(左)飯田一史さん(右)藤田直哉さん

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『時をかける少女』『サマーウォーズ』などを手掛けた細田守監督による3年ぶりのアニメーション映画『バケモノの子』が公開。前作の『おおかみこどもの雨と雪』を上回るペースで興行収入を伸ばしている。そんな同作をライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんが、過去の細田作品と比較しながら鋭く分析します。

細田守まで邦画によくある「大事なことをせりふでしゃべらせすぎ病」に



藤田 ぼくは、今回の細田守監督には、文句ナシです! 前作は「違う?」と思ったけど、今回はパーフェクトです。

飯田 え、そうなんだ! 後半の畳みかけ方はさすがだったけど、ちょっと説教くさくない? あと、大事なことをせりふで言いすぎじゃない? たとえばヒロインの楓が主人公の九太とだんだん仲良くなったあとに「誰かに初めて本音が言えた。うーすっきりした!」とか言うところ。あれは言っちゃだめじゃね?

藤田 同じ個所でひっかかりましたが、「あ、ここでこれを言ってしまう人物・感情なんだな」とぼくは受け取りました。セリフで説明してしまうというのは、邦画全般の傾向だそうですね。背中で語るとか、構図で情緒を出すとかが、読み取られにくくなっているんでしょうね、お客さん全体の傾向として。

飯田 いやでも『サマーウォーズ』で栄ばあちゃんが死んだあとで縁側に座るカットなんて、まさに背中で語っていたわけじゃないですか。今回、細田さんは初めて脚本も全部ひとりでやったわけですけど、やはり『時をかける少女』『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』で組んできた奥寺佐渡子は必要だったんじゃないかと。

脚本は過去作と比べるといびつになっている。だがそれがいい!


藤田 脚本は明らかに、いびつになっていると思うんですよ。でも、そこが、ぼくは『バケモノの子』に満足した理由でもあるんです。『サマーウォーズ』から、物語がしっかりした構造すぎた。

 しかし、今回は、変なんですよ。九太が渋谷から迷い込んだバケモノワールドから帰って来て、楓とやりとりする現実パートなんかが、特に。図書館でメルヴィルの小説『白鯨』を読んだりしたあと、最後に彼が戦うことになる「クジラ」周りもよくわからない。

 が、渋谷で活劇やりたい感、怪獣(クジラですけど)が渋谷を襲った感で、ぼくは全部許しますね。
 バケモノワールドでは、事態を収拾してくれる神様的存在、いわゆるデウス・エクス・マキナとしての宗師さまが機能するんですけど、現実世界にはそれに該当する存在がないから、「なんでクジラなのか?」とかいろんなところに唐突感が出てるんですよね。

 ほかにもたとえば楓とくっつくくだりの一直線ぶりは、「タメがなさすぎて」逆に僕は驚いてしまった。
 楓の内面が一番謎なんです。図書館で「静かにしろ」って言ったらチンピラに絡まれるわけですけど、そいつらをのしたぐらいで、あんなに主人公に入れ込んで勉強を教えるまでになるのか? 『電車男』か?

飯田 楓が謎というなら、『おおかみこども』の花もたいがい謎だよ。一目惚れじゃんw
それ以上の理由は描かれてないよね。ちなみに、どのシーンがよかった?

往年の『デジモン』ファンならあそこで泣く!


藤田 シーンで言うと、九太がまだ9歳のときに、バケモノの世界の市場の中を駆け抜けるところでしょうか。あとは、クライマックス直前で、クジラに襲われて渋谷でトラックが爆発するところ。

飯田 僕は、九太が実の父親が住む部屋の扉の前でノックもできずにためらうところ。あれは細田守が演出したTVアニメ『デジモンアドベンチャー』第21話で主人公の太一がデジモンワールドから帰ってきて久しぶりに実家のマンションのドアを前にしたときにやっぱり戸惑って「どうしよう」とか考えた、あの姿を思い起こさせるわけですよ! たじろく九太は、小学生だった太一が成長した姿に見えて、あそこだけ泣いた。

藤田 ああ、なるほどw

飯田 あれで8月1日ネタを放られていたらやばかったけど、さすがにそれはなかった(はず)。

藤田 8月1日ネタというのを、説明してもらってもいいですか?

