世界各国で興行収入の記録を次々に塗り替えている映画『ジュラシック・ワールド』。過去のシリーズ作品と比較しならが、ライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんが語り合います。

合成恐竜インドミナスレックス側から観れば『マッドマックス』!


飯田 壁に囲われ管理された窮屈な恐竜テーマパークの世界から、権力者であるパークの社長や科学者たちのオモチャにされていた存在(合成恐竜インドミナスレックス)が反逆し、自由を求めて逃走するという、実に『マッドマックス』だったよね!
 で、壁の外に出たら恐竜も人間もみなごろし。「一匹残らず、駆逐してやる!」……ってそれは『進撃の巨人』だけど。走る! 逃げる! 死ぬ! 走る! 逃げる! 死ぬ! 『ジュラシック・ワールド』もそういう映画です。

藤田 また『マッドマックス』ネタが来た! ぼくは、今回も、乘りませんよw 『マッドマックス』は『マッドマックス』! 『ジュラシック・ワールド』は『ジュラシック・ワールド』!
 ただ、言っちゃ悪いですが、『リアル鬼ごっこ』や『進撃の巨人』で物足りなかったものは、こっちで全部味わえた感じがするんですよ。製作費の桁が違うのは承知していますが、観客は同じ額のお金を払う以上対等に見るわけで、そりゃあこういう作品がごろごろしていたら、『進撃の巨人』や『リアル鬼ごっこ』に文句言われるわなぁ、と思ったことも確かです。金と技術力で圧倒的に攻めて来る感じで、途方に暮れて、畏怖を覚えます。
 さて、内容ですが、かつて『ジュラシック・パーク』があった島に、恐竜を楽しめる『ジュラシック・ワールド』がオープンする。それを観客も体感できる。今回、スピルバーグは製作総指揮なんですが、久々に、ただひたすら残虐さを楽しませるアトラクション映画をスピルバーグがやってくれたな、と。ただひたすら面白い。
 合理的にパークの経営をする冷徹なクレアが、生き残りを賭けて色々しているうちに、内なる野生に目覚めて、格好もエロくなっていくのもよかった。デートムービーとしても、よくできている。連れてきた相手の野生が、この映画を観ているうちに目覚めてくれたら、いいですよねw
 恐竜のぬめっとした質感なども、CGなどでうまく作られていたし、3Dの使い方も意外性があったり、意表をついてきたりしていて、堂々たるアトラクション映画。怪獣みたいな恐竜が逃げ出したのち、容赦なく園の中で殺戮していくのも、緊迫感がすごくあった。

飯田 CGはほんと第一作目の22年前から発達したよね。昔のを見直すと、恐竜の重量感にやや欠けているし、「デジタル感」がすごいする。今回は3Dで観たせいもあるかもしれないけど、もはやあんま気にならなかった。

藤田 一作目も、初めてCGで恐竜をスクリーンで、堂々と見せてくれた映画だったので、当時は衝撃を受けましたけどね。今や、時代がかっている風にしか見えないですよね。
 恐竜のようなすごいものを、CGや3Dで観れる驚き、喜びと、死の恐怖から走って逃げて隠れてドキドキして、野生が蘇ってカップルがくっつく、と。もう、普遍的な面白さ。本能的と言ってもいいのかもしれない。

飯田 お金払った分は最低でも楽しめる映画です。この作品に関して言えばスピルバーグだから、とか、アメリカの映画産業は〜とか考えても楽しめるし、何も考えなくても楽しめる。細かいところではいろいろ思うことはあるんだけどね。パークのセキュリティたちが使う兵器がしょぼすぎる、とかさ。米軍呼んできてとっとと解決しろよ、って。

藤田 1日のなかの数時間で起こる話ですからね。米軍が来るまで時間がかかるんでしょう。

飯田 もちろん、合成恐竜は素早すぎるしステルス迷彩するので狙うのが大変、だから火力が強いだけじゃダメ、という理屈は考えられるんだけど。自分たちで制御できないものをつくっちゃって、それが暴走して自分たちの首をしめるのが人類ですよね、って話だし。

