■7月特集 ああ、涙の夏合宿物語(4)

 昨年クリスマスに歌手の中島美嘉さんと結婚し、全日本でも主将として、ワールドリーグ(※)プールDで2位という成績の原動力となり、公私ともに充実している清水邦広選手。彼の記憶に残る「夏」はどんなものだったのか。
※毎年行なわれるナショナルチームの国際リーグ大会。世界ランクを元にグループ分けされており、現在、日本はグループ2。今年はフランス、韓国、チェコとそれぞれ4戦し、5勝7敗、グループ2位の成績を収めた

―― 今回の取材は「夏合宿」がテーマです。清水選手も小学生からバレーを始めてから今まで、つらい夏の思い出があるのではないでしょうか。たとえば、以前は「運動中に水は飲むな」という風潮がありました。清水選手の学生時代は、どうでしたか?

清水:自分の中学時代はギリギリ「飲むな」の時代でしたね(苦笑)。バレー部員は多くて、1年生は体育館の中ではやらせてもらえないんです。外で基礎練習を延々とやっていました。だから、インドア競技なのに1年の時は炎天下で、ずっと対人レシーブ練習とかでした。それなのに「水は飲むな」ですから、今から考えるとよくやったよな、と思います。
 上級生になると体育館の中で練習しますが、空調なんてないですから、今度は汗で床に水たまりができるんです。フライングレシーブをすると、ユニフォームも汗でびっしょりだから、シャーッと滑っていっちゃうんですよ(笑)。もちろん、それだけ汗をかいても水は飲めませんでしたし。

―― こっそり飲んだりはしなかったのですか?

清水:いや、監督の先生がめちゃくちゃ怖かったんで、バレたときのことを考えたら、こっそりとか絶対にできなかったです。先生は日体大卒の方だったので、もう本当に厳しかった。プレーのことだけじゃなくて、挨拶とか、勉強もできなきゃだめだ!という方針で。  
 うちの中学(福井県美山中学校)は当時、毎週小テストがありまして。そこで不合格になると、監督のところに報告に行かないといけなくて、めっちゃ怒られるんですよ。怒られたうえに、体育館の2階のギャラリーに机を持って行って、部活の間、そこで勉強しないといけないから......ボールを全然触らせてもらえなくて。それを回避するために、みんな必死で勉強しましたね。だから、現役を引退してからは、勉強の成績はガタ落ちしました(笑)。

―― 部活だけでなく、生活や勉強もきちんとしなければならない、という方針の監督だったのですね。

清水:自分、若気の至りで中学の時、一回だけ眉毛をすごく細くしたことがあるんですよ。全校朝礼の後、バレー部だけで集合するんですけど、その時に「おい清水、ちょっと前に出ろ」って、監督に問答無用でめっちゃ怒られました。いや、参りました。
 あと、恥ずかしいといえば、下級生の時は「声出し」をしないといけないんです。これも2階のギャラリーから「頑張れー!」とか、大声で叫ぶんです。体育館には女子バレー部もいるし、他の部活の人もいるし、恥ずかしくてなかなか声が出せないんですよ。ちゃんと声が出せたやつから「おい、お前はもう降りてきていいぞ」って言われるんですけど、自分はいっつも最後まで2階に残っていましたね(笑)。

―― 高校は、北京五輪代表主将だった荻野正二(現サントリーヘッドコーチ)さんと同じ強豪校の福井工大福井高校に進んだわけですが、ここでもやはりスパルタでしたか? 荻野さんに聞くとすごく厳しかったそうですが。

清水:いや、高校は全く自由な雰囲気でした。自分たちで考えて、自分たちで責任を持ってやるという感じで。水ももちろん好きなときに飲めました(笑)。当然、試合に負けたあとは長時間練習をやったりもしましたが、それは選手も、納得してやっていたことですし、つらいとは思いませんでしたね。むしろ、やらなきゃ駄目だろうと。
(恩師である)堀(豊)先生も時代が変わって丸くなられたのだと思います。でも、中学の時と同じくらい厳しい環境だったら、そこで燃え尽きちゃったんじゃないかなと思うので、緩急がついて良かったですね。

―― では、一番つらかった夏は中学時代の部活になりますか?

