2人のヴェトナム戦争体験日本人作家の嫌いな部分、大好きな部分

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池澤夏樹=個人編集《日本文学全集》(河出書房新社)の第1期第9回配本は、第21巻『日野啓三 開高健』。
ヴェトナム取材体験のあるふたりの芥川賞作家だ。


この巻は年譜を僕が担当しているので、なんかここでレヴューしていいのかどうかわからないが、まあいいってことにしましょう!

この巻の収録作はこちら。
日野啓三
短篇小説「向う側」(1966→『あの夕陽 牧師館 日野啓三短篇小説集』および『地下へ サイゴンの老人 ベトナム全短篇集』所収)
短篇小説「広場」(1966→上記『地下へ サイゴンの老人』所収)
短篇集『夢を走る』より「ふしぎな球」(1982)
短篇集『断崖の年』より「牧師館」(1991→上記『あの夕陽 牧師館』にも所収)
エッセイ(あるいは長篇小説?)『Living Zero』(1987)より「空白のある白い町」「放散虫は深夜のレールの上を漂う」「ホワイトアウト」「世界という音 ブライアン・イーノ」「イメージたちのワルプルギスの夜」「みずから動くもの(自然=機械=人間)」「球形の悲しみ」
ルポルタージュ『ベトナム報道 特派員の証言』より「“ベトコン”とは何か」
開高健
長篇小説『輝ける闇』(1968→新潮文庫)
日野啓三『ベトナム報道』への序文「痛覚からの出発」
ノンフィクション『人とこの世界』(1970)より「地図のない旅人 田村隆一」

彫心鏤骨の文章と、小心者特有の虚勢


開高健は、とくに小説では、これぞという言葉を選ぶために彫心鏤骨するタイプ。彼にとって文学はそういうものだったみたい。それはこの人の勝手だからべつにいい。
しかしこの人は自分を大きく見せるためのハッタリや虚勢が過ぎた。エッセイや私小説のような自分語りになると、「俺が俺が」のだだ漏れについてはまったく抑制がきかなかった。よほど自信が持てない小心な人だったのだろう。

開高健は海外旅行が盛んでない時期にヴェトナムで前線を見たりアマゾンで釣りをしたりしている。昭和の平均的同時代人より見聞は明らかに広い。
見聞が広い人ほど世界に知らないものがまだまだあると思っているものだ。だけどエッセイを読むと開高は、得た見聞を、日本人はこんなこと知らないだろうと威張るために使った。他人より見聞が広い自分は世界を全部知ってるという気でいる。この人の世界が広いとはとても思えない。

いっぽう、「俺」の個人的な事情を出そうとしなくていい仕事は、好きになれる。若いころサントリーのために書いた宣伝文(コピー)とか、今回収録された「地図のない旅人 田村隆一」(『人とこの世界』中の1篇)のような、はっきりした他者としての取材対象があるノンフィクションとか。


また、『パニック 裸の王様』や『日本三文オペラ』などの小説が好きだ。最近読んで、お見それしました!と思った。それらは新聞記事や時事取材をもとに書いたもので、「俺」が引っ込んでるからだ。


それでも重要な『輝ける闇』


今回池澤さんが選んだ『輝ける闇』には、僕の好きな開高健(戦争を取材する作家)と苦手な開高健(虚勢を張った自分語りに淫する小心者)とが同居している。


後者のせいで、『輝ける闇』を「パニック」のように「好き」になるのは難しい。それでもこれが日本にとって重要な作品であることはわかる。

開高はヴェトナムで米軍と行動をともにしていて死にかけた。新聞に「開高健氏行方不明」という大きな見出しが載ったらしい。
この体験を題材に、架空国家を舞台にしたポリティカルフィクション『渚から来るもの』の連載を一度は完結させながら、開高はそれを単行本化しなかった。

そしておそらくはヘンリー・ミラーやロレンス・ダレルといった英語圏の先行世代作家の方法を意識しつつ、また『渚から来るもの』を解体・再構築し、時間をかけて『輝ける闇』を書いた(『渚から来るもの』は『輝ける闇』の12年後にやっと刊行)。


その結果、『輝ける闇』は同時代の米国の「ニュージャーナリズム」と呼応する独特な「日本文学」になった。
開高健への僕の反撥は、そもそも若さゆえの不寛容だったのだろう。晩年の開高の年齢に近づくにつれて、あれは昭和の人の切実さだったんだなとわかるようになってきた。

開高健の、嫌いだなと思ってる部分は、相変わらず好物ではない。でも今回いろいろ読んでみて、そればっかりの人ではない(そればっかりの人なんていない)という当たり前のことが、やっとわかった。齢は取るものだし、本は読むものだ。反省モードです。

外報部特派員でTVの解説委員で芥川賞作家


もうひとりのヴェトナム体験作家・日野啓三は、ソウル育ちで、20代で評論家、30代で小説家のキャリアをスタートさせた。
讀賣新聞の特派員として朝鮮戦争の爪痕が残るソウルや戦下の南ヴェトナム、また編集委員として中央アジアや中東、北欧、豪州など世界各地を回った。

