『折り紙衛星の伝説 (年刊日本SF傑作選) (創元SF文庫)』東京創元社

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 あらためて「SFはいろいろだなあ」と感じいる。「いろいろ」の幅を年刊SF傑作選のパッケージにギチっと収めてみせるのが、大森・日下コンビの慧眼と手腕だ。幅がずいぶん広いため、ここに収められた18篇(2014年発表作+同年創元SF短編賞受賞作)のすべてを「うん、傑作!」と頷いて読むひとはあまりいないだろう。小説の好みが偏向しているぼくはピンとこない作品もいくつかあった。しかし、そういう作品がSFの最前線で生みだされているのを知ることができるのも、このアンソロジーの価値だ。ここで言うSFとはジャンルもしくはマーケットとしてのSFではなく、もっと広義のそれ----SF読者の好奇心・想像力にうったえかける小説・漫画一般である。

 先ほど「小説の好みが偏向している」と言ったが、自分の新しい好み(それまで思っていなかった小説の楽しみかた)が見つけられるのもこうしたアンソロジーの良さだ。この集では、堀晃「再生」がとりわけ新鮮だった。なんと心筋焼灼手術を受けた作者の体験記である。私小説と言えば私小説なのだが、手術前の待機期間中に自身の体調と向きあうなかでひとつの宇宙論を「実感」するのだ。まったくの主観世界とハードSF的ヴィジョンが併存してしまう。不思議な読み心地がある。

 逆に、ぼくの小説の好みのいちばんのストライクゾーンを狙ったようにえぐってくる小説もあった。伴名練「一蓮托掌(R・×・ラ×ァ×ィ)」だ。これはSF界きってのユニークな作家R・A・ラファティへのトリビュート企画で書かれた作品。ラファティはそのユニークさゆえにいっけん真似やすそうに思えるが、ディテールを積み重ねないとあの味は出せない。この作品はそれをみごとに再現しているのだから驚く。ラファティ・トリビュート小説の成功例としては先にニール・ゲイマン「サンバード」があるが、あれに引けをとらない。

 このアンソロジーで、遠藤慎一「『恐怖の谷』から『恍惚の峰』へ〜その政策的応用」が手軽に読めるようになったことも嬉しい。第一回日経「星新一賞」グランプリ受賞作で、これまでも日経ストアから無料でダウンロードできたが、閲覧用アプリのインストールに手間がかかり二の足を踏んでいた読者も少なくなかった。この作品は、人工知能が人間を凌駕した世界における「天然知能」をテーマとした論文だ。学術研究の体裁をとったSFはすでにアシモフ「再昇華チオチモリンの吸時性」やレム「GOLEM XIV」などがあるが、この作品は斬新なアイデアと形式がもたらす興味に加え「天然知能」(すなわち古い人間)に対する絶妙なアイロニーが漂っている。

 高島雄哉「わたしを数える」も第一回日経「星新一賞」から出てきた作品。井戸で皿の数を数えつづけるお菊さんの幽霊と、数学基礎論を巧みに結びつけている。冗談のような小説かと思いきや、人間性の本質にすっとふれてくる。

 酉島伝法「環刑錮」はこの作者が得意とする異様語彙/異形生態SFだが、舞台設定は近未来の息苦しい日本で、強烈なイメージの寓意小説として読むことも可能だ。どういう解釈が正解というのではなく、いくつもの感覚や意味が複層されて物語が構成されているのだ。地中の牢獄で外の世界を思いながら、自分の身体だけを使って----その身体がなによりの力なのだが----ひたすら穴を掘りつづける主人公の情動がなまなましい。

 宮内悠介「薄ければ薄いほど」は終末医療をおこなうホスピスで起きた自殺事件をめぐるミステリだが、謎解きの過程で医療の社会的意味や実存的意味が俎上にあがる。火星植民地における精神疾患治療を扱った『エクソダス症候群』と併読すると、いっそう興味を喚起されるはずだ。

 長谷敏司「10万人のテリー」は、傑作長篇『BEATLESS』と同じくシンギュラリティ後の世界を舞台にしている。ただし、この短篇は大きなテーマを正面から扱うのではなく、変貌しゆく現実の一断面を鮮やかにみせる。コードウェイナー・スミス《人類補完機構》シリーズにポツリポツリと配された小品のような味わいだ。

 下永聖高「猿が出る」は、日常生活のなかに猿の姿があらわれる。主人公にしか見えないのだが、それが異常心理や不条理というのではなく、妙なリアリティで描かれていて面白い。やがて猿本人(?)が、猿の見えるメカニズムを語りはじめる。理は通っているのだが現実がズレるようで不思議だ。

 矢部嵩「教室」は内容紹介がはばかられるグロテスクで悪趣味な小説だが、にもかかわらずトボけた感覚が通っていて妙な読み心地がある。しかし、これが最初は音読で発表されたというのだからオソロシイ。

 三崎亜記「緊急自爆装置」は、個人が自爆する自由を保障された社会というムチャな設定のもと、地方自治体の現場がどんな対応をするかをシリアスに描いていく。情緒的なシリアスではなく、せまざまな制約のなかで現実的にどう運用していくかという手続き上のシリアスで、自然と諧謔味が醸しだされる。

 田丸雅智「ホーム列車」は、この作者の十八番とも言えるアイテムをネタにした(芸で言えばモノボケ)ショートショート。駄洒落みたいなことを、あっさりと作品に仕立てている。

 オールドファッションなSFでは、草上仁「スピアボーイ」が随一の面白さだ。群になって回遊する異星生物スピアを操るスピアボーイ同士の決闘を描くSF版西部劇だが、定型的な物語を途切ぬ張力で語りきる。懐かしい匂いがするが、こういう素直なタイプのSFは実はあまり書かれていないのではないか。

 星野之宣「雷鳴」は巨大恐竜の謎を時間旅行者が解きあかす、まさにストレートなアイデアSFだが、とにかく画で見せる表現が素晴らしい。恐竜の量感を示す大胆で効果的なコマ割、遠近感の出しかた。円熟したSF漫画だ。

 諸星大二郎「加奈の失踪」はすべての台詞・文字に仕掛けがある漫画、円城塔「∅」はテキスト宇宙小説と、ともに実験的な試みで、よく描き/書ききったなあと感嘆する。諸星の良い塩梅に抜いたユーモアが好ましく、円城作品の呆れるような労力に息を呑む。

 最初にふれた堀晃「再生」はファン出版のアンソロジー『夏色の想像力』が初出だが、ここからさらに二篇が採られている。理山貞二「折り紙衛星の伝説」は矢野徹作品に因んだ題名だが、テイストとしてはアーサー・C・クラークのハードSF小品に近い。ただ画像的想像力に優れたクラークに比べ、物語的な情緒に重点が置かれている。爽やかな一篇だ。オキシタケヒコ「イージー・エスケープ」は、宇宙を股にかけた「逃がし屋」を稼業とするイージィが登場する、軽快なエンターテインメント。オーソドックスな宇宙SFの設定を押さえながら、巧みにアクションを演出している。

 宮澤伊織「神々の歩法」は、第六回創元SF短編賞受賞作。作者はすでに複数の著書があるプロ作家で、さすがにバランスよく仕上げている。高次元の生物が憑依し魔神と化した男と、異次元の力を持つ謎めいた戦闘少女がバトルを繰り広げる。ギミックが大量投入されケレン味たっぷりだ。斬新なアイデアやテーマを狙うのではなく、意匠としてのSFに徹しているところが面白い。

(牧眞司)