ケンドリック・ラマーもFly-LoもSnoopも絶賛! カマシ・ワシントンと甦るウェストコーストの黒いジャズ

写真拡大

2015年5月、フライング・ロータスが主宰するレーベル「Brainfeeder」から、突如リリースされた3枚組アルバム。総勢60名超の音楽家が参加、収録時間170分。デビューアルバムとしては破格のスケール。しかもその中身は、壮大なるスピリチュアル・ジャズ叙事詩だった。主役はサックス奏者のカマシ・ワシントン。かつてSnoopのツアーバンドで演奏していたLAジャズシーンの重要人物は、いまや世界の音楽シーンの台風の眼となった。注目のイノヴェイターの真実に、音楽ジャーナリスト柳楽光隆が迫る。

「ケンドリック・ラマーもFly-LoもSnoopも絶賛! カマシ・ワシントンと甦るウェストコーストの黒いジャズ」の写真・リンク付きの記事はこちら
目撃せよ! カマシ、来日決定!!(2015.10.30 - 11.1)

本稿でそのバックグラウンドを存分に語ってくれたカマシ。ブランドン・コールマン(Key.)をはじめとする自身のユニットを率いての、待望の来日が決定した。会場はブルーノート東京(港区南青山)で、一般予約開始日は8月10日。詳細はbluenote.co.jp/jp/artists/kamasi-washington/にてチェックを。

ケンドリック・ラマー、フライング・ロータス、スヌープ・ドッグといったヒップホップやビートミュージックのトップランナーが絶大な信頼を寄せるジャズミュージシャン、というだけでこれ以上の賛辞はない気もするが、カマシ・ワシントンに限ってはそれだけでは足りない。ジョージ・デューク、スタンリー・クラーク、ハーヴィー・メイソンらジャズ/フュージョンの大物が近年次々と彼を自身の作品に迎えているだけでなく、デビュー作の『Epic』のリリースに際してはミゲル・アットウッド・ファーガソンからラスGに至るまでLA中の若き才能が彼のライヴに集結し、あまりにも豪華なリリース・ライヴを実現させている。

そんな状況は、ジャズに関心の薄い(かつ採点が厳しい)『Pitchfork(ピッチフォーク)』までをも動かし、あらゆるジャンルがスピリチュアルなサウンドに溶け込んだ壮大な叙事詩『The Epic』(デビューアルバムにして3枚組!)に8.6点の高得点とBest New Musicを与えるに至っている(ロバート・グラスパーよりも評価は上だ)。

そんな、いま最もホットなジャズミュージシャン、カマシ・ワシントンに彼の出自から、現在の音楽性までじっくり話を聞いた。LAジャズミュージシャンのコミュニティーから西海岸の音楽シーンの人脈までもが露わになった貴重なインタヴューをここにお届けする。


──あなたがキャメロン·グレイヴスロナルド・ブルーナーJrステファン·ブルーナー(aka Thundercat)と一緒に演奏していたマルチ・スクールジャズバンド(MSJB)とはどんなものなんでしょうか?

マルチスクール・ジャズバンドからは素晴らしい刺激を受けたよ。素晴らしいミュージシャンがたくさんいたからね。ロナルド・ブルーナー、ステファン・ブルーナー、キャメロン・グレイヴス、ライアン・ポーターテラス・マーティンアイザック・スミス、ほかにもたくさんいるよ。1995年にMSJBに入る前からキャメロン、ロナルド、ステファンとは知り合いだったんだけど、しばらく会ってはいなかった。高校でキャメロンと再会した後にMSJBに連れて行ったんだ。

ロナルドに会ったのは3歳のとき。俺の誕生日パーティに来たんだけど、プレゼントのドラムセットをあいつがずっと叩いててしかも俺より上手かったからむかついたよ(笑)。ずっと友だちだったけど8歳くらいのころに連絡が途絶えちゃって。MSJBに入って聴いたロナルドの上達っぷりはショックだったね!

──ヤング·ジャズ·ジャイアンツネクスト・ステップというそれぞれのバンドについて教えてください。テラス・マーティン、サンダーキャット、ロナルド・ブルーナー、キャメロン・グレイヴス、ライアン・ポーターなどが参加している、これらのバンドはいまのLAのシーンの中核そのものに見えます。あなたたちはどんな場所で出会ったのでしょうか?

