新国立競技場建設計画が白紙撤回と聞いて「白紙なら僕の意見も通るか?」とアンポンタンのやる気も俄然出てきた件。
白紙にでっかい夢を描く!

沈黙を破るときがきた、僕は新たなチャレンジへと向けて意気揚々と立ち上がりました。17日、世間を駆け抜けたビッグニュース、新国立競技場建設計画白紙見直しのお知らせ。ある者は「英断だ」とコレを評価し、ある者は「安保法案への反発を打ち消す目くらましだ」と憤り、ある者は「国が2500億円ぽっち出せなかったかね」と嘆く。悲喜こもごもな発表、大きな転換点となりました。

改めて僕の意見を述べるのは今回の本題とはズレますので、過去の駄文などを見ていただく感じがよいとは思いますが、ザックリ言えば僕は森元首相のすぐそばに立っています。森氏とほぼほぼ同じ意見であると思ってもらって結構です。何だかいきなりバカにされそうな感じですが、多くの人々の意見によって動かされるのが民主主義であるならば、どのような意見もまた認められるというのが民主主義でしょう。僕は森アンポンタン派の一員として、志半ばで倒れることを恥とは思いません。今回の騒動につき死んでお詫びします。ギニヤーッ。(※死ぬ音)

ムクッ、生き返った。

さぁ、改めてゼロからでっかい夢を見ていきましょう。

確かに白紙撤回ということで当初計画から大きく後退を余儀なくされることは否めません。どこまで立ち返ればいいのかは要検討ですが、おそらくデザインまで立ち返らねば、同じことの繰り返しでしょう。特にあのキールアーチと呼ばれる部分。今までそんな言葉すら知らなかった連中が「キールアーチは地上に橋を架けるようなものだ」と訳知り顔で人の意見をちょうだいし、アーチ状の構造があるだけで愚の骨頂であるかのように責め立ててきます。あの辺をゴソッと引っこ抜きましてやり直さねば、白紙撤回した甲斐がありません。「誰にでもわかる変わりました感」をアピールせねば、もはやお許しはいただけないのです。

しかし、一方でそれはチャンスでもあります。生牡蠣をドバーッとひっくり返したようなデザインから、もっと別のモノを選び直すチャンスでもあるのです。僕もアレがベストだとは思っていません。2011年のコンペの時点で、一番でっかい夢を描いた案だったとは思っていますが、アレが一番カッコいいと思っているわけではない。白紙まで後退したことで、アレを捨てるチャンスがきたのです。捨てましょう。ポイーッ。

時間はなくなりました。2011年まで戻ったわけですから、丸4年をボーッとして過ごしたことになります。しかし、何もかもがゼロに戻ったわけではない。ボーッとしている間に進めた、地盤はどうだとか地下の構造はどうだとかいう調査は重要な資料となります。資材はいくらだとか、人件費はいくらだとか見積もりを精査したことも再検討に活かされるでしょう。そして何より、これまでの議論の中で、じゃあ一体どうすればいいんだという部分でボーッと考えたことは再検討の質を格段にあげるはずです。

そして、これはあまり大きな声では言えませんが、それゆけアンポンタン派の捨身の奮闘によって予算はグンと大きくなりました。「1300億という堅固な最低線」を引いたうえで、2500億円まで吹っかけてみたらば、中間をとって「2000億円は切りたい」という妥協点におさまったのです。ぶっちゃけ、本当のケチに気づかれれば「500億が上限です」とか言われかねないところを、1999億円まで押し切った。4年かけて699億円を獲得したのです。

あまり大きな声で言うと気づかれるので小声で言いますが、これはヨッシャァです。1999億円あれば世界最高峰のスタジアム建設には十分。ヤンキースタジアムでも1600億円くらいですから、あれよりエエやつが建てられる見通しが立ったのです。1300億円だとちょっと足りないところを、1.5倍に盛ってきた。しかも「全部入り」ではなくいらないところを削ってOKという流れで、2000億円使える見通しが立ったのです。それだけでも、この4年間のアンポンタンのパトロールは無駄ではありませんでした。

さぁ、建てましょう、スタジアムを。

見せましょう、アンポンタンの底力を。

より大きな夢を、より少ない時間と、少ないお金(※当社比)で。

そのための再計画、日本国民としていっちょ噛みしていきたいものですね。

日本よ、でっかい夢を描くことを忘れるな

再デザインコンペとなった場合、やはり日本の建築界を応援したい。日本人が日本人の感性と美意識に合うものをデザインしてこそ、満点の計画と言えるでしょう。前回コンペでは、正直なところ夢のチカラが欠けていた。屋根にソーラーパネルとかつけなくてよろしい。4年も反対する時間があったのですから、対案を練る時間もあったでしょう。ドーンとしたヤツを迅速にお願いしたいところ。

