20世紀から21世紀にかけて列島を揺るがした「大事件・事故・ブーム」のその後を追った大特集。今回は’98年和歌山・毒カレー事件のその後――

【写真】林眞須美死刑囚

17年前の’98年7月25日、和歌山市園部地区では夏祭りが行われていた。そのとき、自治会でふるまわれたカレーにヒ素が混入。67人が病院へ搬送され、うち4人が亡くなった。これが和歌山・毒カレー事件である。

事件で家族を失った遺族のひとりはいま、

「彼女をこれからもずっと許すことはないし、ちゃんと刑を受けてほしいという気持ちだけです」

と、言葉少なに胸の内を打ち明けた。

彼女とは、林眞須美死刑囚のことである。’09年、最高裁で死刑が確定したが、現在も無実を訴えて再審請求中である。ずっと黙秘を続けたあげくの再審請求に、遺族は憤りを隠しきれないのだ。

また、娘が被害にあったという近所の男性は、

「娘はすでに後遺症はないけれども、もう振り返りたくもないし、何も気にしていないですよ」

と、ぶっきらぼうに語る。それほど、この事件は現地に暗い影を落としている。

眞須美死刑囚が再審を請求したり、冤罪だとして彼女を支援する会が複数誕生したことが、嫌悪感となって現れているようだ。

眞須美死刑囚は、’98年10月に夫の健治氏とともに殺人と保険金詐欺容疑などで逮捕され、公判で黙秘を続けた。ただ唯一、保険金詐欺の部分は認めた。だが、毒カレーによる殺人と、殺人未遂については頑として認めていない。

「健治氏は6年間、保険金詐欺で刑に服したのちに出所してきて、表向きには妻の無罪を主張しています。でも、裏では“オレを殺そうとするなんて、ほんまに恐ろしいヤツや”なんてこぼしたこともあるという。法的根拠はないものの、再審請求中は死刑が執行されない傾向がありますから、遺族や地元の住民からすると、“死刑逃れではないか”と勘繰りたくなるんでしょう」

と、スポーツ紙の記者は話す。その健治氏はいま、いったいどうしているのか─。

「子どもたちと一緒に生活しているようです。生活保護を受けていた時期があるようですが、現在どの程度収入があるのかはわかりません。身体が不自由なのに障害者認定を取り下げられ、“金が下りない”と嘆いているという情報があります」(同記者)

かたや、眞須美死刑囚は昨年、支援する会の代表と養子縁組を果たし、現在の姓は変わっている。

また、現場近くの地元住民を苦しめたのは毒カレー事件だけではなかった。逮捕後、眞須美死刑囚の自宅豪邸の塀などそこかしこにデカデカと落書きされる騒動があり、さらに’00年には放火に遭って全焼した。

「その後、更地になった眞須美死刑囚の自宅跡地は自治会が買い取りました。悪いイメージを振り払うため、住民が手作業で花や木を植えて公園にしています」

と近所の住民。

気になるのは、事件の舞台となった自治会主催の夏祭りがその後、どうなったかということ。事件の1年後は中止されたことまでは把握しているが──。

「ええ、あれ以来、1度たりとも開かれていないですよ。第一、この夏の時期になると、あの忌まわしい事件を思い出しますし、夏祭りとなると、余計にそうですよ。なにしろ多くの人間が覚えていますからね」(同)

なんと、昨年夏まで16年連続で中止されているという。しかし、かわいそうなのは事件後に生まれてきた子どもたちだ。あるいは、ほかの地域から転入してきた家族もいるだろう。

園部の子どもたちはかつて住民交流の場だった夏祭りの楽しさを味わえず、いつ再開されるかもわからないでいる。

今年も7月は終わり、夏祭りの予定もないまま8月に入った。地域に夏祭りが戻る日は、いったいいつになるのだろうか。

【写真】眞須美死刑囚宅の跡地に草花を植える自治会住民ら