◆7月特集 ああ、涙の夏合宿物語(8)

 長野五輪(1998年)に向けた選手強化のため、92年にスタートした全国有望新人発掘合宿、通称「野辺山合宿」。25年目となる今年の夏も、全国からノービス世代(主として9〜13歳)の選手133人が長野県・野辺山の帝産アイススケートトレーニングセンターに集まり、3泊4日の強化合宿に参加した。

 合宿中は氷上、陸上でトレーニングや、リズムと表現の練習が行なわれる。また、反復横跳びや長座体前屈、垂直跳び、50m走などの体力測定を受けるほか、ジャンプのエレメンツ発表や演技会なども行なわれ、総合的な判断で選手の将来性を見るという。その結果により、有望選手はシード選手に選出される。シード選手は全日本ノービス選手権のシード権を与えられるほか、海外での試合に派遣されるなど国際経験を積めるようになる。

 2011年世界選手権の銀メダリストで「(野辺山合宿)7〜8期生にあたる」という小塚崇彦に野辺山合宿について聞いた。昨季終了後、一時引退も考えたという小塚は、26歳になった今季も現役続行することを決め、7月から本格的なトレーニングを再開したところだ。

―― 野辺山合宿は小塚選手にとってどんな合宿でしたか?

「まずノービスの頃は全国の試合は全日本ノービス選手権しかなかったので、数少ない全国の選手と会って一緒に練習する機会でした。幼いながらも張り合いのあるメリハリのある練習ができていたんじゃないかなと思います。僕の一つ下に森永(浩介)選手がいて、彼が毎年毎年、新しいジャンプを跳んでくるんですよ。それを僕が追いかけるほうでした。その子が何か新しいジャンプを跳んでいるということを確認する場でもあったかな」

―― いつから野辺山合宿に参加しましたか?

「僕はノービスB(9〜11歳)の2年目から参加したので小学5年生ですね。小学6年は受験で合宿には行けなくて、あとは中学1年生のとき。野辺山合宿には2度、参加しています。それ以降はジュニア合宿に参加して、ノービスの頃もジュニアに推薦してもらっていました」

―― 野辺山合宿に参加するきっかけは?

「当時はまだ自分で申し込みをして参加しましたので、みんなが行ける合宿でした。いまは野辺山合宿に参加するための選抜があるようですが」

―― 当時は何人くらい、野辺山合宿に参加していましたか?

「全体では70、80人くらいで、そのうち男子は10人くらいでした」

―― 野辺山合宿ではどんなことに取り組んだか、覚えていますか?

「ノービスのときに一番覚えているのは、表現や表情の作り方の授業ですね。指導してくれた先生から、氷の上でどう表情を作ればいいのかとか、おじぎの仕方を一緒に考えてもらいました。まだ小さいからみんなでわいわいと楽しく過ごして、楽しく遊び過ぎてへばるという感じでしたね。僕はどちらかというと体力があったので、トップを切って滑っても元気でした。最後は演技会もありましたね」

―― 合宿生活はどうでしたか?

「お世話をしてくれた東京女子体育大のみなさんが各グループに一人ずつついてくれて、いろいろ話し合ったり、ケンカしたり仲直りしたり。スケートだけではなくて、普段の生活でも起こり得ることが合宿中に出てくるので、そこでどう対処すべきなのかなど、必要なことを学ばせてくれる場だったかな、と思います」

―― 野辺山合宿で学んだことや受けた刺激がその後の競技生活にどのように生きたと思いますか?

「森永くんや他の選手が新しく習得したジャンプを跳んでいることを知って、『やばい、跳ばなきゃ』と思ってホームリンクに帰ってからしっかり練習する。一つのモチベーションになっていたことは確かですね。あとは、今でもそのときに出会った仲間と付き合いがあることです。試合だけではそうはならないと思います。合宿で何日間か一緒に過ごして、その子がどういう子かを知って仲良くなって、また試合で会って。大きくなってインターハイやインカレ、全日本で会ってまた仲良くなって。そうやって友達づきあいを学びました」

―― 野辺山合宿での一番の思い出は何ですか?

「これを言っていいのかどうかわからないですけど、網戸にジャムを塗って虫をつかまえようと思って怒られたことですかね」

―― 当時の小塚選手はどんな子だったんでしょうか?

「結構やんちゃでしたよね。とにかく楽しいことが好きでした」

―― 夏合宿イコール「つらい」というイメージが一般的ですが、野辺山合宿はどうだったですか?

「高地での合宿でしたが、子どもでしたので、きついということもなく、逆に遊んでいて寝ていないから、練習で集中する必要はありましたね。それに何といっても友達と会えるのが楽しかった。その中でお互いにどういう状況か探り合いながら練習したり、コーチとは違う他の先生に見てもらったりする機会があって、いろいろなことが経験として自分の中に入ってくる場でした」

―― フィギュアスケート選手にとっては世界の扉を開く登竜門的な合宿でもありますね。

「野辺山合宿で選ばれればシードをもらえて海外の試合にも行けるし、そこである程度目を付けてもらえれば、その後の試合も有利に働くのではないかと思います。全てが全て、そこで決まるわけではないですけど、合宿をしていろいろな経験を積みながら、かつ自分のスケートを知ってもらう場としてはいいと思いますね。全国に散らばっているスケーターたちが一堂に会して集団で取り組むことは、個人競技のスケートだからこそ大事なことだと思います」

―― 野辺山合宿は世界のフィギュア界では「パワーハウス」と言われることもあります。合宿の1期生でトリノ五輪金メダリストの荒川静香さんをはじめ、高橋大輔さん、浅田真央さん、そして小塚選手と、野辺山から巣立っていったスケーターが、その後、世界のトップスケーターに成長しています。最後に、この現状についてどう思っているかを聞かせてください。

「野辺山合宿を経験することで成長する選手もいれば、ちょっと図に乗っちゃってつぶれてしまう選手もいる。人それぞれ性格が違うので一概に言えないと思いますが、それでも荒川さんから始まり、(安藤)美姫や太田由希奈さんがいて、(浅田)真央や無良(崇人)くん、(羽生)結弦もそうですが、これだけ世界に通用するスケーターを輩出している。野辺山合宿の意義はすごく大きいと思います」

「原石」を発掘して徹底的に磨き上げていく。世界への登竜門と位置づけられるこの野辺山合宿が続く限り、これからも日本から世界に通用するスケーターが誕生し続けていくことだろう。

【プロフィール】
■小塚崇彦
1989年2月27日生まれ。愛知県出身。祖父の代から続く名門フィギュアスケート一家に生まれ、5歳でフィギュアスケートを始める。08〜09シーズン、スケートアメリカでGPシリーズ初優勝。10年バンクーバー五輪8位。11年世界選手権2位。昨季は全日本選手権で3位に入った。

辛仁夏●文 text by Synn Yinha