そして、もし何か違うなーとなったときも、日本人建築家の作品であるほうが叩き甲斐があります。コンペで審査員をつとめただけの安藤忠雄氏は最終的に記者会見の場に引きずり出されて、アンポンタンパンチを食らっていましたが、ザハ氏は特に攻撃にあうでもなく13億円もらって高見の見物じゃないですか。「引きずり出せる相手」「ぶん殴れる相手」「殴ったときに手応えのある相手」を選んでこそ、国家事業というものです。

【私の夢提案:木造】
やはり、木だなと。日本の建築と言えば、木だなと。総木造建築によるメガスタジアム。これこそジャパニーズトラディッショナルとして、世界に誇れるものでしょう。「え、木!?」という世界の驚く顔が目に浮かびます。檜風呂でリラックスする世界のアスリートたち。柔らかい木壁のぬくもりを感じるVIPたち。屋根の代わりに生い茂る藤棚。観衆はギシギシと小さな音を立てるスタンドで「これジャンプとかしても大丈夫かな?」と一層のドキドキ感を覚える。どこかからか勝手にツタが生い茂り、ちょっとした穴に小鳥が巣をつくり、神宮の森と一体となった夢空間。聖火の火の粉が飛び散る先にも注目せざるを得ない世界最大の木造建築物。合言葉は「目指せ法隆寺1000年計画」です。

<世界最大級の木造建築物メトロポール・パラソル>

クソでかぁぁい!歩きタバコ厳禁!

何だか、タコをドバーッとひっくり返した感じですね!

世界はどこもドバーッなんだなwww

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いらないものといるものを腹を割って考えよう

正直、もともとの計画は盛りすぎです。天然芝フィールドと音楽イベントを両立させるために開閉式屋根を設けたり、陸上競技でもサッカーでも音楽イベントでも臨場感ある鑑賞ができるように15000席もの可動座席を設けたり、「何でもできる」を追求しすぎました。あまつさえ全座席に空調をつけるとか、タッチパネルをつけるとか、オールスター感謝祭の収録でもするのかという豪華設備まで。それではいくらお金があっても足りません。いいものは高い。いらないものはいらない。4年間の検討を活かして、大胆に計画をスリム化していきましょう。

●絶対にいるもの Р虻
最大のポイントとなるのは屋根です。結局、ココを誰も指摘しないから、キールアーチだのが出てくるのです。キールアーチで屋根を支え、開閉させる。これまで何度も繰り返し「実際問題使わねぇな」と後悔してきた開閉式屋根という仕様。豊田スタジアムでは、開閉式屋根をつけたはいいが、故障したり、強風だと危ないということで開けっ放しにしていたりします。

五輪後のことを考えたとき、この大会場をコンサートやイベントで使わない手はありませんし、そちらがメインとなるはず。「公園が毎年いくら稼いでいるか」という検討はされませんが、スタジアムの稼ぎが悪いと怒られる。その対応のためには、いろいろなイベントで稼がねばならないのです。そのとき屋根は必須条件です。周辺への騒音を防ぐという意味でも、雨から機材や観客を守るという意味でも、「全面屋根」コレだけは譲れない。開閉する必要はありません。夜は星が見えるガラス張りで、可動式の遮光カーテンがあるのがベストです。

●なくてもいいもの 天然芝フィールド
何で屋根を開閉するかというと、芝に日光と風を当てたいというそれだけの理由なわけじゃないですか。いらん、いらん。天然芝、何に使います?ラグビーですか?サッカーですか?すでに首都圏には日産スタジアムと、埼玉スタジアムというワールドカップのレガシーがあるじゃないですか。あんな立派なものがすでにあるのに、それより立派なものをあとから被せてどうするのか。サッカーやラグビーは埼玉スタジアムとかでやるべき。

もちろんスタジアム運営の一環として、スポーツイベントを開催することは重要です。ただ、それはせいぜい年イチ〜月イチレベルのことでしょう。人工芝で十分。なでしこJAPANは人工芝のワールドカップでも準優勝という大感動を生み出しました。人工芝なら芝の養生に神経質になる必要もありませんし、水をまいたり刈り込んだりする手間も省けます。音楽コンサートのたびに「芝が荒れた」と文句を言う必要もなくなりますし、養生のためにボーッと休む必要もなくなります。

6〜7万人でサッカーやラグビーを観る会場は、もうある。ただ、その規模の人数でイベントを観られる会場は東京にはない。何かの「専用スタジアム」とするのであれば、コンサートやイベントに最適化すべき。オリンピックでも使う会場なので、一応サッカーとかもやれるようにはしますが、それは例外的なことと考えるべき。「金」が理由で見直す以上、芝を聖域にすることはできないのです。東京ヴェルディが全試合8万人集めるようになったら、国立をホームとしてサッカー用に鞍替えすることを考えます。