恐竜はCGの暗喩で、テーマパークは映画の暗喩である


藤田 テーマパークとしての『ジュラシック・ワールド』の理念として、人類のちっぽけさを思い知らせるというセリフがありました。それは映画としての本作にも言えることで、征服できない自然の暴力性を見事に描いていた。それが、CGなどのテクノロジーで描かれているという皮肉も含めて、面白い。最大の脅威は遺伝子操作をされた恐竜、つまり人工的に改造された自然だし。

飯田 合成恐竜はダメだけど、遺伝子組み換えなしの恐竜は生きものだ! 大事だ! みたいな感じで途中まで進むけど、あれって「CGでつくられたものも生きものだ」と言っているようなもので。「CGと生身の生きものを区別すんな、どっちも命あるんだよ!」という話とも読める。失われた古代のものをテクノロジーの力で復活させられるという夢が『ジュラシックパーク』だった。でもそうだと思ってたら、実は存在しなかったものを想像で補って作り出していたんだ、というのが今回の話。

藤田 恐竜はCGの暗喩で、テーマパークは映画の暗喩ですよね。

飯田 そうだと思う。そのへんの批評性がスピルバーグっぽいところ。まあ、監督は若いひとなんだけど。

藤田 監督のコリン・トレヴォロウは、これが二作目で、38歳。驚きますよね。

飯田 こんだけ期待されまくって、いろんなひとたちが死ぬほどわーわー言ってくるだろう作品をちゃんとまとめただけでもすごい。実写版『デビルマン』とは大違い!

藤田 ジョーズみたいなものをショーで恐竜に食わせたり、途中に出てくる、死にかけたかわいい恐竜の目がETのようだったり、スピルバーグファンへのくすぐりもいっぱいありましたね。第1作目の『ジュラシックパーク』もちゃんと出てきますしね! ポンコツのジープがよみがえって役にたつという!

飯田 そうそう、22年前のクルマを子どもが修理して無免許で疾走! 日本ではできないだろうなあ、あの設定……。毎回『ジュラ』はスピルバーグネタがちょいちょい入るよね。

藤田 スピルバーグは、しかし、スピルバーグ・クローンのような監督を生み出すことには見事に成功していて(しすぎていて)それはいいんだろうか。監督の力量(だけ)ではない何かで伝承されているのでしょうね。その仕組みは、すごい。

飯田 スピルバーグはお約束的なモチーフ、作家的な特徴が強いから「それっぽいもの」なら意外とコピーしやすいんじゃないですか?

藤田 スタッフや周辺の人々などが支えていて、監督の「作家性」があまり重要ではないような制作の環境ができているのではないのか、というのが、ぼくの考えです。その環境を作り上げたこと自体が、すごい。

戦後70年に日本人が観るべき映画!


飯田 このシーズンだし、まじめに(?)言うと、日本人が戦後70年に観るのにふさわしい映画だと思った。まず、戦力の逐次投入っていかにダメかがわかる。合成恐竜が逃げ出したときに「カネかけて作ったもんだから生け捕りにしろ!」って言って戦力を小出しにしたことによって被害が拡大! どこの旧日本軍だよと。

藤田 旧日本軍だけに限らない普遍的なミスだということですねw 戦争の話を繋げるなら、若干、塚本晋也監督の『野火』にも似ている感じがしました。自然の圧倒的な感じと、人類の矮小さを感じるところ、内なる自然や生命そのものが蘇ってくる感じとか。『ジュラシック・ワールド』は、「戦場」と作中で言われていた通り、戦争のメタファーでもありますよね。最後の方は、難民キャンプみたいな描写がされていましたし。

飯田 そして指揮官が前線に率先して出向くことによって命令系統がメタメタになって大惨事になる、というのも日本のあちこちでいまだに見られる光景だし。あ、楽天イーグルスのことを言っているわけじゃないよ!
 それから何より、どれだけ悲惨なことが起こってもあっという間に風化してみんな油断しまくる、ということも教えてくれる。戦後70年に引きつけて見せるために日本公開を世界でいちばん遅らせたんじゃないかとw
 インド人がパークの社長で、研究開発のチーフが中国人じゃないですか。どっちも危険な合成恐竜を生み出すことに加担して、悲惨な目に遭う。あれは「アジア人はバカだよね。死ねばいいのに」的な思想かと最初は思ったわけですが、たぶんそうじゃなくて。主役が子ども二人ってことにも関係していて、「惨劇の記憶が共有されていないひとたちは、簡単に道を踏み外す」っていう象徴なのかなと。

藤田 そうなんですよね、1作目の惨事を園の人たちは知っているのに、甘く見ている。唯一、1の時のパークのTシャツを着ている男だけが、最後、危機管理のルームに残るのは、過去の惨劇を知っているが故なんでしょうね。
 恐竜兵器を作ろうとするセキュリティ会社の人はアメリカ人じゃないですか? あれはグローバル資本は、ローカルな土地の惨劇の記憶にはこだわらないという描写に感じましたね。ちなみに、恐竜兵器を作るのに熱心な人は、『フルメタル・ジャケット』でいじめられて教官を撃ち殺した「ほほえみデブ」の役の人。そこらへんも、よくできています。
 あんまり過酷に人間をコントロールしようとすると、内なる殺意が暴走する、という役柄を『フルメタル・ジャケット』で、被害者として演じた人が、今回は加害者の側になっている。そして『フルメタル・ジャケット』は、結局アメリカがベトナムのジャングルで振り回されて勝てなかった泥沼のベトナム戦争を描いている。つまりあそこはベトナムなんですw

飯田 あー、テクノロジーで優れているはずの側が立てる計画的で合理的なはずの作戦がいかに机上の空論か、とか、ジャングルでのどこから現れるのか見えない敵とのゲリラ戦とか、たしかにベトナム戦争を思わせなくもない。
 肉食の翼竜を囲っているドームにヘリが墜落、爆発すると翼竜がいっせいに逃げ出して人間を襲うわけだけど、あそこの会社は株主総会に山本太郎を呼んでおかなかったのが不幸だった。「ヘリが落ちて爆発したらどうすんですか!」ってw まああのインド人社長も「仮定の話には答えられない」って言ったかな。

藤田 ドームから翼竜が出て被害が出るのは、たしかに原発のメタファーっぽいですねw

何度でも繰り返される悲劇、何度観ても楽しめる「走って逃げる映画」


藤田 ジュラシック・パークの惨劇があってから、これで4作目じゃないですか。パークを作ること自体は4度目ではないけれど。何度でも繰り返すのは、忘却してしまう人類の業のようなものとも、続編を作るという商業的な要請のせいとも、読めますね。

飯田 最近は恐竜の対する学説も一昔前とは変わってきているみたいだけど、わりと旧来的な恐竜イメージで踏襲してきたのも、それが見た目的にいちばんこわいから=客が入るから、なんだろうし。批評的です。

藤田 作中の人物が「重要なのは恐竜の見た目だ」と言っていますよね。本質的にハリボテの偽物である、映画という産業そのものと、重ね合わせて、よくできていますよ。テーマパークだからという設定によって、観客に効率よく迫力あるものを見せられる。
 今年の夏に見ておくべき3D大作として、『マッドマックス』『アベンジャーズ』と『ジュラシック・ワールド』が並ぶわけですが、テーマパーク的体験を観客ができて、スリルを味わえる度合いで言ったら、本作は他の二作と比べても、堂々とした風格の作品でした。

飯田 しかし、なんで世界的にあんな客入ってるんですかね。それこそテーマパーク(ユニバーサルスタジオ)とかで慣れ親しんでるからかなあ。

藤田 それもあるでしょうが、「かくれんぼ」とか「鬼ごっこ」とか、やっていることは基本的で普遍的なスリリングなことなので、世界中の人が感情移入しやすいんじゃないでしょうかね。

飯田 たしかに、死の恐怖から走って逃げるパターンは普遍だね。

藤田 だから『リアル鬼ごっこ』も普遍的だったんですね!

飯田 お、おう……。