロール」だった。でも『流』は文体がだいぶ違う。地の文もぎっちりだし。直木賞の記者会見で北方謙三が「汗の匂い、血の色」って言っていたけど、今回はサブカルっぽい要素も舞台設定と同じ70年代テイストになっている。

藤田 これまでの作品と、『流』は、相当変化があるんですね? では、具体的に、どのような違いがあるのか、教えていただければ。

ノベライズ仕事と『流』の文体を比較する



飯田 たとえばノベライズ『テラフォーマーズ LOST MISSION I 月の記憶』だと

「わあああ!」
 ドッシーンと尻を強打し、そのせいで金剛インコがいっせいに飛びたった。

とか、

「どうした?」おれは言った。「歌ってみろよ」
 それから、やつの黒い顔に狙いをつけて、最後の一発をくれてやった。

 ガウンッ!

 まるで地獄からのびてきた黒い手に?まれたみたいに、生皮の体が闇の底へと落下していった。

こういうノリです。擬音やオノマトペやテンプレ的な叫びを多用してもOK。
 それが『流』だと

萬華といえば台北屈指の荒っぽい界隈である。売春宿や蛇を食べさせる店が軒を連ね、男女の悲しみや蛇の血のせいで街全体に饐えたようなにおいが漂い、刺青を入れ、檳榔の噛み汁で歯を真っ赤に染めた極道たちが暮らしていた。雷威自身、すでに肩口に鯉を一匹彫っていた。のちに雷威の口から直接聞いたのだが、この刺青のせいで父親に体中の皮を剥がされそうになったらしい。こうしたすさんだ環境がやつの感性を磨き、言葉を育んだのだ。

こういう文体になる。
 マンガのノベライズやアニメの脚本を現役でやってるひとが直木賞取ったのはたぶん初なんじゃないかと思うんですが、これは芸人が芥川賞を取ったこととパラレルで、サブカルと文学にもはや境や壁はないと。パッキリ分かれた世界ではなくてなだらかにつながっているんだということを文壇は認めたし、世間に対しても明らかになった。
 ……という語り方でいきたかったところだけど、マンガっぽいところよりも「そりゃ認めますよねこれは」という文体の力がきわだっているので、ちゃんと文脈を説明しないと説得力を持ちにくいw

藤田 でも、『流』にも、こういう文章ありますよ。第五章、p110-111ですが、

「で、出た!」わたしはなりふりかまわずに叫んだ。「ゴキブリ! ゴキブリ!」
 すると巨大な影がぶるっと身をふるわせ、次の瞬間、パッと花開くようにその黒い翅を広げた。
「うわああああ!」
「こちらへむかって一直線に飛んでくる。
「く、来るな!」わたしは頭を抱えて部屋中をごろごろころげまわった。「おばあちゃん! おばあちゃん!」

飯田 ゴキブリ大量発生するあたりはいちばんマンガっぽいところのひとつだよね。でも、『流』は全部がそうじゃないでしょ。本人が「デビュー当時から祖父の話を書きたかったけど筆力が追いつくかどうかと思って今までは書けなかった」と言っているのは謙遜ではなくて、もともと軽い文章でつるつる読ませる作家だったからこそ、そう言っている。

藤田 ゴキブリと幽霊が出てくる章が、いきなりマンガっぽくなって、驚きましたね。それ以前の章は、もうちょっと硬かったから。でもここで作品に弾み、というか、散文的魅力が一気に宿った感じがしました。

『流』の文体は劇画!


飯田 あと「劇画」とさっき形容したとおり、まんが・アニメ的(というかアクション映画やロックまで含めたサブカル的な)リアリズムの水準を90年代以降のものから70年代にした感じが僕はしています。

藤田 直木賞の評価基準というのは、ぼくは正直、良く分かっていないので、なんとも言えないですが……。サブカルチャーも実話も実体験も、色々混ざっているエネルギーみたいなのが、奇跡的にうまくいっている。「設計図で作れそうにない」感じがありますよね。単純に70年代のサブカルにしたから評価されたようにはぼくには思えないのですが。

飯田 根本の創作衝動はもちろん本人の実存から来るものでしょう。僕がしているのは、アウトプットのしかたの話です。
 現代や近未来を舞台にサブカルのネタなりノリを濃くして書くと軽くなるんですよ、よくもわるくも。だけど舞台もネタも古くするとなじむ。

藤田 そんなに簡単なものなのかなぁ? まぁ、SF作品がほとんど受賞しないとか、直木賞の特殊性というのはあるわけですから、ある傾向はあるのでしょうね。ぼくは責任を持って断言できるほど、ちゃんと受賞傾向を追えていないのでなんとも言い難いのですが……
 飯田さんはその状況に、違和感がおありだったりします?

飯田 いや、別に。「年長世代」とひとくくりに言っても選考委員も入れ替わっていくわけで、そのたびに少しずつ許容範囲が変わっていくのがおもしろいなあと。なんたって選考委員のひとりである宮部みゆきはゲーマーで、自分もゲームの小説書いてるし。そういう意味では東山さんの受賞は違和感ない。
 受賞者側のスタンスも変わってきていて、たとえば10年くらい前に直木賞取った桜庭一樹だってかつては『仮面ライダー555』のノベライズやってたしラノベレーベルでも書いてたけど、直木賞取るのはハードカバーで近親相姦ものの『私の男』なわけでしょう。
 東山さんにはノベライズが習作とか「お仕事」的な感じで過去にやってました、みたいな雰囲気がない。テレビに出て『NARUTO』の脚本の話とかしても全然イヤそうじゃない。これからも普通にやりそうなのが今までとは違うなと。

直木賞受賞後もマンガ、アニメ仕事をぜひ!


藤田 東山さん、映画『NARUTO』映画の次回作の脚本を手掛けてくれたりしたら、面白そうだなと思いました。『流』は『BORUTO』の世界よりも、親や祖父らの過去がエグすぎますけれども……

飯田 東山さんはノベライズ『NARUTO カカシ秘伝 氷天の雷』でカカシが6代目火影になる顛末を書いているけど、けっこう人が死んでるよw 忍の里を『流』における台湾として読み込めば、並べて論じられると思いますよ。前の代、親や祖父(的な存在)から何をどう受け継ぐか、うしろめたい過去をどう背負って向き合っていくのか、あるいはコミュニティ内の闘争みたいなことは『NARUTO』や『テラフォーマーズ』仕事でもけっこう出てくる。
 ちなみに『テラフォーマーズ』ノベライズにも

「收回了(回収しました)」ずんぐりむっくりが答えた。
「大家辛苦了(みんな、お疲れさま)」顎ヒゲの男が手をパンパンとたたいた。

 みたいな中国語会話シーンがけっこうあります。

藤田 東山さんは、福岡県警で仕事していたこともあるみたいですね。サブカルと現実の関係って、難しくて、ひょっとすると、現実としてそのままは書けないことを、サブカルの衣に着せかえて書いていた部分だってあるのかもしれないんですよね。

飯田 文体面で見れば『流』とそれまでのオリジナル作品やノベライズ仕事は違うけれども、モチーフや、作家が描くべきと思って書いてきたテーマみたいなものを取り出せば、通じるところがあるんですよ。

藤田 ですね。『流』はそれまでの、ノベライズやサブカル的作品の延長にもあるし、現実の政治的状況についての話でもあり、「歴史」と「物語」の拮抗の小説でもあるという、多重性のある作品として、読み取られるべきでしょうね。