赤川次郎『三毛猫ホームズの推理』光文社/高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』講談社

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 昨晩、安倍首相が戦後70年談話を発表した。しかし、本サイトでもすでに指摘しているように、その内容は巧妙に謝罪を避け、過去の歴史から目を背け、さらには「積極的平和主義」という名の新たな戦争を肯定するものだった。

 こうした歴史修正に対し、わたしたちはどのように抗えばいいのか。そのヒントとなる、ある作家ふたりの言葉がある。その作家とは、赤川次郎氏と高橋源一郎氏だ。

 ふたりの対談は、以前、本サイトでも紹介した「すばる」(集英社)8月号に掲載されたもの。赤川氏は日本を代表する人気ミステリー作家であり、かたや高橋氏はポストモダン文学の旗手と呼ばれた純文学作家......なんとも意外な組み合わせだが、じつはこのふたり、不思議な縁がある。

 というのも、赤川氏の父親は、満州に渡り、満州映画協会(満映)に勤めていた。この満映を率いていたのは陸軍軍人の甘粕正彦。アナキストの大杉栄と内縁の妻で婦人解放運動家の伊藤野枝、大杉の甥の3名が憲兵隊によって殺害された「甘粕事件」の首謀者とされる人物だ。赤川氏の父は甘粕大尉の側近だったが、なんと甘粕大尉は高橋氏の大叔父にあたるというのだ。

 ふたりは戦後生まれのいわゆる"戦争を知らない世代"ではあるが、飛び出す話を読んでいると、戦争とはつい最近の話なのだという思いが強くなる。たとえば、高橋氏の母親は広島への原爆投下の日に広島へ行く予定だったが、「二人手前で切符が売り切れ」た。そのため母親からは「あと二枚切符があったら、おまえいてへんで」と言われるらしい。さらに、呉の軍港に軍事奉仕にも出ており、「人間魚雷みたいなのを作らされていた」という話もずっと聞かされていたという。

 他方、赤川氏は、父親から聞いた話として、甘粕大尉が甘粕事件で刑務所に入れられたことを「軍部に裏切られたとものすごく怒っていた」ことや、彼が「中国人だろうが日本人だろうが、同じ仕事をしたやつには同じ給料」を支払うなど平等に扱っていたために「終戦を迎えたときに、うちの両親は周りの中国人にすごく親切にされ」たという話を披露。「(きょうだいのなかで)僕だけが内地生まれ。(中略)内地なんて言うと、いかにもという感じですけど(笑)」と赤川氏は語っているが、戦争を体験していない世代とはいえ、「体験として直接聞いている」(赤川氏)のだ。

「高橋 父親が本当にしみじみと言っていました。国は最後に国民を裏切る、だから国は信じたらあかんでって。思想としてはうちの父親はすごい右翼なのに、国は信じられない。その辺りはわりとはっきりしていましたね。
赤川 右翼でも国を信じられない。そう、戦争を体験した昔の人はみんなそうですよね。」

 もっとも身近な肉親が体験した戦争。そのためか、ふたりの話に"戦争ファンタジー"が入ることはない。逆に、"戦争法案"をつくり、通そうとする安倍首相のような"自分よりも年下の指導者たち"に、高橋氏は「彼らは上の世代からどういう話を聞いてきたんだろうねと思ってしまいます」と言う。

「僕たちが見聞きした話って、情報ではないと思うんです。僕たちは戦争に行った人たちの話をダイレクトに浴びて育ったわけで、それは「資料」でも「情報」でもない。戦争に対する態度とか、こういうものがあったという「物語」として、戦争の歴史を受け取っているんです。
 ところが最近、従軍慰安婦問題にしても、ものすごく細かい情報を集めて、この資料にはこう書いてあるから慰安婦問題はなかったという言い方が、増えてきていると思いませんか。これは右翼と言われる人たちも同じで、全部資料に頼るでしょう」(高橋氏)

