主演の木村拓哉が検察官として悪に立ち向かうという映画『HERO』が7月25、26日の観客動員数で全国1位になったようだ。7月18日の公開以来、2週続けてのトップ。落ち目と言われるキムタクや制作者側のフジテレビはホクホクだろうが、本サイトスタッフが実際に鑑賞してみると、制作に全面協力した法務省の恐ろしい意図も見えてきた。時と場合によっては「治外法権」「外交特権」をぶっつぶしてもいい、と言わんばかりの意図とは─―。

 ご存知の通り、『HERO』は2001年に始まったフジテレビのドラマで、東京地検城西支部の型破りな検事、久利生公平(木村拓哉)が難事件に挑んで解決していくという人気シリーズだ。

 劇場映画2作目となる今回も、過去のドラマや映画と同様、ストーリーは至って単純だ。ネウストリア公国(もちろん架空の国)の在日本大使館の裏通りで、コンパニオンの女性が車にはねられ、死ぬ。久利生が検察事務官の麻木千佳(北川景子)と一緒に車の運転手らを聴取していたところ、コンパニオンの女性は広域暴力団が絡んだ別件の証人だったことが分かる。その暴力団はネウストリア公国の大使館員と組んで、薬物を密輸しているらしい。しかし、いくら最高の捜査機関である検察と言えど、大使館と外交官には捜査権限が及ばない。立ちはだかる「治外法権」「外交特権」の強固な壁を、キムタクや北川景子、検事役の松たか子らが乗り越えていく─―。

 水戸黄門と同じような、実に安定的なストーリー展開。笑いもスピード感もそれなりにあって、肩の凝らない娯楽映画を楽しみたい向きには格好の映画かもしれない。しかし、この映画に込められた強烈なメッセージを見せ付けられる場面が映画の終盤にある。

 「治外法権」のために大使館内に入れないキムタク検事はある日、大使館でパーティーが開催されることを知り、検事であることを隠したまま、手に入れた招待券で館内に入る。大使館内で事件のヒントになりそうなことを調べようとしたのだが、身分がばれて、ネウストリア公国は日本外務省に厳重抗議。外務省の欧州局長(佐藤浩市)は「外交問題だ!」「日本の捜査権は外交官には及ばないんだ」などと法務・検察側に抗議し、最高検はキムタクらの処分を検討する。そして、キムタクの上司である部長検事の川尻健三郎(松重豊)は最高検監察指導部に呼び出されてしまう。そのヒアリングの場で、部長検事はキムタク検事を擁護し、大意、こう主張するのだ。

 「大使館に身分を隠して入ったなどという、確かに行きすぎた行動はあったかもしれません。ですが、コンパニオンの女性が1人亡くなったんです。人が1人死んだんです。その捜査の行く手を『外交特権』が阻んでいるのです。これでいいんでしょうか。『治外法権』はルールだとしても、それに守られた犯罪を捜査できないことがあっていいのか。そういうものを超えて日本の法律を適用すべきときもあるんじゃないんですか!」(セリフ通りではないので念のため。あくまで"大意")

 映画の公式パンフレットでは、この部長検事のキャラクターは「強面だが意外に小心者。突然キレたかと思うと、ハッと我に返り後悔するのがお約束」だそうだ。映画のこのシーンでは、部長検事は最高検の面々を前にまさにキレたように演説の長広舌を振るうのだ。

 この部長検事はどちらかと言えば、キムタクら主演級の引き立て役だから、劇中での発言を中身まで考えながらスクリーンに見入った人はそう多くないかもしれない。しかし、「"正義"のためなら、時に治外法権を破らなければならない時もある」的な発言は実に怖くないか。特に国際社会における"正義"ほどいい加減なものはない。それなのに「外交官特権を定めたウィーン条約を守れ」という日本外務省に対し、時にはそれを破らざるを得ないこともある、と劇中で言わせてしまうのだ。

 『HERO』は法務省が協力し、上映前の記者会見は何と法務省の本庁舎、「赤れんが庁舎」で行われている。日本の法を司る法務省内に俳優がぞろぞろやってきて、映画のPR会見までやってしまう。フジTV社長の日枝久、首相の安倍晋三の関係が無ければ絶対にあり得ない出来事だった。

 しかも、上川陽子法相も7月10日の記者会見で、この映画をヨイショした。〈芸能界を始めとして著名な方々に,いろいろな角度でこれまでも御協力をいただいてきたところですが、例えば『HERO』という形の映画という媒体を使って法務省を丸ごと御理解いただくことができる......広報活動の一環としても積極的に取り組んでいこうという状況です〉。そして、広報活動を強めながら、法務行政を信頼することが「安心・安全の国づくり」につながっていくのだ、と。これほど見事に本音を語った大臣も珍しい。安倍政権下で、中国の脅威やテロ不安など"日本の危機"を必要以上に煽っておきながら、一方では、不祥事や不正、違法捜査続きの検察、それを仕切る法務省を信頼せよ、と言うのだからマッチポンプそのものではないか。

 『HERO』には実は、もう一つ怖いシーンがあった。"正義のために"と突っ走るキムタク検事に対し、検察上層部などからブレーキを掛けようとした際、キムタクの上司が「彼を止めることはできない。なぜなら検察は独任官庁だからだ」との決めゼリフを吐く場面だ。

 もちろん法的には検察官は独立して、1人で起訴・不起訴などを決めることができる。しかし、そんなことをできる検察官は現実には1人もいない。上層部の言うがままに捜査し、同期の出世をことさらに気にし、ひたすら組織内の立身競争に明け暮れるのが検察の実態だ。裏金の告発を行おうとしただけで組織からはじき飛ばされ、逮捕・起訴までされてしまった大阪高検元検事の三井環氏の実例を持ち出すまでもあるまい。

 しかも現在のような、戦争へ向かってひた走って行くような世相の下で、この「独任官庁だ」を聞くと、別の意味も含んでいるように思える。この先、例えば、秘密保護法違反で誰かが捕まったとしよう。当然、世論は猛反発するだろうが、その時、検察側は「うちは独任官庁。1検事の行動は誰も縛ることが出来ない」と開き直ったら......? 

 いずれにしろ、『HERO』は楽しいだけの娯楽映画ではない。昨年には文部科学省とタイアップして、『HERO』は道徳教育のキャンペーンにも利用された"実績"がある。「沖縄2紙はつぶせ」発言でミソが付いたが、自民党は「文化芸術懇話会」を発足させるなどして、映画や文学、音楽の世界にも自らの政治性を持ち込もうと躍起だ。

 矢部宏治の『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル)でも明らかなように、法務省は日本の対米従属の司令塔でもある。決して、古びた感じの、固いイメージだけの役所ではない。リテラの愛読者も『HERO』を楽しんだ後は、ぜひとも"法務省全面協力"の意味を考えてもらいたいと思う。
(南村延)