東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の会長は、本当に森喜朗元首相でいいのか。見直すべきはまずそちら。彼がトップにいる限り、新国立競技場問題は悪い方向に進んでいく。そう思っていたが、ここに来てその建設計画を見直そうとする動きが出てきた。2520億円は高い。高すぎるという世論に、さすがに耳を傾けざるを得なくなったのだろう。
 
 しかし、新国立競技場の問題は、巨額な建設費だけなのか。1000億円ぐらいで済めば、それでオッケーなのか。話題にのぼるのは建設費の話ばかり。だが、問いただしたくなる点は他にいくらでもある。
 
 そのひとつがサブトラックの問題。大きな陸上競技大会を開催するためには、スタジアム周辺にサブトラックが必要になる。レース前、選手がウォーミングアップするための場所だ。それがザハ・ハディド案には記されていない。
 
 コンペの主催者である日本スポーツ振興センター(JSC)が、それを必須事項としなかったからだ。2020年の五輪はサブトラックを仮設で済ますか、クルマで10〜15分の距離にある通称、織田フィールド(代々木公園陸上競技場)から、選手をバス輸送することで対処するか。現状では、そのいずれからしい。
 
 だが、仮設案はまさにその場しのぎだ。五輪が終わり撤去されれば、陸上競技施設としての新国立競技場の評価は二流になる。織田フィールドからのバス輸送は、論外に近い。ウォームアップ後、再びバスに揺られたのでは、ほぐれた筋肉も固まってしまう。
 
 陸上競技連盟は、なぜもっと大きな声を挙げないのか。不思議だ。なかなか言い出しにくいスポーツ界の暗い体質をここにも見る気がする。
 
 ザハ・ハディド案に、建築家の立場として問題ありと声を挙げた人が、これまでいくつか対案を出してきた。その中には、サブトラックの問題と上手に向き合っているものもあった。地階に設置しようとするアイディアだ。
 
 地階を上手に活用したスタジアムとして知られるのが、モナコのスタッド・ルイ・ドゥ(ルイ2世スタジアム)。体育館、プール、駐車場などが、ピッチの下に、箪笥の引き出しのように収まっている。スタジアムがビル構造の建築物になっているのだが、サブトラックという現状において存在しないものを併設しようとした時、この発想は浮上する。
 
 地階ではなく上階、すなわちスタンドの上部、屋根の上に設置するという考え方もある。ザハ・ハディドさんが最優秀作品賞に選ばれた例のコンペで、最終選考に残った作品の中に、屋根の上を緑地公園風にしたものがあった。そこにサブトラックを置いてもよいわけだ。
 
 狭い土地にサブトラックをいかに収めるか。それは、新国立競技場の大きなテーマなはずなのに、その追求はいまのいままで、疎かにされてきた。いつの間にかなくてもいいものになっていた。
 
 ピッチの芝と屋根の関係も、疎かにされてきた。ザハ・ハディド案では、芝は上手く養生しないのだ。開閉式の屋根を断念しても、だ。解放部の面積が狭すぎるので、養生に不可欠な風と光を十分取り入れることができないのだ。
 
 スポーツの優先順位をまず選手に置くことをアスリートファーストとか、プレイヤーファーストと言うが、サッカー競技にとって、芝のコンディションの善し悪しは、プレイの質に重大な影響を及ぼすまさに生命線。最もこだわるべきポイントになる。よりよいプレイを鑑賞しようとスタジアムに駆けつける観衆にも気になる点だ。コンサートホールの音響が悪いこととそれは同じだ。見た目的にもよくない。
 
 なぜ屋根を、開閉式にしたいのか。理由は、スタジアムが瞬間、ドームになるからだ。全天候型に変身する。スポーツ施設は、それを境に多目的な施設に一変する。