仮設住宅を回るなど、一貫して被災地に心を寄せる姿に賞賛の声も大きい

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 カナダ・トロントから数日前に帰国した、ソチ五輪・フィギュアスケート男子金メダリストの羽生結弦(20)。いつもならマスコミ陣が彼の動向を監視している。が、今回ばかりは違った。

「僕たちも羽生の動きを知りたいんだけど、帰国してからはずっと日テレがスケジュールを押さえていた。羽生君のお母さんがマネージャーとして仕切っていて、数週間から数か月に一度、1局だけが代表で数時間だけの取材許可を、やっとのことで取り付ける。そんなレベルの対応しか許されなかった。だから今回、日テレが数日間もスケジュールを押さえられるのは前代未聞なんです。相当お金を積んだか……」(スポーツ番組関係者)

仮設住宅を回る羽生

 羽生のスケジュールを押さえたのは他でもない、8月22日に放送された『24時間テレビ』(日テレ系)。そこで演じられる『被災地の想いを繋ぐ羽生結弦アイスショー』のチームだ。

「羽生のスケートが見られる!」

 と、数週間前から話題になっていた。

 ショーの前に流されたVTRでは、羽生の仮設住宅を回る姿が映された。

「まさかこんな所で会えるなんて!」

 と黄色い声をあげるおばさまたちに、笑顔を見せながら震災後の辛かった思いを伝えた。

「被災地にまだいる人たちに対して本当に申し訳ないなと思った。自分だけが逃れていて本当にいいのかなって」

「オリンピックで金メダルを獲った後に、実際にはなにもできなかったなって。すごく後ろめたさがあった。こういう所にお邪魔させていただくことで、僕自身も救われている」

 被災地に、東北に寄り添うような羽生の言葉は、皆の心を熱く打った。

 震災当時は16歳だった羽生。

「海外で練習すれば金メダルも夢ではない」

 といわれつつも、被災地となった地元・仙台を離れたくないという想いが強かったために、国内でトレーニングを続けた経緯があるのだ。

 オリンピックを目指すスケート選手が次々と海外へ飛び出していく中、他の選手とは異なるトレーニングの道を選んだにもかかわらず、ソチで悲願の金メダル。喜びを地元に伝えることができた。そんな羽生が24時間テレビの企画とはいえ、アイスショーを行うことは、大きな注目を惹きつけた。

 今回演じられた1曲目は、

「震災直後の気持ちと重なる」

 と、羽生自らが選んだ『天と地のレクイエム〜東日本大震災で亡くなられた方への鎮魂歌〜』。2曲目は被災した福島県南相馬市の少女コーラス隊が歌う『花になれ〜決してあきらめなければ輝く明日がやってくる〜』。

 他のマスコミを一切遮断して全力をかけた羽生のスケートは、被災者たちだけではなく、見る者すべてに勇気を与えてくれた。

(取材・文/大伯飛鳥)