「問い」から生まれるファンタジー:問題作『忘れられた巨人』をカズオ・イシグロが語る

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日本生まれのイギリス人作家、カズオ・イシグロ。『わたしを離さないで』から10年の時を経て新作長編『忘れられた巨人』を発表した現代を代表するストーリーテラーは、どのような想いからこの作品を綴ったのか。『WIRED』US版と日本版が行ったそれぞれのインタヴューから、『忘れられた巨人』誕生の秘密を探る。

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忘れられた巨人
カズオ・イシグロ・著 土屋政雄・訳 早川書房刊
何か大事なことが過去に起きたはずなのに、記憶にもやがかかっているようで思い出せない。そのもやの向こうにある「記憶」を探して老夫婦は旅に出る。旅するなかで夫婦が出会うのは、山の上に住むというドラゴンの秘密だった。その秘密の向こうに見え隠れする、無残な出来事の記憶。果たして、その記憶を取り戻すことは幸せを意味するのか? もしくは、それは新たな悲劇を意味するのか? 「忘れられた巨人」とはいったい何なのか? 当代きってストーリーテラー、カズオ・イシグロが、アーサー王伝説を下敷きにしながら贈る、異色のファンタジー・ノヴェル。

カズオ・イシグロは1989年に書いた『日の名残り』でブッカー賞を受賞した、文字通り世界で最も尊敬を集めている作家のひとりである。2005年には 『私を離さないで』を発表して世間を驚かせた。それは自分が臓器提供をするためにつくり出されたクローンであることを知ってしまった子どもたちを描いた、陰鬱な空想科学小説だったが、いまでは彼の代表作のひとつに数えられている。

今年出版された最新作『忘れられた巨人』は、ドラゴン退治の冒険を綴ったアーサー王物語風のファンタジーだが、文学界は驚くだけでは済まなかった。頭が吹っ飛ぶような衝撃を与えたのだ。この反応に、イシグロは困惑しているという。

「みなさんはわたしの本を読んで、この本は嫌いだ、と言う権利をおもちです」とイシグロは、『WIRED』US版のポッドキャストで語っている。「でももしみなさんが『以前の本はどれもよかったけれど、わたしはこの本は読まない。人食い鬼が出てくると人から聞いたからだ』と言うのなら、そんなのはただの偏見じゃないか、と思ってしまいます」

日本生まれのイシグロは、幼いころには妖怪がたくさん出てくるサムライの話が大好きだったという。成長してからはイーリアスやオデュッセイの新訳が出るたびにむさぼるように読みふけり、また戦士や神々、化け物などが登場する昔話や神話もよく読んだのだという。彼の生涯の友人で師と仰ぐアンジェラ・カーターもまた、謎とファンタジーに満ちたフィクションを書いた。イシグロは、こうしたものからインスピレーションを得て、分類不能な作品として本作を書き上げた。

「民話や神話というのは、いわゆる原始人がたき火を囲んで座り、語り合っていたころから用いられてきたツールです」と彼は言う。「古代ギリシャ人たちもローマ人たちも、スカンジナビアでも、日本でもヨーロッパのあらゆる地域でも、人間はずっとこうしたツールを使い続けてきたのです。どうしてここ数年になって突然のようにこれらを冷笑するのでしょうか」

一種のSFミステリーでもある『私を離さないで』や、ファンタジーをベースにした冒険譚である『忘れられた巨人』のような本は、近年出版が容易になってきているとイシグロは認める。2004年にデイヴィッド・ミッチェルが書いた『クラウド・アトラス』 がウォシャウスキー兄弟によって映画化されたのがいい例だが、若い世代の作家たちが、文学の世界で扱えるテーマの範囲を広げてくれているからだ。イシグロは『ビーチ』『28日後』といった作品で知られ、『Ex Machina』で自身でメガホンも撮ったアレックス・ガーランドと仲がよく、ガーランドのような若い世代がゲームやグラフィックノヴェルなどからの影響を隠し立てしないところに共感を覚える、と語る。

