「英語は流暢でも深く思考できない人がエリートと目されるようになる」と警鐘を鳴らす施氏

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国際競争力の向上、グローバル化への対応といったお題目の下、国や財界の主導で強まる日本社会の「英語化プレッシャー」。

一部の大手企業による英語の「社内公用語化」や、授業の英語化を進める大学に巨額の補助金を与える「スーパーグローバル大学創設支援」など今、英語化を強く推進する動きが日本社会に広がりつつある。

こうした官民挙げての英語化に対し、「英語化推進は日本の国力を落としかねない」と警鐘を鳴らすのが『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』だ。著者の施光恒(せ・てるひさ)氏に聞いた。

―以前からグローバル化で「英語ができないとマズいんじゃないか?」といった不安、強迫観念を感じている人は多いと思います。ここ数年、「英語化」に向けた圧力は強まっているのでしょうか?

 2000年代の初めにも財界の要請を受けた形で「英語の第二公用語化論」がありました。しかし、現場の教員をはじめ一般の人たちの間でも抵抗感が強く、簡単には進まなかった。

ところが第2次安倍政権発足以降、いわゆる「新自由主義」的な改革や政策が進められ、グローバリズムが金科玉条(きんかぎょくじょう)のごとく語られている。そのため英語化を推進する提案が通りやすくなっているんですね。

例えば、文部科学省は10年後までに一流大学の場合は英語で行なう授業を5割以上にするという提言を一昨年に出した。私の働いている九州大学では4分の1、京都大学は一般教養科目の半分以上を英語による授業にするという目標を掲げています。東大の理学部化学科に至ってはすでに昨秋から授業を全部、英語で行なっています。

また、内閣府が設立した「クールジャパン ムーブメント推進会議」は昨年の夏に「公用語を英語とする特区」の設立を提言しました。特区内の公共の場での会話は英語に限定。視聴できるTV番組は英語の副音声放送がある番組とする他、販売できる書籍・新聞も英語媒体とする、ということを真顔で言っています。ところが、そのことに対する反論とか国民的議論っていうのはほとんどない。

―日本なのに特区内では日本語禁止とは…。それにしてもなぜ「新自由主義」で英語化が進むのでしょう?

 まずひとつは新自由主義が「小さな政府」を標榜(ひょうぼう)するため、大規模な公共事業など内需拡大策を打つことができない。そのため必然的に「外へ打って出ろ」とか「アジアの成長を取り込め」というように外需頼みになり、企業は英語の堪能な人材を求めるようになります。

もうひとつは、グローバル企業が日本でも英語でビジネスをしやすい環境を整えることで、より多くの投資を海外から呼び込もうというもくろみです。

―その英語化が日本社会にとって非常に大きなマイナスだというのがこの本のテーマですね。

 日本社会を英語化すると経済的な利益があるように聞こえますが、得をするのはグローバル資本だけ。過激に言えば、英語化は新しい植民地主義ですよ。ビジネスや大学教育など日本の社会の最前線が英語化されると、どうなるか。英語が話せるか否かで経済的格差が拡大し国民が分断されます。

どれほど能力が高くても英語力が低いというだけで、普通の人が教育や仕事の場で成長したり、能力を磨いたりする機会を奪われる。日本の国力を支えてきた知的な中間層の多くが十分に社会参加できないまま衰弱していくのです。

そして英語の能力差による超格差社会・分断社会が誕生し、国民の一体感が損なわれると民主主義だって機能しなくなる。その上、ビジネスや学問の第一線で使われなくなった日本語は専門的な語彙(ごい)を失い、知的な思考が行なえる言語ではなくなってしまうでしょう。

英語教育に巨額の国費を投入しても英語母語話者と渡り合って仕事で競争できる人は、国民のせいぜい1%。そこそこ話せるようになる1、2割の人々もグローバル資本に安価な労働力として買い叩かれるだけです。

―英語が得意な人が優秀だとは限らないし、英語が苦手でも優秀な人は多い。それなのに英語が苦手な多くの日本人の能力が磨かれず、生かされない可能性が増えるということですね。

 その通りです。それに「深い思考力」は母国語での思考の繰り返しによってしか培うことはできないので、英語化が進むと深く思考できない新しい奇妙なエリートが生まれてくる。

間もなく小学校でも英語が正式教科になるので、英語が中学入試の必須科目となる。教育熱心な家庭は小学生でも留学させるでしょう。そうした子供たちが英語化された「一流」の学校か海外で学び、新世代のエリートになる。彼らの日本語能力は英語に時間をささげた分、低い。その上、日本語自体も衰えた言語になっている。

そうなると、英語は流暢(りゅうちょう)でも深く思考できない人がエリートと目されるようになる。思考力のないエリートが優秀なはずがない。本書の「愚民化」とは中間層の衰弱とエリートの劣化の両方を指しているのです。

―なるほど。しかし、「英語化は愚民化」なんて聞くと、英語が苦手な人たちは溜飲が下がる思いでしょうが、その一方で日本社会の英語化が今も着々と進んでいるという現実もあります。そんな中、私たちはどうしたらいいのでしょう?

 まずはグローバル化=英語化=進歩だとかTOEFLの平均点が高いのが先進国であるといった誤った認識を正すべきです。母国語で高等教育を受けることができ、専門職にも就けるのが先進国です。実際、途上国は母国語で高等教育を行なう能力がなく、母国語で就ける職業も少ない。我々は日本の先進国としての条件を守るべきなんですよ。

言葉は単なる「道具」ではなく文化や伝統と深くつながっています。普段、私たちが「日本人らしさ」と感じる細かな気配りや日本人の平均的な読解力の高さ、日本社会の知的格差の小ささなども実は日本語がもつ豊かな語彙や漢字仮名交じり表記、音読み、訓読みの存在など日本語の特性によるものが少なくないのです。

あと、女のコが外国人になびくようになるんじゃないでしょうか。日本語よりも英語のほうがカッコいいというイメージが蔓延(まんえん)しますからね。それってまさに植民地の光景ですよね?

―そこでも、社会参加のチャンスを奪われかねないと(涙)。

 はい、そうなんですよ(泣)。

●施 光恒(せ・てるひさ)

1971年生まれ、福岡県出身。政治学者。九州大学大学院比較社会文化研究院准教授。慶應義塾大学法学部政治学科卒。英国シェフィールド大学大学院政治学研究科哲学修士課程修了。慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程修了。博士(法学)。専攻は政治理論、政治哲学。著書に『リベラリズムの再生』(慶應義塾大学出版会)、共著に『TPP 黒い条約』(集英社新書)など

■『英語化は愚民化日本の国力が地に落ちる』

集英社新書 760円+税

社内の英語公用語化、英語化を進める大学への補助金など、日本社会に急速に押し寄せる英語化の波。グローバル化が進む昨今、英語化を当たり前のことのように受け入れがちだが……。本書は、安易な英語化推進がもたらす弊害について言及。社会の第一線が英語化されることで起こるエリートの劣化と中間層の没落、格差は固定化し、日本の良さと強みは破壊され、グローバル資本が跋扈するカラクリを徹底解説する