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綱紀粛正を進める習近平が引用する皇帝

 習近平は、前漢の9代皇帝・宣帝(在位・紀元前73年〜前49年)の故事をよく引用しており、自らを宣帝になぞらえていると考えられます。確かに中国共産党の総書記とは中国における最高権力者であり、自らを皇帝になぞらえても何ら不思議ではありません。

 しかしなぜ中国史でもそれほど有名ではない宣帝なのでしょうか?

 中国史とは数多くの王朝が支配し滅びていった歴史ですが、劉邦が紀元前202年に建国した漢(前漢)が初めての漢民族による統一国家と考えられます。この漢民族こそ正統な中国民族とされているのですが、その後の中国王朝の大半は異民族が漢民族を支配していたものでした。

 そう考えると習「皇帝」がなぞらえる対象は、漢民族である漢の皇帝でなければなりません。実際には漢以降に正当な漢民族による統一国家はほとんどないからです。しかし前漢の代表的な皇帝は7代皇帝・武帝(在位・紀元前141年〜87年)で、宣帝ではありません。

習近平との類似点

 その武帝の曾孫である劉詢(りゅう・じゅん)は、生後間もないときに皇室内の内紛で祖父母・父母・兄弟が処刑されてしまい、民間人として育てられました。

 この辺りが、若い頃に党幹部だった父親が文化大革命で追放され、16歳で電気もない農村に下放された習「皇帝」の生い立ちに通ずるのでしょう。

 劉詢は成長すると「学問に優れ、質実倹約に努め、仁愛深い性格である」と、武帝の死後の政治を取り仕切った大将軍の霍光(かく・こう)に評価され、8代皇帝・昭帝の死後に9代皇帝となりました。しかし間もなく後見役の霍光が亡くなると、権力を拡大していた霍一族全員を処刑してしまい、親政を始めました。

 明らかに霍光は、習近平の後ろ盾でもあった江沢民のことで、江沢民の死後には連なる人脈全員を追放してしまうとの強烈なメッセージなのでしょう。江沢民はまだ生存中ですが、実際に連なる人脈は周永康をはじめあらかた追放してしまいました。

 これだけで何かを結論づけるつもりはありませんが、その後の宣帝はどうなったのかだけをご紹介しておきましょう。

宣帝後の前漢は弱体化

 親政を始めた宣帝の政治とは「信賞必罰」を基本とする厳格な法家主義でした。ここでも習「皇帝」は独断専行ではなく、あくまでも法律を厳格に適用しているだけとのメッセージなのでしょう。

 宣帝は伝統的な理想主義である儒家を嫌い排除していたのですが、その反動からか儒家に傾注した息子が10代皇帝・元帝となると漢王室は徐々に衰退し、その後の宣帝の血筋を引く皇帝も愚帝が多く、紀元8年には外戚の王莽に倒されて前漢は滅んでしまいました。つまり宣帝とは自らは賢帝だったものの、明らかに強大な国家だった前漢が弱体化するターニングポイントとなった皇帝なのです。

 習「皇帝」は、何とも歴史的に評価が難しい宣帝に、自らをなぞらえていることになります。

闇株新聞編集部

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