アメリカではIT企業に限らず、多くの企業がマインドフルネスと呼ばれる瞑想プログラムを設けている。坐禅から宗教的色彩を極力排除して発展してきたと考えられる。

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故スティーブ・ジョブズが禅や瞑想に傾倒していたのは有名な話だ。しかし、ジョブズのような個人だけではなく、最近ではグーグル、インテル、アドビ、リンクトインなど世界のそうそうたる企業がこぞって瞑想を企業活動の一環として実践しているというのだ。一体どういうことなのだろう?

キーワードはマインドフルネス。直訳すると「意識的であるということ」。多くの企業が独自のマインドフルネスプログラムを設け、勤務時間内に皆で瞑想している。マインドフルネスと瞑想がどう結び付くのか、わかったようで今ひとつわかりづらい。

マインドフルネスとは?


「マインドフルでない、意識的でない状態を考えてみるとわかりやすいかも知れません」

話してくれたのは、数々のヒットビジネス書を送り出してきた編集者の松島倫明さん。今年『マインドフル・ワーク 「瞑想の脳科学」があなたの働き方を変える』(NHK出版)を手がけ、自らマインドフルな生き方を実践する一人だ。


「たとえば、今日ランチに行く途中どういう人とすれ違い、ランチの中身は何でどういう味がしたのかをあまり覚えてなかったりするものです。それはマインドフルではないということです」

近所の更地に以前何があったか思い出せないという経験をしたことのある人は多いと思うが、日々さまざまなことに気を取られ、周囲のものに対してきちんと意識が向いていないものだ。

「すれ違った人ならどうでもいいですが、大切な人といいレストランで食事をしている時も、きちんと相手や料理と向き合えてないことも意外と多いと思います。ネットの時代になり、SNSなどに気を取られてどんどんひどくなってきているのが現状です」

その状況を解消するために瞑想を行い、その行為をマインドフルネスと呼ぶわけだ。しかし、マインドフルネスはただのデジタルデトックスではない。世界的企業が次々実践するのには、もう少し別の理由がありそうだ。

「『マインドフル・ワーク』の中で詳しく紹介されていますが、脳神経科学と臨床の両面でマインドフルネスの研究は進んでおり、ストレスの軽減や集中力の向上など実際的な効果が多く報告されています」


マインドフルネスの仕組みとは


ここで、少しだけ同書を要約してその仕組みについて触れよう。たとえば、野生の動物がサイに追いかけられるような状態になると、ストレスホルモンが上昇、心拍数が上昇して脳に酸素が送り込まれる。同時に消化器など緊急を要さない器官の機能が低下し、闘争や逃走ができる状態に体がなっていく。
しかし、動物と異なり過去のことに思い悩んだり、未来のことを心配する人間は、慢性ストレス状態に陥ることがある。すると免疫機能が低下し、心身ともに慢性疾患に陥りやすくなり、あらゆるものの効率が下がるという。

マインドフルネスと呼ばれる瞑想では、自らの呼吸を意識し、頭の中に様々な思いがよぎってもそれらをやり過ごし「現在にとどまる」ようにする。そのことによってストレスが軽減され、目の前のことに対する集中力が高まるというのだ。

マインドフルネスが米で認知されるまで


冒頭で触れたように近年その認知は高まり、IT企業を中心にしたアメリカのトップ企業が次々に導入を始めているが、実はスポーツ界ではもっと早くからその効果に注目し実績を残した人がいた。マイケル・ジョーダンのいたシカゴ・ブルズや、コービー・ブライアントのロサンゼルス・レイカーズを率いたヘッドコーチのフィル・ジャクソンは、練習にマインドフルネスを活用し、両チームで通算11回の全米チャンピオンに輝くという偉業を成し遂げている。

しかし、全米で最も成功したコーチと言われているジャクソンさえ、最近までマインドフルネスの素晴らしさについて口を開くことはなかった。

「アメリカでも日本と同じようにスピリチュアルやオカルト、ニューエイジに対するアレルギーがあります。最近になって科学に基づいた非宗教的な瞑想が確立され、マインドフルネスという考え方がメインストリームに上がってきたので発言しやすくなったのだと思います」

興味深いのは、同書で取り上げている多くの実践者の中でも、仏教的宗教色を肯定している人と、マインドフルネスから極力宗教色を排除しようとする人たちが混在するところだ。また、アウトドアブランドのパタゴニアのように、圧倒的なカリスマ経営者の下で実践されている企業もある一方で、自動車メーカーのフォードのように、経営者は実践者であっても、保守的な企業体質のため企業全体として実践するのが難しい場合もある。

それでも、全体としてはマインドフルネスは確実に大きな潮流になってきている。

「これまでもずっとマインドフルな取り組みはありましたが、2014年はTIME誌で大々的に『マインドフルネス革命』という特集が組まれたということに象徴されるように、アメリカのマインドフルネス元年になった年だったといえるでしょう」

かつての日本企業にもあった「思いやり」も増える


松島さんは米Twitter社の創業者エヴァン・ウィリアムズが、億万長者になった後にスタートアップさせたミディアム社に注目し、厳しい競争社会を生き抜かなければいけないタフな状況に置かれているにも関わらず、勤務中に何もせず瞑想することを理念としているのを指摘して続ける。

「キーとなるのは『思いやり』だと思います。マインドフルネスの効用として、ストレス軽減や生産性の向上が注目されることが多いのですが、思いやりも増えるということがわかっています。企業の社会的責任が問われることが多くなっており、テクノロジーもサービス業的側面が強くなっている今、顧客や従業員に対する思いやりが間違いなく重要になっているという流れがあります。だからこそマインドフルネスが重要性を増してきているのでしょう」

思いやり経営といえば、かつては日本企業のお家芸だったが、グローバル化や不況のなか、最近は影を潜めてきている。他方従来効率最優先だったアメリカで、坐禅という日本になじみの深いものを通じて思いやり経営への流れができているのは何とも皮肉だ。

マインドフルネスとは人間性の回復であると同時に、日本生来の美点の回復とも言える。
それにも関わらず日本の大企業で大々的に導入しているところはないと松島さんは言う。

日本企業でマインドフルネスを最初に実践するのはどこになるか? 注目せずにはいられない。
(鶴賀太郎)