清水:中学時代と、もう一つは全日本に入ってからの合宿ですね。植田辰哉監督(2005年〜2012年全日本監督)の頃に、北海道の芦別でやったんですけど、100メートルくらいの坂道をダッシュするんですよ。10本セットで。もうヘトヘトで頭が真っ白になりましたね。ハードすぎて吐いている人もいましたから。

―― 有名な「植田坂」ですね。

清水:そうっす。当時、自分はまだ最年少組だったのですけど、何がすごいって荻野さんや山本(隆弘・元パナソニック)さんといった年齢が上の人も、全く同じメニューをやっていたんですよね。坂道ダッシュも、筋トレも。ボールを触らずにトレーニングとダッシュばっかりやっていて、本当にきつかった。自分が全日本の中でも年齢上がってきて、つくづくあの人たちはすごかったなと思いますね。今、あれをやれって言われたら?......できればやりたくないっすね。

――荻野さんは当時37歳でしたよね。清水選手より、16歳も上!

清水 もちろんスピードは若手より落ちるんですけど、最後列になってもちゃんと最後まで走り抜いていましたからね。毎日毎日、あれだけされたら、自分ら若手がやらないわけにいかないじゃないですか。

――芦別合宿は取材で行きましたが、当時、携帯電話の電波が入らなくて困った記憶があります。

清水 そうそう、携帯の電波が入らなくて、公衆電話にみんな並んでいました。周りにコンビニもなくて......。体育館と宿舎と坂が隣接していたから、そこだけで1日が完結して、本当に「修行」「山ごもり」っていう感じでした。

――そんな苦しい合宿の中で、楽しみはありましたか?

清水 宿舎に温泉があったので、みんなで風呂につかるのが一日の終わりの楽しみでした。それと、宿舎のごはんはすごくおいしくて、楽しみでした。でも、あの頃はとにかくいっぱい量を食べろと言われていて、暑いし、バテてるし、食欲はないので、そこはちょっと困ったかな。まだ、自分はそこそこ食べられたので良かったんですけど、中には食が細くて、昼休みの間中ずっとごはんを食べ続けている人もいました。子供の頃、給食を残すと昼休みから掃除の時間まで使って、居残りで食べさせられるじゃないですか。まさにあんな感じです。
 芦別は市全体で、バレーを応援してくれていたので、練習にも市民の方が見に来てくださったりして、ありがたかったですね。あとは合宿でいろんな地方を訪れていますが、そこの特産品を差し入れしていただけるので、それは楽しみですね。

―― 9月には、オリンピックの切符を賭けて戦うワールドカップが日本で行なわれます。12チーム総当たりで、1位と2位の国にリオ五輪の出場権が与えられます。現在ランキング21位の日本が切符を手にするのはなかなか難しいですが、ワールドカップに向けて抱負を。

清水:4年前のワールドカップでは、自分の調子が良くなくて、イタリアやブラジルにとにかくボコボコにやられた大会だったんですけど、そのリベンジを果たしたいですね。
 今年のワールドリーグで、同じプールだったフランスが優勝しましたけど、対戦してみて、「絶対かなわない」とは思わなかったんですよ。世界トップになる国を相手にしても、やりようによってはつけ込める、そういう手応えを感じました。オリンピックの切符をとるのはもちろん難しいことですけど、可能性がある限りあきらめたくはないですし、そのためには1戦1戦をしっかり勝っていかなくちゃならない。足下をしっかり見つめて、手堅くやっていきたい。今のチームで五輪を経験したのは自分一人になってしまいましたが、あの時(2008年北京オリンピック)、自分は上の人たちに連れて行ってもらった五輪でした。今度は自分たちの力でチームを五輪に連れて行きたい。そのためにも、ワールドカップでは思い切り暴れます!


 ワールドカップバレー2015は、男子大会が9月8日(火)から開幕する。チームの要、清水選手の活躍に期待したい。

【profile】
清水邦広(しみず・くにひろ)
1986年8月11日、福井県生まれ。福井工大福井高、東海大を経て、現在パナソニックでプレー。ポジションはオポジット。20歳のとき、全日本に初選出。2008年北京オリンピックに出場した。今の全日本では、セッター阿部祐太に次ぐ年長者となり、プレーでも精神面でも支柱的存在。プライベートでは、昨年、中島美嘉と結婚した。

中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari