■8月特集 ああ、涙の夏合宿物語(3)

 リオデジャネイロ・オリンピックで五輪4連覇を目指すレスリング女子53キロ級の吉田沙保里。20歳で初めて世界チャンピオン(2002年世界選手権・金メダル)となり、32歳になった現在もトップに君臨する彼女の強靭な肉体は、夏合宿での過酷なトレーニングで作られたという。はたして、女子レスリング最強女子を生んだ夏合宿の内容とは――。

―― 吉田選手にとって、夏合宿といえば?

吉田沙保里(以下:吉田):新潟県十日町市にある、櫻花(おうか)レスリング道場での全日本合宿です。

―― 「女子レスリング・虎の穴」と呼ばれている合宿所ですね。

吉田:高校時代、私が通っていた久居高では夏合宿なんてありませんでした。また、中京女子大(現・至学館大)のときも、ほとんどの選手が大会で上位に入って全日本合宿に呼ばれていたので、大学として合宿をすることもありませんでしたから。

―― 初めてシニアの代表合宿に参加したのはいつですか?

吉田:高校1年生のときですね。中京女子大の附属高の選手もいたと思いますが、1年生は私ぐらい。もう、ドキドキでした。父(故・吉田栄勝さん)から、「行ってこい! 鍛えてもらってこい!」とだけ言われて。初めて会った中女(中京女子大附属高の略)の先輩たちと一緒にクルマで行ったんですけど、高速を降りてから曲がりくねった山道を走っても、走っても着かず......。

 そのうち周囲にお店はなくなるし、家もまばらになって、見えるのは山と田んぼと畑だけ。ようやくクルマが止まって、「ここだよ」と言われたときには、愕然としました。日本レスリング協会の福田富昭会長が1991年に廃校になった分校を改築した合宿所は、失礼ですけど、野中の一軒家でしたからね。一番近いコンビニまでクルマで30分。臭いカメムシが寝床に入ってくるし、夜は蛙の鳴き声がうるさくて眠れないし......(笑)。また、当時は携帯電話なんてまったく使えないし、クーラーもありませんでした。そんなところで、1週間から10日間......まさにレスリング漬けです。

―― 合宿で一番つらかったのは?

吉田:朝練のランニングです。6時半ごろに起こされて、7時半から9時まで1時間半、とにかく走らされました。平らな道なんてまったくないですから、アップ・ダウンの連続で......。

―― 運動神経抜群で、スポーツなら何をやらせても上手なのでは?

吉田:いや、走るのだけは苦手でした。短距離はいいんですけど、長距離は全然ダメ。高校時代は自宅から通っていたので、朝も走ったりしていませんでしたから。それが合宿では毎朝3キロ、5キロ走らされて、その後に合宿所前の急坂をダッシュ、そして手押しグルマ。最後は仲間をひとり、さらにはふたりをおんぶしたり、抱っこして駆け上がったりして......。

―― かなりキツいメニューですね。

吉田:合宿の最終日は9キロコースを走って、そして解散となるんです。それが今も変わらない合宿メニューなんですが、それがもう嫌で嫌で......(笑)。高校生のころはまったくついていけませんでした。9キロコースを走るときは、当時女子の強化委員長だった鈴木光さんと、みんなより15分ぐらい前に出発するんです。現役時代に重量級の代表選手だった鈴木さんは身体が大きいので、走るのが遅いのでちょうどいいんですよ。すると、すぐに後ろから遅れて出発した集団が迫ってくるんです。山の中で、「イチ、ニ、サン、シー!」って掛け声が聞こえてくると、それがなんだかとっても怖くて......。そして、あっという間に追い抜かれちゃいました(笑)。

 おかげさまで、大学生のころには普通に走れるようになりましたけど、ランニングは嫌いでしたね。毎晩、「明日は雨が降りますように」とお祈りしていました。雨が降ると、さすがに外を走ることはなく、室内でトレーニングなんですけど、そのほうがよっぽどマシ。

―― 夏合宿でのマット練習はどんな感じでしたか?

吉田:練習は2部制で、マットでの技術練習や打ち込みは午後からでした。スパーリングでは次々に相手を替えてやるんですけど、高校生のころはそれも大変でしたね。当時は51キロ級でしたが、ロンドン・オリンピックで金メダルを獲得した(小原/旧姓:坂本)日登美先輩や、世界選手権で4回優勝している(山本)聖子ちゃん、同じく世界チャンピオンになった篠村敦子さん......、そんなすごい人たちが階級の近いところにいて、私はまだ技術もパワーもなかったから、結構いいようにやられていました。また、ひとつひとつの当たりが痛くて、練習が終わるともうボロボロ(笑)。

―― 合宿中、帰りたいと思ったことは?