ヤング・ジャズ・ジャイアンツは、そもそも1997年のジョン・コルトレーン・サクソフォン・コンペティションのために始めたんだ。ロナルド・ブルーナー、ステファン・ブルーナー、キャメロン・グレイヴス、それに俺。ロナルドとステファンは3歳のときに、キャメロンとは14歳の時に出会った。コンペに優勝したら地元の新聞の記者が俺たちのグループを〈ヤング・ジャズ・ジャイアンツ〉って呼んでんだけど、それがしっくりきてさ。

ライアン・ポーターと会ったのは13歳で、ジャズ・アメリカっていうプログラムに参加したときだ。テラスと会ったのは1995年、セロニアス・モンク・インスティテュートの会合で。俺たちはみんなMSJBで演奏したんだ。素晴らしいことにロナルド、ステファン、キャメロン、俺は一緒にフライング・ロータスに出会ってるんだ。ジョン・コルトレーン・コンペのときで、彼はラヴィ・コルトレーンと一緒だったんだけど、けっこうあとになるまで連絡は取り合わなかったな。

超弩級。衝撃のデビュー。
KAMASI WASHINGTON『THE EPIC』

「彼らの音楽を聴いていると、自分がなぜ音楽を愛しているのかということを思い出すよ」──コモン

フライング・ロータス、ケンドリック・ラマー、コモン、サンダーキャットが絶賛! LAジャズ最重要人物カマシ・ワシントンの特濃リーダー作!! 総勢60名以上のLAジャズ先鋭メンバーが参加した3枚組170分超えの超大作。果てしなく広がる甘美な白昼夢は、マイルスやサン・ラのように、再びジャズを躍動させる。ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、ケニー・バレル、ジェラルド・ウィルソン…錚々たるジャズ・ジャイアンツ達に加え、チャカ・カーン、ローリン・ヒル、スヌープ・ドッグのバック・バンドを務め、ジャンルの垣根を越えてその才能を開花させてきたLAジャズ最重要プレイヤーのひとり、カマシ・ワシントン(sax)が、フライング・ロータス制作総指揮のもと3枚組170分超えのリーダー作をリリース。ベースにはサンダーキャットとマイルズ・モスリー、ドラムにロナルド・ブルーナーとトニー・オースティン、鍵盤にはブランドン・コールマンとキャメロン・グレーヴスをはじめとするネクスト・ステップの面々に加え、32名のオーケストラと20名のコーラスが参加した総勢60名以上のLAサウス・セントラルの気鋭ジャズメンたちとともに制作された。

TAG

InterviewJazzMusicPeople IndexWIRED JAPAN

──1981年生まれのあなたの世代では、マーク・ターナーやジョシュア・レッドマン、クリス・ポッターのようなスタイルのサックス奏者が席巻していたと思います。あなたはそれらの技術をもち合わせながら、それらと全く違うスタイルで演奏しているのが印象的です。コールマン・ホーキンスやコルトレーンのようなオールドスクールなスタイルがもっていた原初的な力強さも特徴的です。UCLA時代など、あなたはどのようなサックス奏者を研究し、いまのようなスタイルに辿り着いたのでしょうか。

UCLAのころに熱中してたのはコルトレーン、ベン・ウェブスター、レスター・ヤング、ジョー・ヘンダーソンにウェイン・ショーター。当時の若者らしく、ケニー・ギャレットにはハマってたよね。

面白い話があるんだけど、俺とロナルドがまだまだ貧乏だったころにケニー・ギャレットがLAに来て、6夜連続でハリウッドのカタリーナズ・バー・アンド・グリルで演奏するっていうんだ。金が無いからロナルドと2人で会場に忍び込んだりクラブの外からケニー・ギャレットを聴こうとしたよ。彼がいるあいだ毎晩ね。いまの俺のスタイルっていうのは、いろんな異なるスタイルの音楽を演奏してそれらがどう繋がっているのかを経験してきたことに由来している。

ジェラルド・ウィルソン、スタンリー・クラーク、ジョージ・デューク、ハーヴェイ・メイソンといった人たちとジャズを演奏して、スヌープ・ドッグやローリン・ヒルとヒップホップを、ラファエル・サディークやチャカ・カーンとR&Bを、ポリスター・プレイヤーズとファンクを、フランシスコ・アグアベージャとアフロ・キューバン・ジャズを、キルベル・アセッファとエチオピアン・ジャズを。こういった音楽をほかにも多くのミュージシャンと一緒に演奏してきた経験が俺のスタイルを形づくっているんだ。

──学生時代から西海岸ヒップホップのレジェンド、スヌープ·ドッグのツアーに参加したと聞いています。そのころのエピソードやそこから得たものを聴かせていただけますか?

