3月7日朝、体育の授業に出はしたものの、さすがにカラダがうごかなかった。
 「きのう、LAマラソンを走ったので、今日は…」と、先生に言い訳をしてみる。
 「LAマラソン!!? 何マイル走った?!」 
 「へ? もちろん26.2マイル…」
 「You did it !?? おい、みんな聞いてくれ、ユリコはきのう、LAマラソンを走ったんだぞ!」 

 拍手喝采(かっさい)がわく。祝福と質問攻めにあう。照れくさいことこの上ないが、うれしかった。誰にほめられたくて走るわけじゃないし、半分くらい歩いたし、自己最低タイムだった。でも、だからあらためて「ゴールに行き着くことは簡単じゃない」と実感した42.195キロだったのだ。アメリカにやってきて7か月半、うすうす感じてはいたが、ここでは、チャレンジングな人はとにかく称えられるようである。多分、私をサクッと抜いていった女の子3人組も、途中、一緒に歩いたスパニッシュなまりのおじさんも、学校で会社でヒーローになっているに違いない。

 ロサンゼルス五輪(84年)を記念して86年に始まったこの大会。109回を数えるボストンマラソンはもちろん、米国フィットネスブームに乗って70年代にスタートしたニューヨークシティマラソン、シカゴマラソン、ホノルルマラソンには後れをとったが、LAマラソンも今回で20回目のアニバーサリー。この南カリフォルニアでも市民レースは数々開催されている(幾つか出場した)が、知名度はピカ一だ。主だったストリートではもう随分前から“L.A.MARATHON XX”のフラッグがはためいていたし、ここ1か月は、街中を慣れない様子で走る人の姿がやけに目についたものである。それに刺激されて、坐骨(ざこつ)神経痛でまともに走れないのにエントリーしてしまった私。とりあえず、LAにいるからにはLAマラソンは味わっておかねばならない。



盛りだくさんなランナーズバッグの中身。(撮影:宮田有里子)
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 大会3日前からコンベンションセンターで開催されたクオリティ・オブ・ライフ・エキスポにゼッケンを受け取るために足を運ぶと、広大な会場の4分の1ほどは、メインスポンサーHONDA(とその高級部門の別会社ACURA)のピッカピカの新車がどんと陣取っていた。そしてその他、協賛企業のブースがところ狭しと並び、ウエアにシューズ、健康&マラソンに役立つ新情報や新製品が展示・販売されていた。期待どおり参加者全員に配られるランナーズバッグの中身も、Tシャツ&帽子、雨用ポンチョに健康食品、日焼け止め、皮膚保護クリームのサンプルなどがわんさか。こんなに盛りだくさんのパケットは見たことがない。自分で何か買い足さなくても晴雨に対応できる。

 3月6日、レース当日。フリーウェーを飛ばしてダウンタウンに到着するころ、ちょうど太陽が昇ってきた。まだ雨季だというのに、うらめしいほどの晴天。間違いなく暑さが敵になる。南カリフォルニアでは、冬でも快晴の日は肌がちりちり痛いのだ。一番の心配だったパーキングは問題なかった。マラソンにかかわる数万人の大半が車で乗り込むと考えると恐ろしかったが、ビル群のふもとには相当の駐車場があるらしい…。ふだんはこのビジネスの中心地から人が消える日曜日。今日は朝っぱらから騒々しい。



LAマラソンのスタート風景。(読者提供)
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 高層ビルの隙間のような通りを抜けて、出発地点へと向かう。が、案の定、スタートの横断幕がはるか遠くに見えるところで身動きがとれなくなってしまった。通勤ラッシュ時の御堂筋線、もしくは小田急線のような人込みなのだ。だから号砲が鳴ったのかどうかもわからないうちに、ゴゴゴゴーと前方へゆっくりと集団大移動が始まった。どうやら先頭は走り出したようである。スタートゲートが近づいて、やぐらの上にVIPの姿が見える。…と、何とそこに、あのモハメド・アリを発見! “アーリッ、アーリッ”の大合唱に、私も思わず乗ってしまった。20世紀最大のスポーツヒーローは、センセーショナルに生きていた若いころの写真とは別人のようだった。やわらかで、やさしい面持ちで、しかしはっきりとオーラを放ちながら、中指が伸びきらない右手をこちらに差しのべていた。アリをこんな間近で見られるなんて…人生の10大事件に挙げねばならない。余りにおだやかなその様子を見て、こちらもおだやかな気持ちで走り出すことができた。そう、今日はとことん楽しむのである。いつもは車で通り過ぎるだけの街を、じっくり見物しなければ。

 スタート後間もなく、オリンピック・スタジアムが見えてきた。そういえば私が初めてオリンピックを認識したのはロス五輪だった。アメリカのジョーン・ベノイトが女子マラソン初代金メダリストになったことを思い出す。沿道には、“You look good(いいぞ)!”“Keep going(ガンバレ)!”“You can do it(やれるぞ)!”の声とオレンジの香り。そこらじゅうでカットしたオレンジを配ってくれているのだ。さすがカリフォルニアはオレンジが安い!スーパーで1ポンド(約0.45キロ)50セント(約52円)くらいか。ゼッケンに自分の名前やニックネームを入れてくれるのも、すばらしいアイデアだと思った。沿道から名前を呼んでもらうと、力が湧く。

 走っていて面白かったのは、地区によって街の様子がはっきり違うこと。レース前半は黒人が多く住む地区が続き、近所の高校のチアリーダーらしき女の子たちもみな黒人だった。後半は、かのビバリーヒルズ・シティをかすめて通り、閑静な高級住宅街を抜けていくのだが、チアリーダーは白人だけ。そして、通りの両側にハングル文字があふれ出すと、コリアンタウン。チアガールたちは東洋系の顔に変わる。 それにしても、コリアンタウンなんてダウンタウンの一部のように思っていたのに、ビル街まで、走るとこんなに遠いのか…。

 26.2マイル、4時間9分のLAツアーは、楽しかった。アリに会えたし、街も見られたし、“もうやめようよ”という悪魔の囁(ささや)きにも負けなかったし。途中、車椅子のランナーや、松葉杖で一歩一歩前に行こうとするランナーもいた。歩いても止まっても、誰もが少しずつゴールを目指して進もうとする姿を見ながら、人間はたくましいと思った。自分にある限りの能力を動員して、何かをやり遂げようとするのは、すばらしい。完走できれば最高だし、そうでなくとも、今の自分を知ることができる。

 しかし暑かった…。おなかがすいたなあと思いながら、フィニッシュから駐車場までとぼとぼ歩き、やっと車にたどり着いたのに、楽しみにしていたチョコレートは液体に変わっていた(涙)。【了】