又吉直樹『火花』(文藝春秋)

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 又吉直樹、芥川賞なるか──。今晩、第153回芥川賞・直木賞が発表されるが、世間の注目はもちろん、又吉直樹の『火花』(文藝春秋)が受賞するか否かに集まっている。

 しかし、いつもであれば選考会前に下馬評が流れてくるものなのだが、今回はなぜかそれもない。どうやら又吉のこともあり、選考委員もかなりナーバスになっているようだ。

 だが、又吉は有力候補者であるどころか、"大本命"といってもいい。
 
 そもそも、これまでも数多あったお笑い芸人が執筆した小説と又吉の『火花』が大きく違うのは、本作が文芸誌に掲載された純文学作品だったことだ。そのため今回芸人として初めて芥川賞にノミネートされたわけだが、3月に即単行本も発売されたことから単行本化作品が対象となる直木賞にノミネートの可能性もささやかれていた。芥川賞も直木賞もどちらも狙える状況を、『火花』の版元であり両賞の勧進元でもある文藝春秋はつくっておいたのだ。

 だが、文藝春秋社内では『火花』を「エンタテインメントではなく純文学」とし、早い段階から芥川賞シフトを敷いてきた。実際、"お笑い芸人による純文学"というキャッチーさはニュース性も抜群で、文藝春秋は自社の「週刊文春」で『火花』を特集。文芸評論家・市川真人氏の「『芸人さんの余技』ではなく、"一人の新人作家の作品"と評価すべき」というコメントを掲載するなど、しっかり外堀を埋めてきた。ちなみに、又吉が芥川賞にノミネートされたことが発表されたのは6月19日。又吉が敬愛する太宰治の桜桃忌だ。たんなる偶然なのか、それとも文藝春秋が狙ったのか......。

 しかも、又吉がこれまでのタレント作家と一線を画しているのは、筆力の高さがタレント水準ではないことに加え、すでに又吉が文壇にかなり食い込んでいる、という点だ。

 たとえば、又吉はブレイク前から、芥川賞作家の中村文則や長嶋有、直木賞作家の西加奈子らと交友してきたことは有名。とくに西は作家の友人が多く、又吉は西の紹介を通じて多くの作家たちと親交を深めている。また、若手作家だけではなく、文壇の大御所も又吉を評価。そのひとりが、芥川賞の選考委員を長らく務めていた古井由吉だ。又吉は以前より古井のファンであることを公言しており、文芸誌で対談したり、古井が主催する朗読会に足を運んだり、自分のラジオ番組に古井をゲストとして呼んだりと距離を縮めてきた。古井も「会ったらバカに話がよく通じる人」と、すっかりご機嫌。もちろん、又吉は文壇バーデビューもすでに果たしている。

 このように、作家たちの間では又吉に対して異業種の人という意識は少なく、むしろ「こちら側の人」と思っている作家も多い。ミュージシャンだった辻仁成が芥川賞受賞時に「日本語を守りたい」と上から目線で発言し、何様か!と文壇から総スカンを食らったのとは、じつに対照的である。

 しかし、最大の問題は、芥川賞の選考委員が『火花』をどうジャッジするか、ということだ。だが、『火花』は先日の三島賞で受賞を逃したものの、受賞作『私の恋人』(上田岳弘/新潮社)とはわずか1票差で、「2作受賞でもよかったのでは」という声もあったほど。最終決戦では『私の恋人』3票対『火花』2票だったのだが、その2票を投じたのは辻原登と川上弘美だ。川上は芥川賞の選考委員でもあるので、芥川賞でも彼女は又吉を推すだろう。

 さらに、下馬評が流れないなか、わずかに得た情報によると、川上以外に、小川洋子も『火花』を評価しており又吉を推すとみられるほか、さらに2人は又吉推しという情報も聞かれた。また『火花』に対して否定的な選考委員がほとんどいないという見立てもあり、『火花』が選考の軸となることはまちがいなさそうだ。

