「Pepper(ペッパー)」は、人間との共生生活を前提にした世界初の感情認識パーソナルロボットで、人間の表情と声から感情を推定する感情認識機能を搭載している。このPepperを使ったタッチプログラム「ペッパイちゃん」をご存知だろうか。これは、Pepperのタブレットをおっぱいに見立てたタッチプログラムで、触る位置によって様々なパターンの反応や動作をさせるものだ。

発表されるや否や、「面白い」という声が挙がる一方で、「ロボットにはセクハラしても良いのか」「制作者の意図は何なのか」といった批判の声も殺到し、ツイッター上では炎上。そこで、制作チームの1人、市原えつこさんにお話を伺った。

ニコニコ超会議でウケることを目的としたアイディア

市原えつこさん

――そもそもペッパイちゃんが生まれたきっかけを教えてください。

市原えつこさん(以下、市原):きっかけはハッカソンという、プログラマーやデザイナーなどが共同作業をするソフトウェア開発イベントです。そこで、ニコニコ超会議に出品することを目的に「Pepper」を使ったアプリを作ることになり、ハッカソンの現場でアイディアを出しました。ハッカソンは当日にテーマを聞いてたった5時間で作るモノのアイディア出しから仕様設計、開発完了までをこなさなくてはいけなかったので、その場の熱量と勢いが強かったですね。なので一般的なアート作品のような確固たる制作意図を問われると困ってしまうんです。

――他にも色々なアイディアが出た結果、市原さんの案が採用されたのですか?

市原:ロボットの内に秘めた破壊性を引き出したい、Pepperがなでなでしてくれて触れ合えるものがつくりたい、といったアイディアも出ていました。私は、そもそもロボットに対して擬人化した考えをあまり持っていなかったのもあって、その時は開発にかける時間がない中で、クレイジーなものを求めているニコ超来場者にウケるPepperアプリはなんだろうとだけ単純化して考えていました。

結果として私のアイディアが採用されて、10名のチームで制作しましたが、個々の機能については開発チームのみなさんの発案も多くあります。だから、私だけの作品だと思われやすいですがチームの作品なんです。なので、これからお話する内容はあくまで開発チームの一員である私個人の見解であり、開発チームとしての総意ではありません。チームのみなさんはそれぞれまったく違う見解を持っているであろう、ということは先にお伝えしておきます。

――ペッパイちゃんを制作したことについて様々な批判がありましたが、どう感じていましたか?

市原:私はあくまで機械としか捉えていないのでペッパイちゃんに対して「可哀想」という意見が出て驚きました。私はペッパイちゃんを触っている男性のほうがむしろ恥ずかしい装置だと思っていたのですが、逆にペッパイちゃん側に感情移入して「セクハラされている人をみんなが笑っている」というシチュエーションに変換されるのは予想外でした。

あとは、ペッパイちゃんはニコニコ超会議来場者をターゲットに作ったアプリで、セクハラ・インターフェースとは全く制作経緯も文脈も違うモノなのにコンセプトを比較して、「作者の考えがブレている」と言われて困惑もしました。自分の性に対するスタンスが少し伝わるかと思い、セクハラ・インターフェースについての論文をポストしたのも誤解を招く原因になったかもしれませんが。

男性の性的衝動をポジティブに見ること

――セクハラ・インターフェースは、もともとは市原さん自身の性に対するネガティブな気持ちに端を発していましたよね?

市原:性やジェンダーに関して悶々としていた大学生の時の作品でした。当時は男性嫌悪も強かったので、開発初期のころは喘ぐ大根を触らせることによって男性の秘め事を公にしてしまおう、という意図もありました。でも男性の技術者と協力して制作していたのもあって、徐々に相互理解が深まったというか、「男はどうだ、女はどうだ」という考えはなくなりましたね。もっと性に関する色々な側面を見る方が前向きだと思ったんです。

――どんな側面ですか?

