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『HERO』の中心にいるのは間違いなく久利生公平だが、このシリーズは、彼だけを追いかけるようには作られていない。

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厳密に言えば、久利生は触媒であって、久利生と、彼にかかわる人々との関係性、そのありようこそが「真の主人公」なのだ。

音楽担当の服部隆之は「この映画は雨宮目線で観るとまた違ったものになる」と劇場用パンフレットに収録されたインタビューのなかで語っており、その効果を想定して楽曲も構成したという。

また、脚本の福田靖も、「雨宮の目線で始めることで」シナリオ上の突破口が開けたことを、パンフレットのなかで述べている。

つまり、ただ漫然と、久利生の動向を追いかけているだけでは、特に今回の映画の、ほんとうの味わいを掴むことは不可能だろう。

もちろん、観客が雨宮に成りきって、「久しぶりに久利生と再会したら」という体(てい)で、本作に接するのも有効打になるかもしれない。

しかし、既にドラマのシーズン2を体験している者であれば、麻木千佳のまなざしで、久利生を見るとどうなるか、という方法もアリだと思う。

今回の久利生は、雨宮との関係性において、終始、「受け身」の姿勢を貫いている。再会の場面でも、雨宮に言われっぱなしだし、最後のシーンでも、先手を切られ、それを受けとめるばかりである。

単純に、パワーバランスということだけで考えれば、ある意味、久利生は、かつてのように雨宮を振り回すのではなく、雨宮に「振り回されている」のである。

謎に満ちた久利生という人物を考える上で、この点は非常に興味深い。

もちろん、恋愛感情という場において久利生が劣勢であるということもさることながら、久利生が、検事ー事務官という関係性ではなく、検事ー検事という関係性で、雨宮と向き合うとこうなる、ということでもあるのではないか。

そして、おそらく、雨宮にも、久利生にも、憧れの視点を投げかけている麻木にしてみれば、久利生の態度が、自分に対するのと、雨宮に対するのとでは、こうも違うのか、ということを目の当たりにするのが、今回のエピソードであったと思う。

その点で、おでん屋台で、久利生が麻木に「自分と雨宮、較べんな。いまの俺のパートナーはお前だろ」と言葉を紡ぐくだりは、そこに恋愛感情がないからこそ、久利生が麻木に対して「主導権」を握ることが可能なのだと見てとれる。

誰に対してもフラットである一方、検事ー事務官という関係性をひとつの軸としている久利生の像が浮かび上がるのだ。

おそらく、雨宮にしか見えない久利生がいて、麻木にしか見えない久利生がいる。それを想像しながら向き合えば、この映画はもっと「美味しくなる」だろう。