2019年9月6日に開幕するラグビーW杯。新国立競技場で試合が出来ればいいに決まっている。だが、それに間に合わせようとすれば、いますぐにでも着工しなければならない。まさに「時間はない」のだが、見切り発車することのデメリットはあまりにも大きい。究極の選択ではあるけれど、ラグビーW杯に間に合わせることは諦めるべき。工期を延長し、落ち着いて再考する。

 それが賢明な考え方だと思うが、ラグビー愛好家はどう思うだろうか。計画が予定通りに進むことを切望する人が多くいても不思議はない。

 ラグビーW杯でなくサッカーW杯なら、サッカーファンはこの新国立競技場問題と、どのように向き合うつもりだろうか。どれほどの人が、潔く諦めようとするか。ふと、考えてしまう。

 建設計画の凍結に、ファンより抵抗しそうなのが、いわゆる業界人だ。サッカー関係の仕事で飯を食べている人。僕もその1人になるが、会社や組織に属していないフリーランスなので、周囲から変な圧力は掛けられにくい。個人の判断で動きやすい立場にいる。 

 ザハ・ハディド案でいま突っ走ろうとしている人は、各業界にそれぞれ大きな影響力を持っている人だ。彼らがイエスと言えば、それぞれの業界は、それに従おうとする。各組織に属する人は、個人の考え方を、組織の考え方、組織にとって都合がいい考え方に委ねようとする。その方が組織の中で生きていきやすいからだ。

 そして、それがいつの間にか、その業界および、業界に属する人たちの常識になる。彼ら自身は地面の上にまっすぐ立っているつもりでも、その地面は、世の中の地面より傾いているので、実際にはまっすぐ立つことができていない。

 新国立競技場の建設計画に関わってきた人は、その角度が世の中と、どれほどずれているか、おそらく自覚できていないのだ。

 ラグビー協会の会長は森喜朗元首相だ。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の会長でもある。この人がイエスと言い続ける限り、スポーツ業界に関わる人は、簡単にノーと言えない境遇に置かれることになる。

 一番わかりやすい例は、選手だ。新国立競技場問題に何かコメントした選手は、これまでいただろうか。僕の知る限りではいない。仕方ないことなのだ。選手は選ばれる側だ。その上にはコーチがいる。傍らには仲間の選手もいる。そしてその上には、所属先がある。これは企業である場合が多い。そして所属の競技団体がある。ラグビー選手なら、ラグビー協会がある。その会長がイエスと言えば、ノーと言う選手はいないだろう。

 サッカー界もそれに近い状態にある。小倉純二名誉会長が、新国立競技場のコンペに、スポーツ界の代表として審査委員に加わっていたからだ。最近でも、屋根の設置を後回しにしたり、観客席の一部を仮設にしたりという計画に「嘘をつくのはいけない」と、W杯招致を視野に入れた強硬な発言をしている。これなどはまさに、サッカー界という業界団体の利益を優先した主張に他ならない。

 名誉会長に異を唱えるような発言をする選手、元選手、指導者等々はなかなか現れにくい。

 だが、サッカー界は、旧国立競技場を「聖地」として崇めてきた。どの競技団体よりも思い入れのある場所。聖地と言ってきた以上、その行く末に、最も注意深く見守るべきスポーツ団体でなければならない。

 サッカー界は2002年W杯も経験している。そこで数多くのスタジアムを建設した。負の遺産、つまり、よいスタジアムより、よくないスタジアムを世の中に生み出した過去がある。決勝戦を行ったその最大のスタジアム、横浜国際競技場(日産スタジアム)について胸を張るサッカーファンは、少ない。