スヌープ(とのツアー)は、俺にとって最初の大きなギグだったな。面白いんだけど、そのころのスヌープのバンドは多くの若いジャズミュージシャンから最高のやつらを集めて組まれていたんだ。テラス・マーティンにライアン・ポーター、アイザック・スミス、キーヨン・ハロルド、サンダーキャット、ロバート・スパット・シーライト、それに俺。サウンドチェックはジャズのジャムセッションみたいだぜ!

だけど、素晴らしいプロデューサーのバトルキャットやスーパーフライ、それにミュージシャンのDロックやマーロン・ウィリアムスって人たちもバンドにいて、彼らはまた違った視野を俺に与えてくれた。テクニック的に難しいことをやっているわけじゃないけど、そういった人たちはとても細部まで音を聴いているから、もし正しいグルーヴで弾けていなかったらまるで間違った音でも出したかのように見られるんだ。

何を弾くかだけではなく、同じくらいどう弾くかにまで気を配って演奏するってことは、やっていく過程で学んでいったんだけど、音楽の細部を聴くのか全体像を見渡すのかみたいな違いがあるね。とても深い部分で影響を受けたよ!

──あなたのキャリアのなかで西海岸の偉大なオーケストラの作編曲家ジェラルド·ウィルソンのビッグバンドで演奏していたことは大きなことだと思いますし、彼のもとで学んだ作編曲が『The Epic』にも大きく影響しているように思います。彼のもとでどのような経験をして、どのようなことを身に着けたのか、聞かせてもらえますか?

ジェラルド・ウィルソンは高校生のころから大好きなコンポーザー。彼はUCLAの教授だったから、俺も通うことに決めたんだ。2000年になってバンドに入らないかって誘われたときはとても光栄だったね! 2014年に彼が亡くなるまで一緒に演奏したんだ。

彼からは作曲に関してとても多くのことを学んだし、『The Epic』に直接的な影響を与えている。2005年に話を戻すと、ダブル・リズムセクションのバンド、The Next Stepで演奏し始めてレイマートパークの5th Street Dicksっていうクラブでライヴレコーディングしたんだ。

ジェラルドの家に行って音楽を聴かせてもらったときに「自分のバンドを聴いてみてもらっていいですか」って訊いたら、聴くって言ってくれて。それでそのライヴレコーディングを聴いてもらったんだけど、とても興奮してたよ! そのときはブランドン・コールマンがキーボードを弾いていたな。ジェラルドは俺がオーケストラ用に曲を書くべきだ、出来たらそのバンドでオーケストラと共演したらいいって言ってくれて、そのアイデアはのちのちまでずっと頭のなかに残っていたんだ。

──あなたはジョージ・デュークやスタンリー・クラーク、ハーヴィー・メイソンなど、フュージョンの巨匠に数多く起用されています。西海岸のフュージョン・サウンドを消化していることもあなたの音楽を豊かにしている理由の一つだと思います。『The Epic』にもフュージョンの要素があるとすれば、どのようなところにあるのでしょうか。

『The Epic』の中にあるすべての音楽的な要素が無意識のうちに関係していると思う。意識的に何かやったっていうわけではないんだけど、スタンリー・クラークやジョージ・デューク、ハーヴェイ・メイソンといった人たちに俺がとても影響されているのは事実だ。「The Magnificent 7」と「The Message」に最も表れているんじゃないかな。

TAG

InterviewJazzMusicPeople IndexWIRED JAPAN

──あなたのファッションについて教えて下さい。ハーヴィー・メイソンとの来日のときやネット上の動画などで見られるように、ある時期のファラオ・サンダースのような民族的な衣装をいつも着ているのには何か理由があるのでしょうか。

親父の影響もあると思うんだけど、アフリカの言語や芸術、文化には10代のころからずっと興味をもっている。7年くらい前には(カリフォルニア州)イングルウッドの俺の家のそばで洋服屋を見つけて、そこのオーナーで、テーラーでもあるバスって奴と出会ったんだ。