TVのプライムタイムのニュース番組の解説委員をしているさいちゅうに、芥川賞を受賞した。「TVにレギュラーで出てるあの人が芥川賞?」なんて、又吉さんときみたいに話題になったりしたのかな?
この人の小説は、時期のよって作風をどんどん変える。
初期にはヴェトナム体験や、植民地だったソウルでの少年時代、また引き上げ体験などを題材とした。本巻に収録された「向う側」「広場」は、南ヴェトナムで公開処刑を目撃したりした体験から書かれた。批評家兼ジャーナリストだった日野の、最初の小説だ。


多面的な作風


1970年代になると、最初の奥さんとの離婚、ソウルから呼び寄せた女性との再婚、自分の親族の話など、私小説的な作品で評価された。
70年代末以降、未来に向けて変貌しつつある大都市・東京そのものを主人公にした幻想小説と、世界各国の秘境や遺跡などの霊的な自然風景(のちの言葉でいうパワースポット的な場所)での意識変容を題材とするスピリチュアルな、あるいはSF的な短篇を数多く発表した。
本巻所収の短篇「ふしぎな球」は、この時期の都市小説の一例。1980年代の日野啓三の小説には、アナログシンセサイザーの音、大友克洋や初期の藤原カムイの絵柄がものすごく似合う。


漫画がいちばん尖ったサブカルチャーの代表とされていたレイト’70s、アーリー’80sの空気に、リアルタイムでここまで同期していた小説があったことに、いまさらながら胸を打たれる。
1990年代から世紀転換期にかけては、さまざまな重病と闘うなかで、それまでの多面的な作風のすべてを一体としたかのような長短の作品を書き、そのすべてがすばらしかった。

せせこましい人間の「世間」を超えて、宇宙へ


1980年代の日野の小説は読んでいて気持ちがいい。
小説というのは人情を描くものだ、とは坪内逍遙の『小説神髄』以来のお約束で、それはそれでいいのだが。

そうは言ってもその人間関係が織りなす「世間」は、ときどき息苦しい。
そういうとき人は滝を見に行ったり、波打ち際に足を浸したり、ビルの屋上から遠くを眺めたりする。
同じように、自我と自我がぶつかるタイプの小説に疲れたときは、日野啓三の1980年代の小説が「効く」。

日野啓三はいつも遠くを見ている。
日常僕らは、
・あの上司ウザイとか、
・単位ちゃんと来るんだろうかとか、
・ウチの子大丈夫かしらとか、
──そういう「世間」の「はからい」であっぷあっぷしている。

ところが、日野の小説を読むと、
・人間は進化の結果こんなことになっちゃった生物だし、
・なんなら分子の集合体だし、
・地球は数ある星のなかの奇跡的にこんな現状になっちゃった天体だし、
・朝の通勤ラッシュだって確率と複雑系の問題だよなと思えちゃうし、
──つまり、自分がハマっちゃった状況を遠くから見下ろせるようになるのだ。

個人規模でこういうことをやって頭をクールダウンさせることを、心理学では「メタ認知」というが、それが日野のばあいは宇宙規模なので、「メガメタ認知」になる。
これがとってもクーーーールなのだ。

涼しい滝を見てるような、屋上で月を見てるような


本巻に1、2、5、6、8、9、11章が収録された『Living Zero』(本来は全12章)は、1980年代後半の日野の代表作で、どの章にも相互につながりのない多数の断片(ときには読んだ本の引用や要約)が、ただただ並んでいる。各断片は長くて数ページ、短ければ数行。結論もストーリーもない。


いちおうエッセイということになっている。けれど、日野本人も言っているように、エッセイなのか小説なのかわからないし、これ全体で長篇小説として読もうとすることもできる。似た構成の作品を強いて挙げるなら、保坂和志の『カフカ式練習帳』かもしれない。


日野の思索は、宇宙物理学から老荘思想を経てブライアン・イーノの音楽まで、広いレンジを往還する。
それについていくうちに、涼しい滝を見てるような、あるいは入っちゃいけない屋上にひとり忍びこんで月を見てるような、そういう気分になってくる。

本作はいま絶版で、過去に文庫化されたこともなく、いま電子版もないみたい。先日、大学生たちと『Living Zero』全篇を読む機会があって、みな絶賛していた。いま読んでも(いまこそ?)じゅうぶん「効く」本だと思う。


長篇も読んでほしい


日野啓三はもともと好きな作家だったので、そこそこ読んでいたのだけど、今回年譜を書くために全部読み直し、また未読だった小説もほとんど読んだ。
そしてこの人の小説が「好き」から「大好き」に変わってしまった。

いろいろ鬱陶しいのが日本の小説一般の魅力だけど、そのなかで例外的に風通しのいい場所を作っているうちのひとりが、日野啓三というひとなんだなー、 と。
日野さん、なんで死んじゃったんだ、レベルの愛を感じてしまった。バカみたいですか。ですね。

本巻を読んで日野啓三という人が気になったら、中・長篇小説をぜひ読んでほしい。日野の最良の部分は、長めの作品にあると思う。
 最初に手に取るとしたら、
・都会の洋館を舞台にした幻想小説『抱擁』(意外にライトノベル的)
・都市小説『夢の島』(もしかしたらもっとも早い時期に「コミケ」「コスプレ」という風俗現象を小説に取り入れた例のひとつかもしれない)
・そして記憶喪失の宇宙飛行士を主人公にしたSF『光』(このなかに出てくる多摩センターはすごい。一度行ってみたい)
あたりでしょうか。


次回は第10回配本、第08巻『日本霊異記 今昔物語 宇治拾遺物語 発心集』で会いましょう。


(千野帽子)