 加えて、石原慎太郎が辞任して以降の芥川賞選考委員は、"空気を読んだ"選考を行っている点も見逃せない。

 じつは、石原が最後に選考委員を務めた第146回(2011年下半期)に芥川賞を受賞した田中慎弥と円城塔を最後に、2作同時の受賞がない。2作受賞とは、だいたいはどちらかの受賞に強硬に反対する人がいたときにとられる選択肢。つまり、石原が辞めて以降、選考会では受賞者が誰かにまとまりそうになったら異論を唱えたりせず、だいたい話はまとまっているということだ。

 しかもその結果は、主催社の文藝春秋の意向や出版界の空気を読んだ結果に収まりがち。豊崎由美と大森望の「メッタ斬り」コンビや小谷野敦などといった"うるさ型"の評論家も支持するような結果に落ち着いている(ちなみに今回、大森は『火花』を、豊崎は島本理生の『夏の裁断』を受賞作として予想しているが、豊崎は「『火花』で決まっても驚かないし、外れても驚かない」と語っている)。

 よく言えば「順当な」、悪く言えば「波乱も、おもしろみもない」空気を読んだ選考──それが最近の芥川賞だ。そして、いま、選考委員たちを覆っている"出版界の空気"というのが、ずばり「又吉の受賞待望」なのである。

 というのも、瀕死の出版界にとって又吉は、願ってもない"救世主"だからだ。これはたんに又吉の本が売れるというだけの話ではなく、彼が登場した雑誌や、推薦した本がことごとく売れる、という恩恵をもたらしているのだ。

 たとえば、先月6月18日に『アメトーーク!』(テレビ朝日)で「読書芸人」第二弾が放送されたが、ここで又吉が推薦した中村文則の小説『教団X』(集英社)が放送直後からバカ売れ。こうした効果を又吉はこれまでも数々と生み出し、結果、本の帯や解説の依頼が殺到し、雑誌でも対談やインタビュー、エッセイ、連載とフル回転。ここ数年、出版界は"神様、仏様、又吉様"状態だ。

 現に、今年に入ってからも、3月に出版された北村薫の小説『太宰治の辞書』(新潮社)には又吉が登場し、4月刊行の中村文則『王国』(河出書房新社)文庫版で解説を執筆。さらに、「名探偵コナンムック 探偵女子」(小学館)には短編小説を寄稿、雑誌「an・an」(マガジンハウス)「ダ・ヴィンチ」(KADOKAWA/メディアファクトリー)などが又吉の特集を行っている。しかも「an・an」は、本の特集だというのに又吉の相方である綾部祐二もセットでねじ込まれ、書店で本を選ぶという企画では活字をまったく読まない綾部が苦し紛れに八千草薫の写真集やイームズのカタログを選ぶという珍妙な事態も発生していた。それでも、どの出版社も"又吉"という看板が欲しいのだ。

 それは、芥川賞にしたって同じだ。前述した第146回(11年下半期)における田中慎弥の「もらっといてやる」発言の石原慎太郎ディスや、第148回(12年下半期)の黒田夏子の75歳史上最高齢受賞以来、話題性という面では乏しい結果が続いている。他方、受賞はしなかったのに、先日の三島賞は又吉がノミネートされたというだけで大きく取り上げられた。地味さは否めない三島賞でさえ、である。芥川賞の勃興のためにも、出版界の起爆剤にするためにも、ここは又吉に受賞させて是が非でも大きな話題にしたい。──これはもはや出版界全体の総意だ。

 というわけで、余程の波乱がない限り、順当にいけば又吉の芥川賞受賞の可能性はかなり高い。少なくとも、又吉を中心に選考の議論が展開されることはまちがいないだろう。

 ついでに、直木賞にも触れておこう。こちらも、『ゆれる』『ディア・ドクター』などの作品で知られる映画監督・西川美和の『永い言い訳』(文藝春秋)が本命視されているという。今回は、芥川賞、直木賞ともに、異業種からの受賞という結果になりそうだ。
(田岡 尼)