バスはセネガル移民で、彼が俺の最初の〈ダシキ〉をつくってくれた。そこからLA中のアフリカ系の服屋と知り合うようになって、それ以来このスタイルにどっぷり浸かってる。いま着ているほとんどの服は彼らにカスタムメイドでつくってもらってるんだ。見た目もとても気に入ってるけど、より好ましいのはアフリカへの繋がりを感じさせてくれるところだね。

──あなたの音楽にはクワイアやオーケストレーション、エレクトロニクスなど、多様な音が入っています。あらゆるアコースティックとエレクトロニクス、さらに声がなど、すべてのテクスチャーが驚くほど自然に、ときに区別がつかないほどに混ざり合っています。この個性的なサウンドのアイデアはどこから生まれたものなのでしょうか?

何かを混ぜ合わせたり結びつけたり、普通は別々だったりするものを一緒にしたりするっていうのが好きな性分なんだと思う。食べ物でいうと、ステーキとパンがあったらサンドイッチにするし、チキンとサラダがあったらチキンサラダにするんだよ。バンドも似たようなものだ。

俺のバンドは全員が「The West Coast Get Down」っていう集団のメンバーだからお互いのバンドで演奏し合ったりもするんだけど、そこのメンバー全員を自分のバンドに抱えているのは俺だけだ。ミキシング段階になるとそういった要素を全部入れたくなってとても難しい。『The Epic』のミックスとマスターには1年かかったんだんだけど、最終的には魔法が働くもんだ。面白いのは、比喩的になんだけどそれが「カマシ」の名前が意味するところなんだよ。“平和をもたらすもの”とか“みんなをひとつにするもの”っていう意味だ。

──あなたの音楽には60〜70年代のマックス・ローチやジョン・コルトレーン、アリス・コルトレーン、ファラオ・サンダースやマッコイ・タイナー、さらにいえば、スタンリー・カウエルやネイト・モーガン、カルロス・ガーネットらがやっていた音楽と通じるものがあるように思いますし、あなたのサックスのスタイルにもその要素は色濃くあるように感じます。それらの音楽は公民権運動とも結びついていたと思います。いま、あえてこのようなサウンドをやることにはどのような意図があるのでしょうか?

名前を挙げてくれたミュージシャンがやってきたように、俺の音楽もそういった社会の問題を解決する手助けになることを願ってる。公民権の質や平等っていうのは、政策だけではなくてみんなの心までが変わることでもたらされると思うんだ。人々が変われば世界も変わる。だから俺の音楽でもっと心がオープンになって、思いやりや愛がこれから先も続いていく進歩をもたらしてくれればいいと願っているよ。

──あなたの音楽をフライングロータスは〈ウエストコースト・スピリチュアル〉と呼んでいます。あなたの音楽はスピリチュアルであるだけでなく、西海岸でしか生まれない独特のサウンドだと思います。ヒップホップにおいてはNWAやドクター・ドレー、スヌープ・ドッグのような西海岸特有のサウンドがありますが、ジャズにおいては西海岸のサウンドというのはどのような特徴があると思いますか?(個人的にはチコ・ハミルトンやアリス・コルトレーンなどインパルスレーベルのサウンドが浮かびます)

西海岸のジャズと言われて思いつくのはレーベルのBlack Jazz Records、ミュージシャンでいえばホレス・タプスコットやジェラルド・ウィスソン、アーサー・ブライス、ダグ・アンド・ジーン・カーン、ヘンリー・フランクリン、ビッグ・ブラック、カルマ、ンドゥグ・チャンスラー。それにビリー・ヒギンズ、オーネット・コールマン、エリック・ドルフィ、チャールズ・ミンガスはニューヨークに移ったあとでもLAの音がすると思う。

LAの外ではあまり有名ではないけど、ブラック・ノート、ノルディ・デッドマン、ダサン・デッドマン、ウッディ・ソンシップ・テウス、ネイト・モーガン、マイケル・セッションズ、ロバート・ミランダ、アイザック・スミスといった人たち、俺の親父のリッキー・ワシントン、ほかにもたくさんいるね。

──『The Epic』ではドワイト・トリブルや、その彼も参加していたカルロス・ニーニョのグループ、Build An Arkのメンバーも参加しています。カルロス・ニーニョも西海岸でスピリチュアルなジャズをオリジナルなサウンドで表現していたひとりだと思います。彼のサウンドについて、どうお考えですか?

ドワイト・トリブルには10代のときにホレス・タプスコットの『Pan African People’s Arkestra』を通じて出会ったんだ。カルロス・ニーニョに会ったのはもっとあとで、ミゲル・アトウッド・ファーガソンを通じてだった。

カルロスの作品はとても自由で美しいものだし、そういった作品やKPFCでのラジオショーを通して彼はLAの音楽コミュニティのなかでもとてもポジティヴな力を持っている。カルロスとは、ミゲルとドワイトとの最後のショーで共演したんだけどいままで経験したなかで最も美しくて自由な音楽的体験だった。

──あなたはケンドリック・ラマ―の『To Pimp A Butterfly』に参加しています。ケンドリックのこのアルバムは「Black Lives Matter」とも関係のある強いメッセージを持ったアルバムだと思います。あなたは『Epic』でテレンス・ブランチャードの「Malcom’s Theme」を演奏されていますが、このアルバムにもケンドリックの作品(やディアンジェロの『Black Messiah』)のような政治的な意図は込められているのでしょうか?

「Malcolm’s Theme」はとても個人的な関連がある。俺はサウスセントラルLAって地区で育ったんだけど、80年代、そしていまでもまだギャングやドラッグ、それに暴力といった問題が尽きないところなんだ。ポジティヴな面がないわけではないけど、ネガティヴな面のほうが間違いなく強い。

俺も子どものころはそういったネガティヴな行動に引きずり込まれていたんだけど、いとこがアート・ブレイキーのミックステープをくれて、Ujimaっていうプログラムも教えてくれたんだ。そこで俺はマルコムXの自伝を読んで、人生が変わったね。マルコムXの人生、言葉、考えは俺みたいな境遇にいる人たちの力強い助けになると思う。だからこのアルバムにマルコムXへのオマージュを捧げる曲を入れて、みんなに彼の教えについてより深く考えてもらいたいと思ったんだ。

──『To Pimp A Butterfly』のレコーディングでのエピソードがあれば聞かせてもらえますか?

『To Pimp A Butterfly』のストリングスのパートを書いてるときだけど、セキュリティ上の理由で音源を家に持ち帰れなかったんだよね。だからスタジオで書き上げなくちゃいけなかったんだけど、そのプロセスにケンドリックがとても興味をもってね。ケンドリックとSounwave、テラスが座って俺がパートを書いていくのを見てるんだ。あれは面白かったよ。

──フライング・ロータスと出会ったきっかけやこのアルバムをブレインフィーダーから出すことになった経緯を聞かせて下さい。

フライング・ロータスに会ったのはずっと前、1997年にヤング・ジャズ・ジャイアンツでジョン・コルトレーン・コンペに出たときだ。彼はラヴィ・コルトレーンと一緒だったけど、そのときは連絡を取り合ったわけじゃない。2007年ころにLAのジャムセッションで片っ端から演奏してたころにまた出会って、彼の音楽、それにサンダーキャットとやった音楽の大ファンになったんだ。2010年にフライング・ロータスが俺にブレインフィーダーでアルバムをつくらないかって聞いててくれたから、よっしゃ!!!って感じだったよ。

──タイトルに「THE EPIC」と名付けた理由を聞かせて下さい。

『The Epic』に取りかかっているときにとても力強い夢を見るようになったんだ。その夢はある兵士から始まって、彼は山の頂上にある門を守ってるんだけど、そこでまるでサウンドトラックみたいに「Change Of The Guard」が鳴り響くんだよ。それからほかの曲についても夢を見るようになってそれがミキシングを終えるまで続いたんだ。とても長く壮大で精巧にできた物語で、その夢の物語に沿ってアルバムの選曲と曲順を決めたんだ。だからタイトルは『The Epic』にした。単に“大作”っていう意味じゃなくて、物語性がある“叙事詩”っていう意味でこの言葉を使ってる。

──ちなみに「Leroy and Lanisha」って曲名がありますけど、その2人は誰なんですか?

リロイとラニーシャは、チャーリー・ブラウンへのオマージュ。マンガも好きだしヴィンス・ガラルディの音楽も大好きだ。だからライナスとルーシーのサウスセントラルLA版だね。

──ヴィンス・ガラルディ! そこも西海岸ジャズなんですね(笑)。

TAG

InterviewJazzMusicPeople IndexWIRED JAPAN