●なくてもいいもの◆陸上用トラック
「この計画には陸上の国際大会を開くためのサブトラックがない!アスリートとして反対だ!」という選手方面からの意見も出ておりますが、まぁ、その、何と言うか、申し上げにくいのですが、いらんでしょ…。味の素スタジアムでバッチリ用は足りるじゃないですか…。すでにあるものより立派なものをあとから被せてどうするのかと…。

陸上用トラックがグルリと取り囲めば、サッカー用途での臨場感は失われ、コンサート用途としてもアリーナ後方の「ステージが見えない」客を大量に生み出すことは必然です。ギリギリの狭さのフィールドを、すり鉢状に取り囲む。見やすさで考えるなら、それがベストな構造です。

それに相反する陸上用トラックは、あくまでもオリンピック期間の例外的措置ということで考えるべき。使わないときは可動座席を乗せておくか、いっそ完全にひっぺがして増席するか、もっと有効な活用法を考えるべきでしょう。ていうか、五輪のメインスタジアムで陸上競技をやらねばならないという決まりはありません。リオ五輪もメイン会場はサッカー専用のスタジアムで、陸上競技は別の場所です。本当に新国立に陸上用トラックは必要なのか、白紙で考えるべきだと思います。

●あるといいもの◆А岾后廚箸靴討竜’
イベントのない日は誰も行かない……そういうものをイメージするから、金の計算もおかしなことになるのではないでしょうか。六本木ヒルズは何もなくても行くでしょう。イベントがあればより人が多く集まるでしょうが、映画を観たり買い物したりブラブラしたり、ワケもなく行くでしょう。東京スカイツリーだってテレビの電波塔であることより、展望台とか水族館とかソラマチでの買い物のほうがメインでしょう。

日本の「箱モノ」は本当に箱を作るからおかしなことになるのです。理想のスタジアムとは、何もなくても楽しい「街」であるべき。映画を観たり、買い物したり、ジョギングしたり、そういう空間の中に時折夢のイベントがやってくる。イベントが先に立つでのはなく、人が集う空間を先に考えるのです。コンクリートの構造物に8万個椅子をつけたものをドンと置いてどうするのかと。中身に頼るな、自分を売り物にしろ。

そのような素敵空間が生まれたならば、赤字だの黒字だのという概念も吹き飛ぶでしょう。「毎日営業」「毎日盛況」なら維持費くらいどうとでもなります。東京ドームだって、ただ野球をするだけではなくイベントホールや遊園地を併設した総合エンターテインメント施設です。箱だけ作ってハイ終わりでは、ない。もしそうした空間となれば、イベントにも好影響を与えるはず。「いつもは混んでるけど今日はヴェルディ戦だから空いてるね」「タダの日は人がいっぱいだけど1000円払ったらガラガラで快適だね」「いっぱいお買いものして、いっぱい写真撮ろうね」なんて女子たちの会話も生まれるかもしれません。

●なくてもいいもの:座席空調
屋根を閉め切っている前提なら、全体で一括コントロールのほうが快適かと…。

●なくてもいいものぁШ太淵織奪船僖優
端末は各自で用意して、アプリだけ配ればいいのではないかと…。

【私が欲しいもの提案:‐豎哀皀縫拭次
ウィンブルドンのテニスなどを見ているとき、場外の客がモニターで試合観戦をしている模様が見られます。日本にもかつては街頭テレビというものがありました。客席にいるのにタッチパネルを見るなんて行為は本末転倒ですが、その金で屋外に巨大なモニターをつけるのは「人が集う」空間としての機能をアップさせるはずです。

夢空間に集える選ばれし8万人だけでなく、屋外の公園スペースでも多くの人がその夢を覗き見ることができたら、8万人の箱に10万人・15万人と集うことも可能でしょう。コンサートに入場できない人が、せめてその空気だけでも感じたいと会場外で待つ行為を「会場推し」なんて言うそうですが、もしそこに巨大モニターがあれば、中に入れなかった悔しさも紛れるでしょう。Youtube的に「知らないモノにタダで触れる」効果も生み出すかもしれません。

【私が欲しいもの提案:▲曠謄襦
夜遅くまでイベントがつづくと帰るのが面倒だったり、帰れなくなったりして困るので、ホテルを併設してくれるとありがたい。収益性の意味でもホテルと一体になっていることは重要なポイントと思われます。東京ドームも福岡ドームもホテルがあるし、ディズニーランドには隣接するホテルがいくつもあるし、スカイツリーを正面に望む位置に東武のホテルがある。ナショナルスタジアムの偉容を眺めながら飲むワインは格別ではないか。「国立のホテル取れたんだけど、行く?」と気軽に女子を誘うこともできそうです。