「わたしたちの世代の作家は、文学作家としてやっていいことといけないことについて、いまよりももっと先入観だらけの環境で育ってきました。ところがわたしよりも一世代、いや二世代ほども若い作家たちの作品のおかげで、わたしたちの世代の作家も古い決まり事から解放されたのです」

なぜ彼の最新作が一部の読者に驚きをもって受け取られたのか、彼にはまだ見当がつかない。しかし、何か不安を感じる部分があったのだろう、と彼は想像する。文学がステータスシンボルだという考えにしっかりと染まっている読者、あるいは真面目な人と思われたくてしょうがない人々なら、娯楽小説と思われる本を避けようとするのだろう。

「10代のころは誰だってこう言い合ったでしょう。『あんなバンドが好きな奴はクールじゃない。このスニーカーを履くやつはクールだ』とね。でも読書を楽しみたいのなら、そうした考え方からは卒業すべきです」と彼は言う。「おそらく何らかの理由で、ドラゴンが出てくるような本というのは、ある意味臆病な読者に恐れの気持ちをもたらすのだと思います」

分類不能で、ジャンルを逸脱することを恐れないという意味で、イシグロは独特のポジションを文学の世界に築いた作家である。このようにジャンルを「ハック」し、作品ごとにまったく新しい世界を提示してきた気質が、師であるアンジェラ・カーターの影響によるところが大きいと本人も認める。

「アンジェラは大学時代の恩師です。もうずっと昔の話になりますが、わたしに作家としての手ほどきをしてくれました。しかし、わたしにとってはそれ以上の存在です。卒業後も、彼女はわたしのメンターでした。51歳で亡くなるまで、友人として付き合ってくれました。彼女の本が『忘れられた巨人』に何らかの影響を与えているかどうかはわかりませんが、彼女はたしかにカテゴリー分けのできない作家でした。文学的なフィクションにおいて、『あれはふさわしくなくてこれならばふさわしい』といった考え方をしない人でした。まったく型破りな作家だったので、生前はあまり評価されず、彼女がいかに重要な作品を残したかを人々が理解したのはずっとあとになってからでした。わたしが、自分がどのカテゴリーやジャンルに属するかなどを考えたこともないのは、おそらくアンジェラのおかげだと思います」

イシグロはさらに、ファンタジーへの偏愛を以下のように語っている。

「わたしは、平凡な日々の生活のなかに神々や超自然的なものの存在を感じるのが好きです。子供のころは、サムライの出てくる話をたくさん読みました。サムライに関する昔話ばかりではなく、サムライの登場する漫画本もたくさん読みました。こう断定できるかどうかはわかりませんが、サムライの出てくるような日本の昔話には、架空の存在がごく自然に登場するのです。例えば日本の昔話のなかには、鬼が自然に登場します。それから、人を化かすキツネなども当たり前に登場します。そうした存在を通して読者は、何か古代に通じる奥深い世界へと誘われるわけです。そういう文化的な背景があって、わたしはどんなファンタジーもごく自然に感じてしまうのでしょう」


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カズオ・イシグロ|KAZUO ISHIGURO
1954年11月8日長崎生まれ。5歳のときに父親の仕事の関係でイギリスに渡り、以降、日本とイギリスのふたつの文化を背景に育つ。その後、英国籍を取得。ケント大学で英文学を、イースト・アングリア大学大学院で創作を学ぶ。一時はミュージシャンを目指していたが、やがてソーシャルワーカーとして働きながら執筆活動を開始。1982年の長編デビュー作『遠い山なみの光』で王立文学協会賞を、1986年の『浮世の画家』でウィットブレッド賞を受賞。1989年の長編第3作『日の名残り』では、イギリス文学の最高峰ブッカー賞に輝いている。その後、長編作品として『充たされざる者』(1995)、『わたしたちが孤児だったころ』(2000)、『わたしを離さないで』(2005)を、短編集『夜想曲集』(2009)を発表。最新作『忘れられた巨人』は、これまでの作品とは大きく異なる時代設定で話題を呼び、ニューヨーク・タイムズ・ベストセラーに発売直後からランクインした。