市原:男性の性的衝動を不可解で気持ち悪いものと思っていたんですが、ただ潔癖性的に嫌悪するだけなのは違うなと。よく「テクノロジーの発展はエロが開いた」と言いますが、本当にそうで、男性のモテたい気持ちや性的衝動が、産業や技術の発展にとって良い方向に動く時も多々ある。そもそも人間にプログラムされた本能ですし、特に日本は春画をはじめ、エロから発生した豊かな文化がたくさんありますし、ただ男性のエロ全てを悪だと見なすのは視野が狭くなるだけだなと気付きました。

――「セクハラ」という言葉が独り歩きしてしまっている感じもありますか?

市原:当時は「セクシャルハラスメント=セクハラ」と略す語彙感覚がいかにも緊張感のない日本のエロを象徴しているなと思って作品タイトルに使っていましたが、今はセンシティブなキーワードですよね。私自身も悪かったなと思うのが、ITやテクノロジーの界隈には女性より男性が圧倒的に多いので、プレゼンでも取材でも自分の性嫌悪を話してその場の空気をどんよりさせるより、なるべくポップに明るく面白く話していたんです。

セクハラ自体をテーマにしたいわけではなく、日本人の性的なイマジネーションを面白くパロディ化したいっていうのがあったんですが、「セクハラ」という言葉の持つ意味と作品のくだらなくて笑えるテイストだけを切り取って「セクハラされる人を笑っている」と別の意味合いを付ける人もいるんだなと思いました。

社会的に弱い傷ついた人たちへのアプローチを模索

――今回の批判の中には、自分の辛い性体験がフラッシュバックしてしまうという声もありましたが、どう思われましたか?

市原:同じ女性だし、私も性について考えているから理解できると思っていたけど、同性であっても性に関する捉え方が個々人でぜんぜん違うんだなと改めて気付かされました。深刻な性被害にあった方は本当に些細なことでも思い出してしまうんだな、って。本来なら展示やイベントで棲み分けやゾーニングができますし、見たい人だけ見れば良いものを、見たくない人にまで届いてしまったのは、時空間を超える力があるインターネットのネガティブな部分も加担したと思います。

社会的に弱かったり傷ついた人の存在に対し、どうアプローチすればいいのかは色々と考えました。自分も当事者なら、「こんなに辛いのに理解してくれないお前は悪い!」となるかもしれない。でも自分の作品で傷つく可能性のある人たちのことだけを考えてモノを作るのも何か違う。そして、当事者しかその問題について表現したらいけない、という外圧は逆にその問題を社会から隠蔽してしまうと思います。アプローチの仕方はまだ模索中です。

――一方で、ツイッターという特性から、自分と同じ思想の人だけが語り合い、同調しているという空気も感じられましたか?

市原:そうですね。表面だけつなげて歪曲される怖さも感じました。今は、多様性がある社会ですが、自分のフィルターだけで見るとやっぱり偏見が生まれやすいですし、自分の好き嫌いが世の中全体の正義だと勘違いしやすくなる。特にツイッターだと同じクラスタの人だけでフォローし合えるから、どうしても思想が偏ってしまう傾向はあると思います。集団で何かを批判することでクラスタの結束が強まる側面もあると思いますし、弁解しても思想は変わらないので今は気にしない姿勢が必要だと改めて感じました。

社会の見えにくいものを可視化する動きにつながった

――今回の炎上で、得た教訓はありましたか?

市原:嫌な思いもしましたけど無関心よりは嫌われるほうが表現者としては意義があるし、批判も含め、表現や言論の自由のひとつの側面だと思います。もともと社会の中で排除、隠蔽されている対象に興味があったので、今回の炎上によって、同じ女性でも性に対する捉え方に非常にばらつきがあること、些細なことでも自分の体験をフラッシュバックしてしまう人がいること、ネット空間やSNSによる偏見の生まれ方など社会の見えにくいものを可視化する動きにつながったことは良かったと感じています。

――これから作りたい作品や扱いたいテーマがあれば教えてください。

市原:性とエンタメの要素が強いと思われていますが、もともと日本特有の命の考え方とか信仰、祈りなどに興味があるんです。そういった人間の根源的な感情や死生観に対してテクノロジーがどう作用するのか、実験してみたいですね。まだまだ構想段階ですが、何かを信じたいという気持ちやずっと続いている日本人の文化や慣習をテクノロジーを使って再現してみたいと思っています。

(石狩ジュンコ)