テレビアニメ「ちびまる子ちゃん」の放送が始まって今年で25年が経った(厳密にいえば1992年にはいったんシリーズは終了し、95年に放送が再開されて現在まで続いている)。ときは平成初め、バブルの末期、原作者のさくらももこの小学生時代の思い出にもとづくこのアニメは大ブームを巻き起こした。

「ちびまる子ちゃん」の作中の時代は、さくらももこが小学3年生だった1974年という設定になっている。テレビアニメ開始時点でいえば、たかだか16年前にすぎない。それにもかかわらず、当時25歳の女性マンガ家の描くその世界観は幅広い世代のノスタルジーを喚起した。

ひるがえっていま、仮に1990年生まれの作家が、自分の小学校3年生当時の1999年頃を舞台に作品を描いたとして、「ちびまる子ちゃん」ほどに広く共感を呼ぶことができるだろうか? そう考えるとやや疑問を抱く。


今夜、日本テレビ系の金曜ロードSHOW!で放映される高畑勲監督のアニメ映画「おもひでぽろぽろ」にもまた同じことがいえそうである。この映画の公開は1991年、「ちびまる子ちゃん」の放送が開始された翌年だ。ただし映画の舞台となるのは1982年。物語は、主人公である27歳のOL・タエ子が、親戚の農作業を手伝うため山形を訪れるなかで自分が小学5年生のころ(1966年)に体験したさまざまなできごとを思い出すという形をとっている。

1982年の描写が「懐かしくない」のはなぜか?


映画監督の岩井俊二は、「おもひでぽろぽろ」劇中の「現在」の設定が映画公開の9年も前の過去であることに注目し、次のように書く。

《大人のタエ子は二十七歳。約十七年前の小学五年生の自分を懐かしんでいる。『ひょっこりひょうたん島』や当時の風俗を含め、これらをひとつの時代として懐かしむ。(中略)ここでちょっと不思議なことに気づく。九年前の大人のタエ子は懐かしいだろうか? 公開時、僕はこのシーンが九年前であることにすら気づけなかった。それどころか今、僕らが、この『おもひでぽろぽろ』を観て、懐かしく思うだろうか? 大人のタエ子のシーンでは[引用者注――この文章の書かれた2014年から計算して]三十二年前の姿なのである。映画そのものですら二十三年前なのである。本当だったら『ひょっこりひょうたん島』どころではない懐かしさに身悶えしたとしてもおかしくはない。ところが大人のタエ子のシーンはまるで懐かしくない》(「ノスタルジーの正体」、『ジブリの教科書6 おもひでぽろぽろ』所収)

なぜ、1982年のシーンが懐かしくないのか。岩井はその理由を、風俗や流行と切っても切れない集団的記憶を指す“時代”という語が、昭和から平成に移るころを境に消滅したからではないか、と考える。

岩井の指摘するとおり、映画「おもひでぽろぽろ」で描かれる1982年の風景はいまとほとんど差がない。冒頭からして、パソコンやコピー機のある現在と変わらないオフィスの風景から始まる。82年頃といえばちょうどOA(オフィスオートメーション)化が進行していた時期だ。やはり冒頭に出てくるタエ子の住む都内のワンルームマンションも、いまとさほど変わりはあるまい。これが70年代が舞台だったのなら、畳敷きの木造アパートの一室にでもなっていただろう。

「あしたにしましょ」と「あしたがあるさ」の違い


昭和から平成に移るころには、過去の風俗や流行を懐かしむレトロブームが若い世代にも起こった。それも時代感覚が消滅したがゆえの現象であったのだろう。「ちびまる子ちゃん」や「おもひでぽろぽろ」もそうした風潮のなかでヒットしたことは間違いない。

「おもひでぽろぽろ」の原作は岡本螢・作、刀根夕子・画による同名マンガだ。しかし27歳のタエ子は映画にしか登場しない。これというのも監督の高畑勲は、この映画を過去を懐かしむものにはしたくなかったからだ。

高畑は世のレトロブーム、レトロ気分を、《過去をふりかえり、あれこれ細かいことを数え上げ、みんな同じだったんだ、と安心する。いわゆるアイデンティティーとか帰属意識とかいうものが人間の精神的安定に必要だとして、私たちはこれほど微弱なものにすがらなければならないのだろうか》と批判的にとらえていた(「映画『おもひでぽろぽろ』演出ノート」、『ジブリの教科書6 おもひでぽろぽろ』所収)。

この作品をレトロ気分を満たすものにはしたくなかった高畑は、精神病の治療法を参考にした。《患者の過去を掘りおこし、無意識の領域までさぐりを入れる。そして患者が自己を対象化し、自己分析をやりとげたとき、病いは自然に癒えるという》、その方法を映画づくりにあてはめ、原作マンガからエピソードをいくつかとりあげながら、それを27歳になった主人公が振り返る形をとったのだ。

それにしても、タエ子の27歳のパートと11歳のパートと問わず、この映画での描写の細かさには驚かされる。それも高畑勲の執念のたまものだった。たとえば27歳のパートに出てくる山形でのベニバナづくりについて、高畑は現地で取材したあとも研究に余念がなく、本格的に制作に入っていたにもかかわらず、「取材したことと自分の研究とのあいだに食い違いがあるので、もう一度取材に行きたい」と言い出してスタッフを困らせたとか。

一方、タエ子の11歳のパートでは、1966年前後の多くのヒット曲と並んでNHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」の挿入歌もいくつか登場する。これらの音源はNHKにもレコードを出していた日本コロムビアにもなく、スタジオジブリのプロデューサー・鈴木敏夫のツテを介してあるファンが持っていた番組の録音テープを借りることでやっと採譜できたという。高畑のこだわりはそれにとどまらず、画面で人形の振り付けも再現したいと、当時の振付師を探し当てて何とか振り付けを教えてもらっている。

これらの場面だけ取り出せば、ある世代にはノスタルジーに浸ることも十分可能だろう。しかし高畑は先述の理由からそれでは終わらせない。

自分を対象化して自己分析した末に一歩


劇中、タエ子は山形で知り合った農家の青年・トシオ(ちなみにその名は鈴木敏夫の名からとられたという)と、子供のころに「ひょっこりひょうたん島」が好きだったという話で盛り上がる。だが、そこでトシオが口にする「ひょうたん島」の挿入歌「一日延ばしの歌」の歌詞は微妙に間違っていた。

トシオは「きょうがだめならあしたがあるさ」とタエ子と一緒に暗誦するのだが、実際の歌詞は「きょうがだめならあしたにしましょ」だった。しかしタエ子はこの記憶違いを「前向きに覚えていた」ものととらえ、そんなトシオの生き方をすてきだと思う。

これ以外にも、タエ子はトシオに対してことあるごとに小学5年生のころの苦い思い出を打ち明ける。トシオはそれをことごとく前向きに解釈してみせる。彼女はまさにトシオを相手に過去を掘り起こすだけ掘り起こして、自分を対象化して自己分析した末に一歩前へと踏み出すのだ。

こうして見ていくと、「おもひでぽろぽろ」というタイトル、とくに「ぽろぽろ」の部分が何だか意味深に思えてくる。「ぽろぽろ」思い出しながら、前へと進もうとするタエ子。そこで彼女は何を決意したのか? それは実際に本作で確認したうえでおのおの考えてみてください。
(近藤正高)