飯田 『デジモン』で太一がデジモンワールドから現実世界に帰ってくる日が8月1日(ちなみにその話数の放映日も8月1日だった)。あと『サマーウォーズ』で栄ばあちゃんの誕生日が8月1日で、『サマーウォーズ』は2009年8月1日に公開されているわけです。

藤田 なるほど。現実とフィクションを連動させた「拡張現実」的仕掛けをやった、その象徴みたいな日付なんですね。

あのオチだと、教育の効果を否定していることにならない?


飯田 『バケモノの子』についていろいろ言いたいことがあるんだけどさ、九太はダークサイドに落ちずに踏みとどまった、ライバルの一郎彦は心の闇に飲まれて暴走した、この違いって何? と考えると、あの映画では「いい親」「いい家族」「いい友達」の存在は、そいつが犯罪者になるかどうかを左右するという考えを否定してることになってると思うんだけど、どうかな? だって、九太と一郎彦、どっちに付いてるやつも、いいやつじゃん。すると道を誤るかどうかは本人の資質とか性格の問題だから、「教育」って意味あるのかねという結論にならない?

藤田 だから、九太は「同じ」だと言うんですよね。違いは、偶然のような差でしょうね。楓にもらった赤いしおりが手首にあったかどうかで九太が踏みとどまったことからすると、「無意味」ではないんですよ。

飯田 そうすると恋愛パワーが最強で、家族や友情はそうでもないということになるw

藤田 些細な積み重ねが偶然のようにして連鎖し影響を与えるが、それは個が制御できるようなものではない、という感覚だったと思います。

飯田 いろんなひとに支えられて生きてるんだよ感を強調するわりには、物語展開的には「やっぱ教育とかじゃなくて、自助努力っすよね」という話になってるなと僕には思えたけど。

藤田 自助努力も教育も両方とも、複雑な影響を与え合って、予測ができないという感じだと思います。「教える」と言っても、九太と師匠の熊徹の関係に象徴されるように、誰が誰に教えているのか、よくわからないじゃないですか。あれは明らかに、師匠の方の熊徹が、「学んで」成長していましたよ。

細田守が息子に託した遺言? はたまた宮崎駿へのメッセージ?


飯田 不謹慎な言い方だけど、「細田さん、死ぬんじゃないか? 大丈夫かな?」と思った。今回の映画のきっかけは自分に息子ができて教育についていろいろ考えたことらしいけど、できあがった作品を観ると「自分(親)がいなくてもなんとかなるよ。がんばれよ」って言ってる、遺言っぽい映画に見えた。

藤田 そうですかw ぼくは宮崎駿監督に対して、「アニメの世界は大丈夫です」と言っているようにも読めるな、と思いましたよ。細田さんが父ではなく、息子の立場ということですね。もともと細田守監督は『ハウルの動く城』をやる予定だったわけですよね。宮崎監督が才能を絶賛して、起用したけど、結局宮崎さんの映画になっちゃった。

飯田 しかも学生時代にジブリの採用試験受けたら落とされて、宮崎駿から「君のような人間を入れると、かえって君の才能を削ぐと考えて、入れるのをやめた」みたいな手紙をもらったというね。二回フラれて、それ以降はよく「宮崎駿になりたくてアニメ作ってるわけじゃない」とか言っている。

藤田  明らかに『バケモノの子』は、異界に子供が迷い込むという部分で『千と千尋の神隠し』の構造を反復しているわけですが、『バケモノの子』の中の師弟関係は、宮崎・細田とも読みうると思いますよ。こう読むと「宮崎さん、あっちの世界に逝っていいですよ」っていう解釈になるので……なかなか表だっては言いにくいのですが。ラスト近くの「空」の描写に、『風たちぬ』のエンディングが、ぼくは重なって見えてしまった。

飯田 藤田解釈だと「宮崎駿、逝ってよし」映画だと。とんでもないこと言うなあ、藤田くんは……。