 この高橋氏の言葉に対し、赤川氏も「私たちは物語を聞いているわけです。その物語は、ちゃんと人間が生きている話です」と同意する。

「でも、安倍さんたちが言うのは「数字」なんですよ。南京大虐殺だって三十万人も死ぬわけがないだろうというね。じゃあ十万人ならいいのかっていう話になりますよね。あの人たちにとっては、人の命は数字にすぎないんです」(赤川氏)

 数字にこだわるのは、戦争の問題だけではない。株価、人口といったように、経済の問題でも"全部数値にならないと証明されたことにならない"。そのような空気によって、当事者たちの「物語」は、「数」の論理でかき消されようとしている──。

 安倍首相が発表した戦後70年談話でも、結局、従軍慰安婦は「女性」と括られ、植民地支配も侵略も村山談話を引用しただけで、現在の首相としての考えを明らかにしなかった。そこには、"裏付ける資料がないから"という安倍首相の主張が見え隠れするようだった。安倍首相が談話のなかで無視しているもの、それこそが当事者たちの「声」であり、生きた「物語」だろう。

「僕は「論壇時評」でも書いたんです。紙の資料に頼りながらそこから発せられる「単なる売春婦」とか「殺されたと言ってもたかだか数千で大虐殺とは言えない」とか、「強制はなかった」という物言いに、すごく強い違和感があると。赤川さんがおっしゃったように、資料の中では単なる数に過ぎなくても、一人一人異なった運命を持った「当事者」がそこにはいたわけですよね」
「慰安婦のことも、あれだけ多くの、実際に体験した兵士の証言や、目撃した当時の外国人の証言もあるのに、それでもなかったと言う。人数の問題にしてしまえば無視できるだろうというような......。いつから日本人って、こんなに情けなくなっちゃったんでしょうね」(高橋氏)

 歴史を修正することは「愛国」ではない、むしろ愛がわかっていないのだ──。そう指摘する高橋氏と赤川氏は、現状の日本を「国家サイズのモンスターペアレンツ」と表現する。「あいつは敵でこいつは味方」と単純に切り分け、「わかりやすさ」を求める、それが安倍政権の姿だと。

 しかし、戦争の「当事者」たちが鬼籍に入っていくなか、こうした歴史修正にどうすれば抗うことができるのか。高橋氏はこの問題を前にして、現在の"戦争作品"を手がけた若い世代の作家たちの名を挙げる。前々回に芥川賞にノミネートされた、ニューギニアの野戦病院を舞台にした戦争小説『指の骨』(新潮社)の高橋弘希と、沖縄のひめゆり部隊に着想を得たマンガ『cocoon』(秋田書店)の今日マチ子、それを舞台化した藤田貴大だ。

 この3人は全員30代だが、高橋氏いわく「自分が七〇年前に戦場にいたらこんなふうに感じただろう」と、同じことを言うのだと述べている。そして、「彼らが戦場を描写するのは、ある意味必然なのかもしれない」と言う。彼らは、就活、格差、貧困という社会のなかで、「物としての砲弾は飛んでいないけれど、ぼーっとしていると後ろから撃たれて死んでしまう」という「戦場感を持っている」のではないかと高橋氏は説明するのだ。「豊かな経済の恩恵を受けてきた」団塊の世代よりも、いまの20・30代のほうが「戦争中の人たちの感覚をダイレクトにわかる」のではないか、と。

「僕は、そういうことが、来るべき社会を変えていく礎の一つになるんじゃないかという気がしているんです」
「親から受け継いだ戦後生まれの我々の記憶は、たぶんそういう若い人へのサポートで継承されていくのかなと思います」(高橋氏)

 これは、この社会のかすかな希望だ。70年前を生きた人たちを想像すること。声に耳を傾けること。70年前のきょうという日と70年後のきょうが、どんなふうに繋がりあっているのかを考えること。「数」を絶対視したり、敵と味方に分ける「わかりやすい」論理にかどわかされないこと。それは、わたしたちが生み出すことのできる希望となるはずだ。
(水井多賀子)