吉田:着いた瞬間からずっと。合宿が近づいてくると、いつも憂鬱(ゆううつ)でした。

―― そんな憂鬱な合宿での楽しみはなんでしたか?

吉田:食事ですね。新潟は米どころですから、ご飯がめちゃくちゃ美味しいんです。近くに住むおばちゃんたちが用意してくれるんですけど、おかずも豪華で美味しくて。今はバイキング方式になって、自分で好きなものを好きな量だけとりますが、当時はワンプレートにいろんなおかずがドーンと置かれるんです。もちろん、ご飯も山盛り。ただ、私は昔から食が細くて食べるのが遅いから、最後は(食堂で)ひとりになっちゃうんですよ。すると、現在ナショナルチームのコーチをされている吉村祥子さんなどが、ずっと隣にいてくれて、「サオ、しっかり食べなきゃ」って話しかけてくれていました。

 合宿では掃除・洗濯や食事の後片づけなど、いろんな当番があるのですが、先輩方がよく私の面倒を見てくれていたので、本当にありがたかったですね。最初のうちはお客さん扱いだったのかな。そうそう、私があまりにも食べないもんだから、栄監督(和人・至学館大監督/日本レスリング協会強化本部長)の命令で、浜ちゃん(浜口京子)の隣で食べさせられていた時期がありました。テーブルで向き合って食べるんですけど、浜ちゃんは何度もおかわりに行くので、「すごいなぁ、食べるのも練習なんだな......」と思ったものです。

―― 食事以外での楽しみは?

吉田:みんなと寝室でワイワイできることですね。雑魚寝ですけど、それも楽しくて。また、露天風呂があるので、そこでの「裸のつきあい」も楽しいです。恋バナしたり(笑)。あとは、地元の方たちとの交流かな。十日町には全日本女子レスリング連盟の後援会があって、みなさん本当によく応援してくれるんです。合宿中にBBQパーティーを開いてくれたり、浴衣を着せてくれたりと、とっても感謝しています。

―― 吉田選手にとって、夏の合宿とはなんでしょうか?

吉田:今の自分があるのは、あの時代の厳しい合宿があったから。それは間違いないです。合宿では、監督やコーチに言われてやっているだけ、やらされているだけの選手もいると思うんです。一方、坂道ダッシュでもスパーリングでも、自分から積極的に「あと1本! あと1本!」とやる人もいる。自分もそうやってきたから、これだけの成績を残すことができました。

 普段の練習も大切ですが、やっぱり選ばれた選手たちが集まる合宿は違います。「隣を走るライバルには絶対に負けない」、「あの人がまだスパーリングを続けているなら、自分もまだまだ」と思ってやってきました。最後はフラフラになりながらも、この坂を上りきれば金メダルをつかめる」と信じて。

―― だから、櫻花レスリング道場前の急坂は、「金メダル坂」と呼ばれているんですね。

吉田:全日本の合宿は、毎年3月の終わりから世界選手権が開催される9月の直前まで、ほぼ毎月ありますが、今は東京にある味の素ナショナルトレーニングセンターで行なわれることが多くなってきました。科学的なトレーニングができる最新設備が整い、宿泊は全員個室。何ひとつ不自由なく快適なのですが、私は大自然の中でレスリングのことだけに集中して、ときにはバカになって練習に打ち込むことも必要だと思います。

 最年長選手となってしまった今、正直、合宿で若い選手たちと同じメニューをこなすことはしんどくなりました。それでも、合宿で自分をトコトン追い込み、限界に挑戦して体力とともに精神力を徹底的に鍛えあげ、今年の世界選手権(9月7日〜12日/アメリカ・ラスベガス)で世界大会16連覇、さらには来年のリオデジャネイロ・オリンピックで「日本選手初・女子初・レスリング初」の4連覇を達成します!

【profile】
吉田沙保里(よしだ・さおり)
1982年10月5日生まれ、三重県津市出身。ALSOK所属。
自宅でレスリング道場を開いていた父・栄勝(えいかつ)氏の指導のもと、3歳から競技を始める。2004年アテネ五輪、2008年北京五輪、2012年ロンドン五輪の女子55キロ級・金メダリスト。2012年の世界選手権を制し、男女通じて史上最多となる世界大会13連覇達成(現在は15連覇中)。この功績により、2012年11月に日本政府から国民栄誉賞を授与された。2015年、自身初の著書『明日へのタックル!』(集英社)が発売。

宮崎俊哉●構成 text by Miyazaki Toshiya