一から見直しされることになった新国立競技場。だが、本当に一から見直されるのだろうか。一からとは何を指すのか。
 
 前回の失敗は、日本スポーツ振興センターが、いきなりコンペを開催したことに原因があった。話を進める手順に問題があったと僕は思う。
 
 ある日突然、ザハ・ハディド案が最優秀作品に決まった。これが新国立競技場ですよと国民の前に提示された。何の説明もなく。ここがスタートになっていた。
 
 新国立競技場は、アスリートファーストであるべきだと最近、叫ばれるようになっているが、僕はそれと同じぐらい、いやそれ以上に観戦者ファーストであるべきだと思っている。「お・も・て・な・し」を自負するのなら、なおさらだと思う。スポーツファンをもてなす場所として、スタジアム以上のものは存在しない。
 
 観戦者に快適な観戦環境を提供する。スタジアムを設計、建設する人たちは、この点を最大の目的にしなければならない。誰のための施設かと言えば、スポーツファンのもの。そうした目線が、新国立競技場の場合すっぽりと欠け落ちている。コンペの審査に当たった人の顔ぶれを見ても、それぞれの業界を代表する人たちばかり。ファン不在。日本スポーツ振興センターの話の進め方は、まさにそれだった。内輪で勝手に決めようとした印象が強い。

 新国立競技場はスポーツ施設だ。なにより、スポーツの普及、発展に寄与するスポーツ性の高いものでなければならないが、一方で、収益を高めようとすれば、イベント会場、コンサート会場としての道を同時に模索する必要が生じる。新国立競技場のこれまでは、そちらの方に向かって進んでいた。
 
 多目的な複合施設にするのか。スポーツ施設としての環境を最優先するのか。
 
 デザインはそれによって変わる。コストもしかり。複合施設を目指す場合には、開閉式の屋根が欲しくなる。だが、それには莫大な建設コストが掛かる。屋根の面積も広くできないので、芝の養生にも問題が生じる。スポーツそのものに少なからずしわ寄せが来るわけだ。その都度、張り替えとなれば、維持費は激しく膨らむ。それで採算が合うのか。簡単ではない問題に直面する。
 
 白紙に戻すならば、ここから考え直さなければならない。設計図を引く前にコンセプトを固める必要があるのだ。
 
 これまで疎かにされてきたのは、観戦者にとって、よいスタジアムにとは何かという視点だ。よいスタジアム、つまり快適なスタジアムであるための条件とは何か。
 
 かつて、建設中だったウェンブリーの新スタジアムを取材した時、案内人の広報はこう言った。「なにより気を遣っているのは女子トイレの数だ」と。イングランドのサッカー場は、行ってみれば分かるが、観戦者の8、9割が男性だ。女子トイレの数を気にする必要はなかったが、これからのあるべき姿を考えれば、それでは足りない。新ウェンブリーもそうした考え方に則っているのだと案内人の広報は説明した。女性ファンに優しいスタジアムを目指しているのだ、と。
 
 これに対し、日本のサッカー観戦者は、女性ファンが多い。「女性や子供が安心して楽しめる場所を目指している」と、川淵三郎氏は、Jリーグチェアマン時代に何度となくそう語ったが、現在の姿は、その通りとなっている。
 
 にもかかわらず、女性用のトイレは少ない。例えば、2002年日韓共催W杯用に新設された横浜国際・日産スタジアムは、ハーフタイムになると、女子トイレの前に長蛇の列ができる。Jリーグのコンセプトがまるで反映されていのだ。
 
 2002年W杯対ロシア戦では、笑えない事件も起きた。稲本が決勝ゴールを決めた後半6分、女性用トイレの前には、まだ人が並んでいたのだ。唯一のゴールを見逃した女性ファンは、相当数に及んだ。苦労して、プレミアムチケットを手に入れたというのに、だ。この悲劇は繰り返してはならない。