【私が欲しいもの提案:0貶眄莵圓ユニバーサルデザイン】
どんな状況の人、どんな境遇の人でも、そこにあるものを等しく利用することができる。「人が集う」空間を考えたとき、元気で若いヤツだけが快適な場所は、いたずらに自分たちの可能性を狭めるものです。スタジアム界隈では車いす席なんてのを設けて、バリアフリーの顔をしているところがありますが、何のことはない最後方の通路にテープ貼ってるだけじゃないですか。車いすに乗ってたら最前列で観られないってのは、つまらんでしょう。

既存の設備では、階段をスロープに変えるとか、全レベルに移動できるエレベータだとか、取り外せる座席だとか、座席間の広さだとかを調整するのは困難でしょう。しかし、これから建てるものなら、最初から盛り込んでおけばいい。何も不自由のある方だけのことではありません。子ども連れであるとか、「ちょっとしんどい」程度の不自由も、最初から盛り込んでおけば軽減できるかもしれないでしょう。

ベビー用の休憩所があったり、何なら土日はイベント用に開放される託児所が敷地内にあったり、そういうことも考えていい。色が見分けづらい人のために、基本的な情報はすべて形で表現するようなことも考えていい。外郭のデザインだけでなく、実際に使うことを考えてのデザインへ。白紙検討とはそういうことです。

<ウィンブルドンの丘の上>

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この機会を絶対に無駄にしてはいけない

50年に一度しかない五輪という祭典。新宿・渋谷からも歩いていける奇跡の立地。世界最大都市のランドマークとしての意味合い。新国立競技場建設というプロジェクトは、コケることが許されないものです。コケれば50年は「アチャー」という思いを引きずることになり、それを挽回する機会がいつになるかは見当がつきません。空き地に建てるものならゴミでもいいが、あの土地にゴミを建てることは許されないのです。

今回のプロジェクトも、いくつかの出来事がタイミングを同じくしたことで実現への道筋がつきましたが、何もなければ旧国立競技場を壊すことなどあり得なかったでしょう。前時代の設備、老朽化する躯体、そもそも8レーンしかない陸上用トラック、全面屋根なし。それらを思い出補正で許しながら使うには、どこかで限界というものがあります。「聖地」はやがて、思い出を鑑賞するだけの場所になっていたでしょう。

聖地を、新時代に甦らせる。

50年後、100年後まで現役で稼働し、誇りとなるようなスタジアムを建てるのでなければ、この計画は失敗です。中途半端が一番よくない。第二味の素スタジアムはいらない。ココは金と労力をかけるべき機会です。「ほかにやるべきことはある」という声もあるでしょうが、これは十分に金をかけるべき価値があるプロジェクトです。

今回の見直しも金を削ることが目的ではなく、本当に欲しいものを見つめ直し、適正な目的にお金を使うための再検討です。「僕らは本当にキールアーチが欲しかったのか?」と。本当に欲しいものもなく、貯金だけが趣味のような人生はまっぴらごめん。金は使うためにある。人生は楽しむためにある。何もコレをやったらお金がなくなるわけではないのです。実家に仕送りしたあとで、残った金で遊びにいったらマズイのかと。遊びに行く金も仕送るべきなのかと。僕はそうは思いません。

大相撲を見て、浅草寺に参り、スカイツリーにのぼり、ディズニーランドで遊び、新国立競技場でスポーツ・音楽イベントに参加する。このような定番のコースで東京観光をお楽しみいただけるようにしたいもの。オペラハウスとかサグラダ・ファミリアはそれ自体を見ることだけで価値があります。そういう建物が東京にもあっていいはず。どこかのコピペみたいなものではなく、ここにしかないものを。「白紙に戻す」ことに一致団結した以上のチカラで「エエものを作る」ことに一致団結して取り組みましょう。

<国立が生まれ変わったことを喜べるような物件を!>

なんということでしょう!

庭に立っていた織田ポールが階段の手すりに生まれ変わるなんて!

リビングに飾られていた野見宿禰の壁画は、オシャレなダイニングテーブルに生まれ変わりました!

そして、浴室に入ると、なんということでしょう!

そこには使わなくなった聖火台がオシャレな浴槽になって再利用されているではありませんか!

ザハ案には盛り込まれなかった「旧国立競技場」の思い出も、白紙撤回なら救出できる!

4年分の議論を活かして、白紙に理想の新国立を描くぞ!

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「エエもの」ができればこの手間も報われる!「作る」ために「止める」のだ!