乳房を全摘出するか、部分摘出するか?

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■「私の妻なら、乳房全摘出を勧めます」

半年間の抗がん剤治療が終わり、妻の右乳房の3つのしこりもかなり小さくなって、いよいよ手術ができる状態になりました。手術について、主治医は「乳房を全摘出するか、部分摘出するかを選ぶことができます」と提案してきました。全摘出になると思い込んでいた妻には、思わぬ朗報でした。

しかし、部分摘出することによって、画像診断では引っかからないがんが残ってしまえば、再発や転移の危険性が一気に増します。そこで妻は「私のような乳がんに先生の家族がなったら、どちらを勧めますか」と聞きました。「全摘出を勧めます」というのが主治医の答えでした。

いまでは小さくなったとはいうものの、妻の乳がんが見つかったとき、すでに右脇のリンパ節にも転移しており、3つのしこりのうちの1つは5×3センチもあったのです。しかも「最悪の顔つき」とまでいわれていたのです。そのため手術ができず、妻は半年間も抗がん剤治療に耐えてきたのです。

私は妻とは逆で、がんがかなり小さくなったのなら部分摘出に違いない、と思い込んでいました。ですから、乳房の全摘出か部分摘出かの選択の話が主治医から出たとき、全摘出なら抗がん剤治療をした意味がないような気さえしました。

たしかに転移のリスクを考えたら、全摘出のほうがいいのでしょう。主治医の「全摘出を勧めます」という言葉が、「全摘出でなければ近い将来、命を落とすことになりかねない」といわれているように、私には聞こえました。

それでも「全摘出にしてください」と承諾するには、気持ちの整理が必要でした。妻からすれば、女性の象徴でもある乳房を1つ失うことになるのです。主治医の答えに妻も決断できずにいたので、手術前日までに答えを出すことになりました。

時間が経つにつれて、妻の命の安全を考えると、全摘出しかないように思えました。妻にはつらい選択となりますが、部分摘出を選択したがために転移し、命に関わるようなことになれば、悔やんでも悔やみきれません。手術前日までに妻を説得することができるか、自信はありませんでしたが、まずは妻の気持ちをじっくり聴こうと思いました。

手術前日の夕方、病室のベッドに横たわる妻と乳房を全摘出にするか、部分摘出にするかについて話し合いました。妻は「部分摘出にしたい」と私に訴えました。その答えが苦渋の選択からなされたものであることは、妻の表情からすぐにわかりました。

私は、命の安全を優先するため全摘出を勧めながらも、最終的には妻の決断に同意しました。命云々の前に、妻が生きる気力を失くしてしまうのではないか、と心配になってきたのです。これまで十分に頑張ったのだから、これ以上つらい目に遭わなくていい、と考え直すようになったのです。

ところが妻は、主治医に乳房全摘出手術をする旨を伝えたのです。家族のためにも命に関わるリスクは負えない、と強く思ったのでしょう。妻の決断に、なんだかうれしいような悲しいような複雑な気持ちになりました。

■お見舞いに来てほしくない入院患者

手術は午前に行われるとはいうものの、起床してから手術までの時間、なんとも重苦しい時間が流れます。私も胆のう摘出手術を受けたことがあるので、初めて手術を受ける妻の緊張、不安が痛いほど伝わってきました。ただ、全身麻酔での手術は、麻酔が効いてから目覚めると、すでに手術は終わっており、病室のベッドの上です。手術中の意識はないため、怖いことはないのです。私はそのことを何度も妻に話し、安心させようとしました。

手術の時間となり、妻が歩いて手術室へと向かいました。私の場合、手術室まで滑車のついたベッド(ストレッチャー)で運ばれたため、患者が歩いて手術室へ向かうことに違和感を覚えました。ドラマでも患者が手術室へ向かうシーンはストレッチャーが定番なので、なおさらだったのかもしれません。

後で聞いたのですが、手術室へと向った妻は、すぐに手術とはならず、控室で待たされたのです。しかも、そこには手術の順番を待つ人が4人もいました。抑えきれない不安を感じた妻は、手術室で麻酔をする前に、執刀医でもある主治医の顔を見たいと麻酔医に告げ、主治医が来てくれたことで落ち着くことができたのです。

手術は成功し、ホッとしたのですが、右乳房を失った妻のことを考えると、単純によろこぶことはできませんでした。妻は、「胸がなくなるのではなく、病巣がなくなるんだ」と自分に言い聞かせて手術を受けましたが、やはり右乳房を失ったショックは大きく、看護師に「傷跡がきれいですね」といわれても、「なんの慰めにもならない」といっていました。

乳がん患者に「切ったら治る」というのは禁句です。「切る」というのは部分摘出であっても「乳房を切り取る」ことを意味するからです。自分の身体の一部が切り取られてショックを受けない人はいません。しかも乳房の場合は、自分の目で確認できる場所で、女性の象徴でもあるのです。

手術後、多くの人がお見舞いに来てくれました。しかし、妻は感謝しながらも、人と会う気分ではなかったのです。それほど右の乳房を失った悲しみが想像を超えていたのです。妻の場合、乳房だけでなく、すでに髪の毛も眉毛も失っています。放っておいてほしいという気持ちが生まれるのも、無理はないのかもしれません。

ただ、主治医が摘出した乳房を調べたところ、画像診断では引っかからない小さながんが飛び散っていたため、やはり全摘出したのは正解でした。たしかに結果からすればよかったのですが、妻の悲しみを考えると、複雑な気持ちにならずにはいられませんでした。

(フリーランスライター 桃山透=文)