とはいえ、イシグロは、今回の最新作をファンタジーを書こうとして書いたわけではない。今年5月、10年ぶりの来日を果たしたイシグロは、自身の創作作法を語りながら、『忘れられた巨人』の誕生の秘密を『WIRED』日本版へのインタビューで語っている。

「新しい作品を書く際、わたしは、まずあるテーマを設定します。例えば『わたしを離さないで』の場合、わたしのなかには『自分の生の時間が限られている』という感覚が『世界は可能性に満ちている』という思いと同時に人の心のなかで起こったとしたらどうなるだろうという『問い』がありました。わたしが次にやるのは、その『問い』を展開するにふわさしい時代や場所を設定するということなのですが、『わたしを離さないで』を執筆したとき、その設定がうまく機能しなかったために2度も途中で頓挫しました。そして、設定をクローン人間というSF的なものにすることで書き上げることができたのです」

「『忘れられた巨人』においてわたしが書きたかったテーマは、ある共同体、もしくは国家は、いかにして『何を忘れ、何を記憶するのか』を決定するのか、というものでした。わたしは、これまで個人の記憶というテーマを扱ってきましたが、本作では『共同体の記憶』を扱おうと思ったのです。そしてそこから前作と同じように、空間と場所の設定を考えたのです。その結果、4〜5世紀のイギリスを舞台にすることにしたのです」

イシグロは、作品の文体も、こうした「設定」から決定されるものだと語る。

「わたしの文体は、デビューしたときから『ひそやか』『幽玄』などと言われてきましたが、それには明確な理由があります。例えば『浮世の画家』は日本を舞台にした小説です。日本を舞台にしていますので、本来であれば登場人物は日本語で話しているはずなのですが、わたしはそれを英語で書いているので、英語でこの本を読む人たちに『この会話は日本語で行われているものなのだ』と思わせる必要があります。そうした狙いのもと、わたしは日本語を感じさせるような英語の文体を開発せねばなりませんでした。それは旧世代に属する執事を主人公にした『日の名残り』でも同じです」

「『忘れられた巨人』では、あえて古語で書くことはしませんでしたが、古語の雰囲気を伝える必要はあったので、ちょっと特殊なことをやりました。通常の英語のセンテンスから、いくつかの語をあえて削除してしまうのです。そうすると、古語のような雰囲気が出るのです」

これまでの作品とうって変わって「共同体の記憶」を扱ったという意味で、『忘れられた巨人』は、イシグロのキャリアのなかでひとつの転換となりうる作品だ。彼は、9.11後の世界の姿を考えるなかで、このテーマにたどり着いたのだという。『忘れられた巨人』のなかで登場人物に語らせた「宗教」についてのセリフは、イシグロがいかに時代に対するアクチュアリティをもってこのファンタジーを執筆したかを物語っている。

「わたしの本のなかで、あるアングロサクソン人の兵士がキリスト教徒であるブリトン人に対して発した非難の言葉のひとつは、『あなた方が自分たちのためだけに慈悲深い神をつくり出したのは、ちょっと都合がよすぎないか』ということでした。『あなた方の兵隊がどんな残虐非道なことを行なったとしても、あなたがたの神は、心から悔い改めて祈りを捧げ、ちょっとした苦行を自分に課することさえすれば許してくれる。そんなふうにどこまでも慈悲深い神をつくり出したのはズルくはないですか?』ということです。

これは、侵略され残虐な目にあった側から見れば、『残虐非道な行いを大目に見てもらうためのひとつの方便にすぎない』ということになります。そして、世界中で恐ろしい行いをしたのはキリスト教の国々だったのです。彼らは世界中にキリスト教の帝国を築こうとしてきました。もし彼らが、こうしたあらゆる罪を簡単には許してくれないような神をもっていたとしたら、キリスト教徒にとっての歴史は、果たしてこれほどシンプルなものだったでしょうか。これは一考に値する興味深いテーマです」

※ カズオ・イシグロのインタヴューは、『WIRED』日本版 Vol.19(11月10日発売予定)の「言語」特集でも掲載予定。
※ 前半のUS版『WIRED』によるインタヴューの原文はこちら

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