いよいよこの週末、ケーシー・ストーナーがレースに復帰する。2015年の鈴鹿8時間耐久ロードレースは、ストーナーの「一戦限りの現役復帰」が最大の注目の的だ。2012年末を限りに、当時27歳であまりにもあっさりとレース界の第一線から去った天才肌の元世界王者は、耐久レースという場でいったいどのような走りを披露するのか――。世界中のロードレースファンの熱い視線が、7月最終日曜の鈴鹿サーキットに集まっている。

 ストーナーが鈴鹿8耐参戦を発表したのは、今年3月末。MotoGPからの引退を発表したときと同様に、それはあまりに電撃的で周囲の意表を突くものだった。

 2006年に20歳でホンダ系サテライトチームからMotoGPへステップアップしたストーナーは、翌2007年にドゥカティファクトリーチームへ移籍。圧倒的な速さでシーズン10勝を挙げてチャンピオンを獲得した。2011年にはホンダファクトリーのレプソル・ホンダ・チームへ移籍して、2回目の年間チャンピオンを獲得。ちなみにこの年も10勝を挙げ、うち7回がポール・トゥ・フィニッシュという圧倒的な内容だった。そして翌年の2012年5月、フランスGPの予選終了後にその年限りの現役引退を発表して世界を驚かせた。最終戦を終えてレース活動に幕を引いたストーナーは、以後、関係者への表敬訪問などでときおりサーキットに姿を現すことはあっても、レース界への未練はいっさい見せたことがなく、現役復帰説もすべて一笑に付してきた。

 その後、ライダーとしての活動は、HRC(ホンダ・レーシング・コーポレーション)のテストライダーとして年に数回、ツインリンクもてぎを走行してマシンを評価する程度のものに限られていた。だが、そのような折に、現役時代からストーナーと親しくしているHRC副社長の中本修平は、鈴鹿8耐参戦を打診することもあったようだ。

 8耐参戦を呼びかけているという話の真偽について、昨年末に中本に訊ねたところ、「まあ、聞いてみるだけならタダだからね」と笑いながら、あっさりとそのウワサが真実であることを認めた。ただし、ストーナーが8耐に参戦する可能性については、「おそらく99パーセント、ないんじゃないかな。8耐はMotoGPと違って、いろんな水準の選手が一緒に走るレースだからレベル差も激しいし......」とも話していた。それだけに、3月末のストーナーの8耐参戦発表は個人的には大きな驚きだったし、それはおそらく、世界中のレース関係者やファンも同様だっただろう。

 ストーナーが8耐参戦を表明した直後に開催されたMotoGP開幕戦のパドックは、この話題でもちきりになった。マルク・マルケス(レプソル・ホンダ・チーム)は「ケーシーはまたレースをしたくなったのかな。8耐はキツいレースだけど、まだ若いんだからきっといけるよね」と話し、自身の参戦可能性については「僕は今のところMotoGPで手一杯だから、そんなの無理ムリ。引退後ならともかく、今はありえないよ!」と上機嫌で笑って答えた。バレンティーノ・ロッシ(モビスター・ヤマハ MotoGP)も、「ホンダ時代には8耐で勝っているけど、ヤマハで走ったことはないので、現役を引退すれば参戦を検討してみようかな」と話した。

 昨年と一昨年の鈴鹿8耐は、1993年の世界チャンピオンで今も世界中に多くの熱狂的なファンを持つレジェンドライダー、ケビン・シュワンツが参戦したことが大きな注目を集めた。一方、若くしてレジェンドとなったストーナーの今年の参戦は、29歳という現役感たっぷりの年齢とも相まって、かつてと同様の図抜けた走りに対する期待は高まるばかりだ。しかもストーナーの所属するチームは、2013年と2014年を連覇したMuSASHi RT HARC-PRO.だ。チームメイトは、昨年と一昨年の優勝を経験している高橋巧とマイケル・ファン・デル・マーク。ライダーの組み合わせとしては、最強の布陣といっていいだろう。熟成を重ねたホンダの耐久仕様マシンCBR1000RRWをどんなふうに操り、どれほどのパフォーマンスを披露するのか。期待をするなというほうが、むしろ無理な注文というものだろう。

 そして今年の8耐でもうひとつ、大きな注目を集めているチームが、中須賀克行、ポル・エスパルガロ、ブラッドリー・スミスという3選手を擁するYAMAHA FACTORY RACING TEAMだ。現役MotoGPライダーのエスパルガロとスミス、そして全日本ロードレース選手権を3連覇している中須賀というライダーの組み合わせは、ストーナーたちと真っ向勝負をできる高いポテンシャルを秘めている。しかも、チーム名称が示すとおり、今年のヤマハはファクトリー体制だ。メーカーとしてのサポートも鉄壁の分厚い体制で臨んでいる。

 チーム監督の吉川和多留は、最初の8耐合同テストが行なわれた6月上旬に「8耐用マシンのYZF-R1は、MotoGPのプロトタイプマシンよりも限界が低いので、ポルとブラッドリーがマシンの限界を超えたライディングをしてしまうとあっさり転倒......ということにもなりかねない。とはいえ、もともと能力の高いライダーたちだから、そんな心配をするまでもなく、すぐに順応してくれると思います」と話していた。その後、両MotoGPライダーがテストに参加した際のタイムを見る限りでは、吉川が自ら杞憂だと笑っていたとおり、エスパルガロとスミスはマシンのポテンシャルを最大限に引き出す術(すべ)をあっさりとものにしてしまったようだ。

 また、吉川が「限界が低い」というのも、あくまで最先端技術の粋を尽くしたMotoGPプロトタイプマシンと比較したうえでの話だ。8耐用マシンのベースになっている今年型の量産市販車YZF-R1は、開発初期からMotoGP担当技術者も加わって積極的な技術転用がなされており、元GPライダーの中野真矢がこのマシンを試乗した際には「どこまでもブレーキングで深く突っ込んでいけるので驚いた」と、その素性の良さを賞賛している。

 今年の鈴鹿8耐は、年若きレジェンドのストーナーを擁するMuSASHi RT HARC-PRO.と、現役MotoGPライダーと全日本チャンピオンを配したYAMAHA FACTORY RACING TEAMの勝負が最大の注目だ。だが、この2チーム以外にも強力な布陣で挑む陣営は多く、最強と予想される両チームをあっさり凌駕してしまうことも充分にあり得る。それが、鈴鹿8耐というレースの不思議なところでもあり、大きな魅力でもある。事前には誰も想像できなかった事態が次々と発生し、そのような艱難辛苦(かんなんしんく)をチームと選手が乗り越えていこうとする姿があるからこそ、8耐はいつも人々を魅了し続ける。

西村章●構成・文 text by Nishimura Akira