◆8月特集 リオ五輪まで1年、メダル候補の現在地(6)

 相手の攻撃をかわして伸ばした剣の先端が、空いた胸を突いた。自分のマスクのランプが点灯して15点目が認定されると、太田雄貴はその勝利をじっくりと噛み締めるように、右拳を胸の前でグッと握りしめた。やっと届いた、世界の頂点――。10代のころから強気に口にしていた目標が、2015年7月の世界選手権・モスクワ大会でついに実現した。

 2008年の北京五輪、ほとんどの人がノーマークだったなかでフルーレ個人・銀メダルを獲得し、フェンシングの存在を知らしめた太田。4年後のロンドン五輪、個人戦では3回戦で前年の世界王者アンドレア・カッサーラ(イタリア)に延長戦で屈したものの、千田健太や三宅諒、淡路卓と組んだ団体戦では世界ランキング上位の中国とドイツを撃破して決勝へ進出。最後はイタリアに敗れたが、銀メダル獲得で再びフェンシングの存在感を見せつけた。

 だが、ロンドン五輪後に太田は引退を口にし、東京五輪の招致活動などに携わった。その間、代表チームは低迷した。2012〜2013年シーズンの世界選手権・団体は12位に終わり、国別世界ランキングも前シーズンの5位から8位に落ちた。

 2013年1月のチャレンジインターナショナル・パリ大会にジュニア選手も起用して臨んだヘッドコーチのオレグ・マチェイチュクは、「他の国では30代の選手もまだ現役でいるし、その年代は本当に油が乗ってくるころ。それなのに日本選手は、なぜ20代中盤で現役続行を躊躇(ちゅうちょ)してしまうのかわからない」と話していた。太田の存在の大きさを認識するからこその嘆(なげ)きだった。

 太田はその後、2014年1月のパリ国際大会から復帰。しかし、その道は容易なものではなかった。1シーズン丸ごと休んだため、世界ランキングはない状態。よって大会では、ベスト16位までの選手が免除される予選から出場した。成績も、スペイン大会やキューバ大会での3位や2位があれば、パリ大会でのベスト64敗退やドイツ大会でのベスト128敗退などもあり、なかなか安定しなかった。

 それでも太田は世界ランキングを13位まで戻すと、今年5月にはドイツ・ボン大会で2位になるなど次第に安定感を増し、6月のアジア選手権では初優勝。太田にとって、2010年の高円杯以来となる個人戦の勝利だった。

 そして自信を持って臨んだ、今年7月の世界選手権――。「これが人生最後の世界選手権になるかもしれない」と思って挑んだ太田は、運にも恵まれた。大会直前の世界ランキングは8位だったが、決勝トーナメントに入るとランキング上位の選手が次々と姿を消す波乱の展開に......。さらに世界1位のレース・イムボーデン(アメリカ)がベスト16で雷声(中国)に完敗するなど、準々決勝に残った予選免除のシード選手は太田を含め、6位のアレクサンダー・マシアラス(アメリカ)と13位のゲレク・マインハート(アメリカ)の3人だけとなった。

「今、金メダルを獲り損ねたら、一生獲れない」と気合を入れた太田は、ベスト16でチェン・ロン(香港)に得点で追いつかれながらも第2ピリオドで競り勝つと、「流れのなかで変な失点をする試合をしたことで、(逆に開き直って)心身ともリラックスできた」とエンジンを切り換えた。準々決勝では過去10勝7敗だったロンドン五輪王者の雷声を相手に先手を取り、第1ピリオド中盤では11対3と大量リードを奪って残り36秒で試合を決めた。

 さらに、準決勝の対マインハート戦でも5対1と先行したあと、9対8まで迫られながらもその後は6点を連取し、第1ピリオド残り55秒で勝利をもぎ取った。決勝でもその勢いは衰えず、マシアラスを相手に最初の1分で7対2と先手を奪取。その後の30秒強で同点まで迫られたが、結局、第1ピリオドの残り49秒で15対10にして勝負を決めたのだ。

「アタックでポイントを取るだけではなく、ディフェンスでも取る練習をしてきた。それを試合のなかの随所で変えることができたのが勝因」という太田。「フェンシングがわかるようになってきた。筋力やスピードではなく、『うまくフェンシングをする』ということができた」とも話した。

 北京五輪の銀メダルまでは、「スピードと剣さばきのうまさ」という、持って生まれた資質の高さを武器に勢いに乗って駆け上がった。だが、一時引退状態からの復帰後は、予選から出場してこれまで対戦したことのない若い選手たちとも戦うなかで、フェンシングを改めて考えるようになったのだろう。

 そうして行き着いたのが、「最近は勝つとか負けるとかではなく、フェンシングがうまくなりたいというところにモチベーションを置けるようになってきた。それを証明する場所が試合。勝ち負けや報酬ではなく、自分がフェンシングを理解し始めたとワクワクしている」という心境だ。

 また、世界選手権の試合後には、「これまで五輪は2位で、2010年の世界選手権は3位。だから、日本人でも勝てるというところを証明し、オレグを金メダリストのコーチにしたかった」と話していた。その結果、太田の世界ランキングは一気に2位まで上昇。世界選手権を制した太田がリオ五輪での金メダル候補の一角であることは間違いない。

 だが、リオ五輪に向けて太田は、再び団体戦で勝負することに重きを置いている。

 現在、日本の国別世界ランキングは8位。世界選手権では順位決定戦で韓国を破って7位になったが、世界ランキングでは韓国(6位)との位置関係は変わっていない。一方、世界選手権で衝撃的だったのは、五輪に無条件で出場できるランキング4位以内に該当する3位の中国が、世界選手権後には5位に落ちたことだ。

 ランキング5位以下だと、4位までに入っている国を除いて各大陸1位のみが五輪出場権を得られるだけとなる。つまり、日本がリオ五輪の出場権を得るためには、来年2月までの4大会でポイントを獲得して4位以内に上がるか、現在5位の中国が10点差で迫る4位のアメリカに逆転したうえで、6位の韓国を抜いてアジア・オセアニア勢2位にならなければいけないのだ。日本が来年2月までに4位になるには厳しいかもしれないが、6位の韓国とのポイント差は17点。逆転不可能な差ではない。

 昨年のアジア大会で、太田はこう話していた。「団体戦でメダルを獲りたいとずっと言っていたのは、たとえ個人戦でメダルを獲っても、下の世代の選手は、『太田先輩だから......』となるから。そうではなくて、『俺たちもできるんだ』という気持ちをみんなに持たせたい。下の世代の選手たちが、『この先輩に練習で勝てたから、僕たちも世界で勝てるんだ』という良いサイクルに入らないと、日本は強豪国にはなれない」

 そして、それが実現できたときこそ、太田は日本フェンシング界に「過去のメダルだけではない大きなもの」を残したことになる。

 そのためには、「(ランキング上位5ヶ国の)ロシア、イタリア、フランス、アメリカ、中国とどう勝負していくかですね」と語る太田。念願の世界一を手にしたあと、個人戦での活躍以上に団体でのメダル獲得が残された最後の務めだと決めた太田雄貴は、残り1年となったリオデジャネイロ五輪に向けて邁進している。

折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi